第4話 黄泉役所 3

「わっ! すごい!」


 隣で心春が興奮していた。

 心春の手元では青い死歴書が白く変色していく真っ最中だった。たしかにこの謎の技術はすごい。炙り出しのようでもあるが、それよりももっとくっきり文字が表示されていく。


「すごいけど、これだけ個人情報が筒抜けなのもちょっと怖いなぁ」


 そんなことをここの関係者に訴えたとしても、死者には個人情報もプライバシーもない、と返されるのがオチだろう。


「……あ」


 小さく呟いた心春が死歴書の一部を小さな手で覆い隠した。

 隠した部分は、どうやら家族構成の欄だったとわかる。思わずまじまじと見てしまった尊流は、すぐに視線を外して、自身の手元の書類を摘まんだ。


「これ、名前を書いたら勝手に整理番号が発券されるみたいだよ」


 言っているそばから、死歴書の右上のスペースに1139という数字が表示された。

 心春の死歴書にも同じく数字が表情される。


「あたしは1140番だって」

「ぼくの次だね。このあとはひとりずつ面接するんだって」


 言いながら、死歴書を二つ折にする。公的な書類を勝手に二つ折にするのはよくないと思いつつ、このくらいは許してほしいと甘えた気持ちもあった。


「面接かあ」


 心春が復唱しながら、尊流を真似て死歴書を折り畳む。これで不自然に手で家族構成欄を隠す必要がなくなった。心なしか心春の表情にほっとした様子がうかがえる。


「心春ちゃんは面接ってしたことあるの?」

「もちろん、あるわよ。小学校と中学受験のときにアカネさんとヒロキさんと一緒に面接したもの」

「アカネさんとヒロキさん?」


 尊流が聞くと、心春は「あ……あああああ!」と叫んで机に突っ伏した。伏せたときの風圧で折りたたんでいた死歴書がふわりと舞って机から落ちた。


「そのふたりが誰かって、聞いてもいい?」


 尊流が問うと、心春は顔を伏せたままくぐもった声で言った。


「……おかあさんと、おとうさん」


 やっぱり、と思いつつ、尊流は落ちた死歴書を拾おうと手を伸ばす。

 すると、家族構成欄が視界に飛び込んできた。そこに書かれた両親の苗字は別々のもので、どちらも心春の持つ、楠城ではなかった。その上に、楠城の名を持つ男性らしき名前と、旧姓楠城と書かれた女性の名前もあった。

 死歴書で生前の全てが詳らかにされるのだと思うと、同席した三人目の死者が死歴書を書き直したくなる気持ちもわからなくはなかった。


「面接に呼ばれるまでかなり待つらしいから、どこかに座って待ってようか」


 尊流が促すと、心春は素直に「うん」と応じて椅子から降りた。

 空港のロビーのようなだだっ広い待合所の角の椅子に心春を座らせた。壁際の電光掲示に番号が表示されている。掲示板の数字の一番最後は862となっていた。

 尊流はその数字をじっと睨み付けた。


「かなり待ちそうだね。ちょっとトイレに行ってくるから、心春ちゃんはここで待っててくれる?」

「待って。あたしも一緒に行く」

「え? あ、そう」


 すこし迷って、タケルは頷いた。タケルの本当の目的は手洗いではなかったから、この申し出にはすこし困ってしまった。


「で、どこにあるの?」


 心春が背伸びをして辺りを見回す。


「ぼくも場所を知らないから、係の人に聞いてみよう」


 部屋の角に立つ職員らしき男性にトイレの場所を聞いた。

 そんなものはない、と一蹴されるかもしれないと思ったけれど、職員は快くトイレの場所を教えてくれた。


「それじゃあ、終わったらそこで待ってて」


 そう言って、尊流はトイレの前の観葉植物の鉢を指差した。


「わかった」


 前髪を揺らして首肯しつつ返事をして去っていく心春を見送った尊流は、トイレには向かわずに踵を返した。そして足早に廊下を歩いて、施設の隅々に目を向けて呟く。


「この制度はなにかおかしい」


 バスを降りてから手続きを済ませるまでの流れが完璧に整えられている。この施設がいったいいつから続いているのかはわからないけれど、人類が誕生してからずっと、姿や制度を変えて続いてきた、日本最古の役所なのかもしれない。だとすれば、長い年月のなかで定められた手順に沿った流れが出来上がっていることは、まったくおかしなことではない。


