第3話  黄泉役所 2

 本館の入り口は人だかりができており、長い列がその尻尾のように駐車場のほうに向かって伸びていた。

 等間隔で立っている係員が、順番が回ってきたときの指示を口頭で説明しているのだが、たまに現れる威勢のいい死者からの質問対応に追われて、まともに話ができない状況になっていた。質問から解放されると、話が戻ったり進んだりするせいで、一向に要領を得ない。

 尊流たける心春こはるは長いこと列に並んだ末に、ようやく解放されて人だかりの中に放出された。

 広い会議室を二つ繋げたような会場は多くの死者で賑わっていた。等間隔で長机が置かれ、一台につき三人ほどの死者が並んで書類に記入していた。

 流れにのって促された机には、三人分の未記入の青い書類が置かれていた。

 尊流が真ん中に座り、右隣に心春が座った。


「なにこれ?」


 心春が書類を覗き込みながら首を捻る。


「列案内の係員の人が言ってた、死歴書しれきしょだと思うけど……」


 尊流はペン立てからよく見るノック式のボールペンを手に取り、くるくると指先で回しながら片肘を机について眉間にシワを寄せた。


(これ、書いて大丈夫か?)


 署名することがすなわち死亡を認めたことにならないかどうか気になった。いや、正確には死亡はもうしているのだろう。が、この書類の作成がすなわち成仏に繋がるとしたら、簡単に名前は書けない。

 周囲を見て、手の空いていそうな係員を探す。

 老人の傍らから顔を上げた女性職員を見つけて、尊流はすかさず「すみません」と声をかけた。


「はーい」


 慣れた様子で返事をした女性職員が茶髪のポニーテールを揺らして顔を振り向ける。見た目は二十代前半くらいに見えるが、ここが半分死後の世界だとするならば、見た目の年齢なんてあてにならないだろうと思われた。

 歩き方がふわふわしている。ベテランの職員には見えない。この人に聞いて大丈夫だろうかと、尊流はすこし不安になった。

 寄ってきた女性職員は尊流の左肩の裏から手元の書類を覗き込んだ。


「どこかわからないところ、ありましたか?」

「まあ、そうですね。わからないといえば全部わからないことなんですけど……ここ、どこなんですか?」


 係員の女性はいっそう華やかな笑顔を作って、まるで迷子の子供に言い聞かせるようにゆっくりと言った。


「ここは黄泉役所よみやくしょといって、死者の方が極楽往生するための手続きをする場所ですよ」

「黄泉役所……」


 思わず復唱してみて、尊流は眉間にシワを寄せた。なんとも語呂の悪い役所名だ。

 最早疑いようはなかった。ここは死亡した人間が集められている。間違いなく、自分は死んだのだ。

 決定的になってみると、思っていたよりも死亡という事実が重くのし掛かってきた。痛みを堪えるようにきつく目を閉じる。

 心春を巻き込んでおらず、ひとりだったら、声をあげて嘆いていたかもしれない。

 目を開くと、尊流は気を取り直して、係員の女性に別の質問をした。


「それで、これはなんのために書く書類ですか?」


 指先で死歴書を指した。


「死歴書は、亡くなられた方の身元と経歴を分かりやすく文章化して、このあとの面接で使う資料にするためのものですよ」


 係員の女性は笑顔で説明してくれた。その微笑みと口調は堂に入っているように見える。若いから新人と思ったのは誤りだったかもしれない。

 さらに、この後には面接が控えているらしいとわかり、尊流の気持ちは萎えた。が、いまはそれは置いておくとする。


「これ、どこを書けばいいんですか?」

「名前だけで結構です」

「え? 名前だけでいいんですか?」

「はい。名前さえ記入していただければ、こちらで調べた情報を元に自動で記入されます」


 全てがアナログに見える手続きの中で、妙なところだけやけにハイテクというか、幻想的だと感じた。


「あ、ただし、くれぐれも表示された内容を勝手に書き換えたりしちゃダメですよ。こっちで現世での行いを厳正に調査したものを乗せているんですから。そこに記されたことに対してどれくらい真摯に反省しているかを見る面接なんですから」


 面倒くさいな、と尊流は思った。


「これ、適当な名前を書いたりしたらどうなります?」


 係員の女性は一瞬眉をひそめて険しい顔を見せたが、すぐに笑顔になり、くすりと笑った。


「該当の名前がなければなにも書かれません。万が一書いた名前と同じ方が亡くなられていたとしても、その後の面接で必ずボロが出ます。そのときに嘘が判明したとしても、とくにペナルティはありませんよ。せいぜいあなたに対する面接官の印象が悪くなる程度です」

「それは嫌ですね」


 何を面接するのか知らないが、死者の今後を決める面接の場だとするなら、それはなかなかのペナルティだ。

 尊流の隣では心春が不安そうにこちらのやり取りを見ていた。


「ちょっと待ってて」


 心春に伝えてから、係員の女性を連れて席をはずす。

 壁際まで係員の女性を連れ出して、声をひそませて耳元で囁いた。


「あの、面接に落ちたら、地獄いきですか?」


 係員の女性は尊流から顔を離して首を左右に振った。


「いいえ……あ」


 とっさに答えてしまってから、女性はしまったといった様子で口許を指先で押さえた。しかしすぐに、もうしょうがないか、といった顔をして続けた。


「詳しいことは言えませんが、最近は地獄に行く死者の方はかなり珍しくなりました。よほどの悪事を働いた経歴でもない限り、ほとんどの人は極楽往生することになります。ただ、そこにたどり着くまでの道程が違ってくるだけです」

