第6話 黄泉役所 5
尊流と心春が面接を終えたのは、待合室で二時間ほど待たされたあとのとこだった。
「なんだかあっけなく面接終わっちゃったね」
人気のない渡り廊下をならんで歩きながら心春がポツリと言った。リノリウムの床に二人分のスリッパの音がペタペタと響く。
尊流は廊下の窓から見える景色に目を向ける。山の斜面に細い道路と民家が点在する田舎の風景が続いていた。
「リ・インカーネーション・システムの話を出したときは、さすがに、えっ? って顔をされたけどなー」
面接官は全部で三人。真ん中にロマンスグレーの豊かな頭髪をオールバックにしたスーツの似合う年配の男性が座り、右隣に書記らしき女性、左隣に眼鏡をかけた厳格そうな細身のスーツの男性が座っていた。
バイトの面接しか知らない尊流は物々しい雰囲気に少し気後れしていたが、面接自体は終始和やかな雰囲気だった。
リ・インカーネーション・システムのことを切り出したとき、年配の面接官は頭にハテナを浮かべていた。隣から女性が何事かを耳打ちしていたが、おそらく「異世界転生制度のことです」とでも助言していたのだろう。
「ああ、あれね。林間とかそんな催しあったっけと思ってしまったよ」
などと言って笑っていた。
「あたしはパンフレットを見せて、この制度を利用したいんだけどって言ったら結構あっさり認めてくれたわ。最初はうーん、てうなってたけど、この年で亡くなるのはさすがにねえ、って感じで同情してくれたみたい」
「審査もかなり緩かったもんなー」
「え? 審査なんかあった?」
はじめて聞いた、というふうに心春は目を丸くした。
「あるっていわなかったけ? まあでも実際審査なんて厳格なものじゃなかったよ。寿命が残っていて、自殺じゃない。この二つが条件だって」
「それだけ?」
「そう。で、リ・インカーネーション・システムを利用したいって言えば基本的には誰でも異世界転生できるらしい」
「そのわりには、ここを通る人少ないわよね?」
心春は後ろを振り返る。
黄泉役所の異世界転生課の受付は、旧館にあるらしい。そこに整理番号の札を出すようにと指示を受けた。異世界転生における詳しい説明はそこの担当者から聞くようにとのことだった。
「おかしいと思ったんだよなー」
「なにがよ?」
小首を傾げる心春を見てから、尊流は視線を旧館の天井に向けた。
「この施設、大きな建物が三つくらい並んでるのに、死者の列ができてるのは真ん中の本館だけ。他の二つはなにが入ってるのか不思議じゃない?」
「そう……かも?」
表向きは同意してくれているが、心春の頭にはハテナマークが浮かんでいるように見えた。心春はまだ中学生だ。気にならなくても無理はない。
「あと、最初にここに来たときに、バス以外にもタクシーが停まってたでしょ? てか、停まってたんだよ。そこに乗ってたひとたちは最初から本館じゃなくて、別の棟に向かって歩いてた」
その人たちが進んでいたのは、今尊流たちが向かっている旧館のほうでもなかったはずだ。
「この施設には他にもぼくたちが知らない制度や設備があるのかもしれない」
一体いつからこの施設と制度があるのかはわからない。人類誕生から延々と存在し続け、その時代ごとに施設の形や人が変わっているのだろう。それでもここの設備は尊流たちが生きていた年代に比べれば5~10年くらい遅れている。
「あ、見て!」
心春が廊下の突き当たりを指差す。部屋の上についているプレートに「異世界転生課」と書かれていた。
「行ってみよう」
「う、うん」
心春の表情は強張っていた。
尊流も同様に緊張していたし、なんなら役所は尊流にとってはかなりの苦手施設だ。父親のおつかいで何度か足を運んだことがあるが、持ち込んだ書類はことごとく不備が見つかり、一度ですんなり通った試しがない。役所の人間も、世間で言うほどお役所仕事といった様子はなかったものの、マニュアルから外れていることには頑として首を縦に振らない厳格さがあった。それが仕事だと言われればその通りだと思うし、だからこそ信用できる場所でもあるわけだが。