「だとしてもこのやり方は一方的すぎる」


 待合の大部屋にも何人かの職員が配置されていた。

 その職員の立ち位置が、すべて通路の前に固定されている。死者の順路を駐車場から本館の死歴書記入受付、その後の待合室、面接、そして極楽往生へ向けて出発する。そのルートに固定するために配備されているように見える。

 そう感じているのは、なにも尊流だけではなかった。


「おい、なんとかいえコノヤロウ!」


 尊流が進む前方の壁際で、背の高い派手な身なりの男性が係員の胸ぐらを掴んで壁に押しつけていた。


「げっ。さっきのバスで寝てたおっさん……!」


 歩調を緩めて、遠巻きに観察する野次馬に紛れた。

 男の隣声は離れた野次馬の群れの中にいても十分聞き取れるくらいに大きかった。


「俺ぁまだ死ぬわけにいかねぇんだよ! さっさともとの世界に返しやがれ!」


 見るからに気の弱そうな係員は首を左右に振っている。


「ですから、そんなことはできません! あなたの周りで死んだ人間が生き返ってきたという事例を見たことがありますか?」

「他の連中なんか知るか! 俺を生き返らせろ!」

「だめです!」


 本館への列に並んでいる間にも、こういった押し問答を何度か目にしてきた。年配の方を中心に大多数の死者は現状を理解して受け入れている場合が多いのに対して、希に死亡したことを受け入れられず係員に詰め寄る死者もいる。それ若い死者が多かった。

 正直気持ちはわかる。誰かがやっていなかったら自分も同じことをしていたかもしれない。


「正面からぶつかっても例外は認められないってことか……」


 騒ぎを避けるようにその場を離れると、移動しながら顎に手を当てて思案する。


「公的な機関てのはフェアな環境を作ってくれているはずだ。ただ、それは分かりにくく示されている場合が多い気がする。めちゃくちゃ小さく書かれてるとか、いや、そんなとこにあっても誰も見ないよ、っていうようなところに……」


 壁際の観葉植物の影に雑誌のラックが置かれていた。最後に差し替えられたのがいつなのかわからないくらい、見るからに古いライナップの雑誌が刺さっている。


「見たことない雑誌ばっかりだ……昭和二十三年発刊!? 終戦直後じゃん!」


 蛍光灯の明かりと埃ですっかり色褪せた雑誌の隣に求人案内の無料の冊子のようなものが差してあった。表紙に「黄泉役所のすすめ」とポップなデザインのフォントで書かれていた。


「ここのパンフレット?」


 このパンフレットは比較的新しい。埃も少ないし色褪せもわずかにしかしていない。

 ペラペラと中身を見る。「黄泉役所は死者のみなさんの味方です」「明るく楽しい死後ライフ」「極楽往生への道」といった項目が目次に書かれていた。


「……冗談じゃねえな」


 読む気にならないパンフレットを流し見していると、あっという間に最後のページにたどり着いてしまった。そこには職員の役職と名前がエンドロールのように羅列してあった。黄泉役所所長、閻魔大介。釈迦玲子。とあり、代表者ふたりの長い挨拶の下に小さく「リ・インカーネーション・システムをご希望の方は係員までお申し出ください」と書かれていた。


「はあ!?」


 タケルは思わず声をあげて、すぐに口を閉じてパンフレットを一部、服のなかに隠した。

 辺りをキョロキョロと見回して、下手に注目を集めていないかどうかを確認する。この期に及んで他人を気にかける死者はひとりもいなかった。問題は係員のほうで、ひとりが訝しそうな目で尊流を見ていた。

 今係員に話しかけられるのは不味い。

 尊流は訳もなく咳き込み、体調の悪いふりをしながら雑誌ラックの前を離れた。

 腹部に隠したパンフレットを服の上から押さえつけ、あたかも腹痛を催しているような前屈みでトイレへと向かう。その途中、確かめるように尊流は呟いた。


「リインカーネーションて……異世界転生って意味じゃなかったか?」


 リインカーネーションという単語は聞いたことがあった。なんなら自分で調べたこともあったはずだ。

 現世はまさに大異世界転生時代。転生もののアニメが放送されていない時期はないくらい、一年中なにかしらの転生作品がアニメ化していた。


「リ・インカーネーション・システムをご希望の方は係員までお申し出ください……希望したらどうなるんだ?」


 早足で歩いていた尊流は、突然目の前に現れた制服姿の男性とぶつかった。


「あいたっ!」

「し、失礼しました」


 間髪いれずに謝罪する職員の男性。見た目はひょろく色白で不健康そうに見えるが、けっこうな早足で歩いてきた尊流とぶつかっておきながら、多少よろけるくらいで踏み留まっている。