そんなことを考えながら、高校の教室の扉に似たドアをノックする。
コンコンッ。
「どーぞー」
と、軽い調子の女性の声が返ってきた。
「失礼します」
ガラッと扉を開けて中に入る。
室内は学校の保健室に似ていた。本来の保健室ならベッドのある辺りは応接用のソファセットが並べられている。
キャスター付の椅子を軋ませてくるりと半回転させて、白衣の女性が入り口に立つ尊流と心春を見た。セミロングの金髪と赤いフレームの眼鏡が似合う。タバコこそ吸っていないが、吸ってもいいとなったら常に咥えていそうな感じだと、尊流は思った。
「いらっしゃい。待ってたよ」
組んでいた足を崩して立ち上がると、折り畳んであったパイプ椅子を二つ広げて置いた。
「ほら、こっち、こっち」
と、手招きする。
「あ、えっと……」
気後れする心春の気持ちはわかる。あんなに信用できない手招きも珍しい。
「あの、ここって黄泉役所の異世界転生課であってます……よね?」
「ん? もちろん」
白衣の女性は不思議そうにしながら頷いた。
しかたなく、尊流は室内に踏み込む。後ろから恐々心春がついてきた。
用意された椅子に着席すると、白衣の女性は椅子に座り直して二人を見た。
「桜井尊流くんと、楠城心春ちゃんだね?」
「はい」
尊流が答え、心春は頷いた。
「はじめまして、異世界転生課課長の
尊流と心春は揃って頷いた。
「オッケー。んじゃあ、まずこれ読んで」
渡されたのは三枚ほどのプリント用紙をホチキスでとめた書類だった。
「なんですかこれ?」
「異世界転生するにあたっての規約と同意書。あ、心春ちゃんにはちょーっとむずかしかったかな? 大事なところはあとで口頭でも説明するから安心してね」
プリント用紙三枚分とは言え、一枚にびっちり文字が並んでいる上に書いてある言葉が専門的でなにを言われているのかさっぱりわからない。
「ぼくにもめちゃくちゃむずかしいんですけど……」
「あははっ! だよねー!」
蒼木が大口を開けて笑い飛ばす。
「まあ要約すると、日本と契約してる異世界が大小あわせて160個あって、そのうちのどこかに転生させますよってこと。あと、破っちゃいけない決まりが三つあって、一つでも破ったら即転生終了の上に地獄に強制送還だから。これはマジで気をつけたほうがいいよぉ」
蒼木はニヤニヤしながら、最後のフレーズをオドロオドロしい声で言った。
「地獄って……」
と、尊流が問う。蒼木は左手を拳にし、親指を地面に向けて楽しそうに答えた。
「文字通りの地獄行きだよ。ひょっとしたら死ぬよりも苦しいかもね? でももう死ぬこともできない。逃れることのできない苦しみが永遠に続くの」
「ひぅ……!」
隣で心春が喉を鳴らした。
「うう……はあ、はあ……」
うまく息ができなくて浅い呼吸を激しく繰り返していた。
「心春ちゃん落ち着いて、深呼吸だよ」
「はー……はー……」
心春が落ち着いてきたところで、尊流は蒼木を睨み付けた。
「怖がらせるのはやめてください」
「ごめん、ごめんー。でも事実だからさー。ちなみに今ならまだ引き返して極楽往生コースに戻れるよ。どうする?」
蒼木の言葉を無視して涙ぐむ心春の背中をさする。華奢な背中に触れながら、心春をこのまま異世界に連れ出してよいものかと不安になった。
「まだ異世界で生きたいと思う?」
過呼吸気味の心春の背中をさすりながら尊流は目の前の少女にだけ語りかける。
「ぼくは心春ちゃんが異世界で安全に生きていけるように全力でサポートする。ぼくが奪ってしまった君の時間を絶対に守るって、約束するよ」
こくん、と心春は頷いた。そして小さく、
「いき……たい……」
と呟いた。
その声を聞いて、尊流は顔を上げた。
「聞いてのとおりです、蒼木さん。ぼくと心春ちゃんは異世界転生制度を利用します」
蒼木は目を閉じると、やれやれといった様子で息を吐いた。
「……わかった。んじゃ、詳細を説明するよ」
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