 関わるべきじゃない。と尊流はとっさに判断した。失礼しました、という相手の言葉に、


「いえ……」


 とだけ返して歩きだそうとすると「あの」と呼びた止められた。


「なんですか?」


 聞き返す言葉はかなりトゲのある言い方になった。それでも気弱そうな係員は動じない。


「どこへいかれるのですか?」

「……トイレのほうに」


 嘘はついていない。トイレには行かないが、トイレの前で待っているであろう心春のところへ戻る途中だった。ほうに、というのは便利な言葉だ。


「さっき、雑誌ラックの前にいましたよね?」


 不意に問われて、尊流は緊張で顔が強張った。


(ちっ。見られていたか)


 危うく表に出そうになる舌打ちをなんとか引っ込めて笑顔を作る。


「まさか生きてたころの雑誌があるとは思いませんでした。古いのばっかりでしたけど」

「ここに来てまで雑誌を読むような人はいませんからね。いつの間にか新しいものを用意しなくなりました」

「だったらどうして置いてあるんですか?」

「オブジェです。現世の多くの待合所にも雑誌は置いてあるでしょう? 雰囲気が近いほうが安心するじゃないですか」


 顔色ひとつ変えずに係員は淡々と説明していく。やはり見た目の若さと年季が比例しない。目の前の職員は、長年多くの死者を黄泉役所の中で捌いてきた歴戦の職員だと思われる。


「他になにか見ましたか?」


 職員はメガネを光らせて低い声で訪ねてくる。視線が隠れるだけで、若い職員の不気味さが一層際立った。


「この役所のパンフレットなんてあったんですね」


 一瞬、職員の口許がきつく結ばれるのが見えた。動揺して押し黙ったのだとわかる。

 しかしすぐに、ふっと笑顔を浮かべて職員は頷いた。


「ええ。ここは死者の皆様のための施設ですから。職員からの挨拶やサービスに至るまできちんと明記しているのですよ」


 身体を揺らしながら身振り手振りを加えて説明する。独特のリズムは言い慣れた言葉を唱えているかのようにも見えた。男性職員の眼鏡の奥の目はすこしも笑ってはいなかった。

 尊流は確信した。このパンフレットは、死者の目に振れないように意図的に隠すように配置されていたのだ。それを見つけたと思われる尊流に声をかけてきた。


(隠すってことは、見られると困る不都合な部分があるからだ。このパンフレットは文字が多くて内容もつまらない。最後まで読む人は少ないだろう。だからこそ、見つけられたら不味いものを隠しやすいのかもしれない)


「あの」と、尊流は職員の言葉を遮った。


「少々お伺いしたいのですが」

「……はい。なんなりと」

「システムって、日本語訳するとどういう意味になりますか?」


 男性職員は眼鏡の奥で眉をひそませた。


「……なぜそんな質問を?」

「気になってまって」


 こほん、とひとつ咳払いをして、男性職員は両手を広げた。


「そうですね。簡単に直訳するなら、仕組みとか制度という意味になるかと思いますが」

「なるほど。つまり、リ・インカーネーションという制度がある、ということですね」


 ゲフン、と男性職員は大きく咳をした。見るからに狼狽えている。


「それは……まあ、一応制度としてはありますが……」

「利用します」

「は?」

「ですから、リ・インカーネーション・システムのこと、詳しく教えてください」

「い、いやいや、それはちょっと……」


 職員は目をそらして一歩後ずさる。利用してほしくはないが、実在する制度である以上、ないとはいえないらしい。

 尊流はさらに追い討ちをかける。


「リ・インカーネーションて、異世界転生って意味でしょ?」


 うっ……と職員は言葉を喉に詰まらせて唸った。その表情がもう答えになっていた。


「そ、それはその……そういう意味もあるとは思いますが……」

「興味があるんです。詳細を教えてください」


 尊流は元来押しが強い。最近の学校生活は、出る杭は打たれるという傾向があるため、輪を乱さず足並みを揃える立ち回りを要求されるが、小学校低学年までの尊流はどちらかといえばガキ大将だった。長男というのもすこしは影響があるかもしれない。

 そしてお役所はガイドラインに沿った内容ではっきりと利用者が申し出た場合、ノーと言えない傾向がある。

 男性職員は腰を屈めると、壁際の観葉植物の影に尊流を誘った。


「どうしてこそこそする必要があるんですか?」


 真面目な男性職員は一度仮面が剥がれたらそれを修復するのもなかなか大変らしく、どんどん怪しく狼狽えていく。目が泳ぎ、額には脂汗が浮いていた。


「こ、こそこそ? こそこそなんてしておりませんよ?」

「いや、無理があるでしょ……」


 職員は恨めしそうに尊流を睨んで、それとわからないようにため息をついた。


「異世界転生制度……あ、これは旧制度の名前でした。今はその、リ・インカーネーション・システムでしたか。職員の間ではRISと呼ばれているものですが……これは誰にでも適応される制度ではないんですよ」

「そうなんですか?」

「はい。ご利用には審査もあります。それに近年黄泉役所を訪れるみなさんが思い描くような、特別な力で活躍したり、モテモテになったり、現代知識で駆使して注目されたりなんてことはありません。ただ異世界で地味ぃーな生活を送ってもらうだけですよ。手続きも時間がかかりますし、はっきり言ってお勧めしません」


 職員の目にはある種の真剣さがあった。異世界転生制度を利用されるのが面倒というだけではなく、心から「お勧めできない」と訴えているように見える。

 男性職員はおおらかに両腕を広げて続けた。


「極楽往生には怖いことなどなにもありません。あなたはまだお若いから、もう少し生きてみたかったと思うのでしょう。その気持ちもわかります。ですが亡くなってしまったからには、すぐにでもそこに向けて出発することをお勧めしますよ」


 意地悪で言っているわけではないことはわかった。

 異世界転生に興味はあるものの、実際に行けるとなったら素直に行くかどうかは考えるところだ。

 極楽往生というのが天国に行って自由気ままな日々を送る、ということなら、自分だってそっちを選ぶかもしれない。


(あんな死に方をしていなかったら、素直に極楽往生を選んだかもしれない)


 目を閉じると、目蓋の裏に心春の顔が浮かんだ。

 自分の不注意で巻き込んでしまった女の子。自分がひとりで勝手に死んで人生が終るだけならまだ諦められる。しかし心春を巻き込んでしまったことはどんなに悔いても悔やみきれない。


「ぼくには後悔していることがあるんです。まだ死ぬわけにはいかない」


 男性職員は渋面を作ってため息混じりに言った。


「はあ……あのですねえ、こんなこと言いたくないですが、生前の後悔なんて亡くなった人にはなんの意味もないんですよ? 寿命のロスタイムを生きたところで満足のいく人生だった、で終るとは限らないんです。むしろやらなきゃよかったって人をたくさん見てきているんですから」

「それはあなたの感想じゃないですか?」

「経験則です! あなたは死ぬのがはじめてだからわからないでしょうけど、こっちは死んだ人を何人も見てきてるんです! プロなんですよ、こっちは!」


 これにはさすがに尊流も黙るしかない。いわば死後世界の専門家がお勧めはしないと言っているのだから、本当にいいことではないのだろう。

 それでも丸め込まれるわけにはいないと思い、尊流は軽く頭を振る。


「善意で言ってくれているってことはわかりました。それでもぼくは異世界転生制度のことも選択肢にいれた上で、今後のことを考えたいんです。お願いします。詳細を教えてください」


 誠実な職員は相手の誠実な態度にも弱いと見える。萎むようなため息を吐きつつ「……わかりました」と納得してくれた。


「このあとの面接のときに、異世界……じゃなかった、リ・インカーネーション・システムを利用したいと面接官に伝えてください。いつくか質問をされたあとに、問題なければその後の身の振り方が伝えられます」

「あの、その面接って、1人ずつですよね?」

「当たり前です。死者とはいえプライバシーは遵守されますよ!」

「あ、いや、ぼくのあとが幼い女の子なので、その子もひとりで面接するのかと思うとちょっと不安で」

「はあ……?」


 「あなたに関係ないでしょう?」といいたそうに首を捻る。死者一人一人についてはちゃんと考えてくれていても、死者同士の繋がりはここの人は興味がないのかもしれない。


「教えていただきありがとうございました」


 丁寧にお礼を言って尊流は男性職員に対して背中を向ける。

 早足で歩きながら電光掲示板の数字を見る。


「かなり時間かかっちゃったな」


 心春はトイレの前で待っていてくれるだろうか。ひとりで心細そうに座る心春の姿を想像すると自然と歩幅は広がった。


「大きいほうだったのかな、とか思われてたら恥ずかしい……!」


 なんと言い訳しようかと考えながら、心春と約束した手荒いの場所へ歩を進めた。

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