「道程?」

「現世での行いや反省の度合いで、極楽往生までの道が最短ルートになるか、遠回りになるかが決まります。その道程を裁定する面接だと思ってもらえれば結構です」


 しめた、と思った。つまりここは、まだ天国でもなければ地獄でもない、というわけだ。


「面接って、ひとりずつですか?」


 係員の女性は首肯した。


「記入のあとに整理番号が発券されますので、番号を呼ばれたら部屋に入っていただきます。ただ、夏場は込み合う時期なので、かなりお待たせすることになると思いますが、ご了承ください」


 あまり悪びれる様子もなく、淡々と説明していく。こういった質問も日々繰り返しされているのだろう。


「すみませーん!」


 と呼び掛ける声に、係員の女性は「はーい」とすぐに返事をしていた。


「では、失礼します」


 一礼したあと返事も聞かずに踵を返す様子をすこし残念に思いながら、忙しいときに長々話しをさせてしまったことを悪いと思った。

 女性の背中に「ありがとうございます」と返して、尊流は長机に戻った。


 尊流が席に戻ると、心春が机に顔を突っ伏していた。


「どうしたの、心春ちゃん?」

「ふえっ?」


 勢いよく顔を上げた心春の目はしっとりと濡れていた。


「な、なんでもない」


 そういって両手で目をぐりぐり擦って涙を拭う。


「なんでもなくないでしょ。なにがあったの?」


 尊流が席を離れる前と違うところといえば、三人掛けの机には心春ひとりしか座っていないという点だ。


「ここの人は?」


 尊流は見ず知らずの死者が座っていた、乱れたパイプ椅子を示した。


「も、もう書いて、どこかに行っちゃった」


 あまり聞いてほしくなさそうに、伏目がちでいう心春。


「もしかして、なにかされた?」

「え……う、と、べ、別に……」


 可愛そうなくらいしどろもどろで心春は答えた。


「なにされたの?」

「ちがう、あたしが余計なことしちゃったの! お節介って言うか……」


 尊流は椅子を引いて座った。


「なにしたの?」

「……言いたくない」

「そう。なら、無理には聞かないけど」


 尊流は自分の死歴書を引き寄せてボールペンを手に取る。

 心春と会ったのは、体感ではまだ数時間前のことでしかない。ほとんど何も知らないのに、本人が言いたくないということをケンカ腰で無理やり聞きだすようなことはしたくなかった。


「心春ちゃんはもう書いた?」


 話題を転じる尊流の質問に、心春は左右に首を振りながら「書いてない」と素っ気なく答えた。


「名前を書くだけでいいんだって。簡単だね」

「……知ってる」


 カチッ、コチッ、とボールペンの芯を出したり引っ込めたりして、やっと名前の欄に書き込む。


「桜井尊流、と」


 名前を書いたとたん、青かった用紙の色がスーッと白に変わり、空白だった欄にじわじわと文字が染みでてきた。生年月日に生前の住所、家族構成、簡単な過去の経歴に、死亡時の詳細な様子までがあっという間に印字された。


「おお、すごい! 見て見て、心春ちゃん」


 心春に見せると、ちらっと死歴書に目を向けてくる。


「さっき見た」

「え、そうなの? あ、もしかしてここに座ってた人の用紙を見たってことかな?」


 尊流は空席になった左隣を見て言った。


「そう。でもその人、なんかいろんなとこ書き直してた」

「書き直し? どうやって?」

「文字の上に二本線引いて。だからあたし、名前書くだけでいいんだよって、教えてあげたの。そしたら、ここに書いてあることはデタラメだって言い出して」

「デタラメ?」


 尊流は死歴書に浮き出た項目を流し読みしてみる。住所氏名年齢などに誤りはない。学歴もそうだし、死亡時の詳細も細かく記載されている。


「備考欄に嘘をつくことが多いって書かれてる……どうやってこんなこと調べてるんだろうね」


 気恥ずかしいのを誤魔化すために笑うと、心春は「そこ!」と強く言った。


「そこ?」

「そう! その備考欄! そこに座ってた人、なんかそこに嘘が書いてあるって言ってたの! おれは殺してない、あいつが勝手に死んだだけだ、とか言ってた!」

「うわっ、それホント? 隣にいた人、凶悪犯だったりしたのかな?」

「そういう感じじゃなかったけど……でも、書かれたことを変えちゃダメって言ってたでしょ」

「ああ、たしかにさっきの職員の人言ってたね」

「だからそれも教えてあげたの。そしたらまた怒鳴られて……」


 心春の目に涙が浮かんだ。相当怖い思いをしたらしい。

 ここまで来て、早々に事態を把握した死者も、わけがわからずついてきただけの死者も、自分の置かれた状況を細かく理解してきたのだろう。少しでも印象をよくさせようとなりふり構わなくなっている。そして死後にまでいい人ぶって、他人に気遣うことをやめ始めた。


「心春ちゃんも、もう誰かに気遣うのはやめたら? みんな死んでまで他人を大事にしようなんて思わなくなってるんだよ」


 心春は悲しそうに眉をひそめた。


「じゃあ、このあとは? 天国か地獄かわからないけど、そこにいったら、誰かのためになにかをしてあげられるようになる?」


 尊流は黙るしかなかった。死後の世界なんて尊流だってはじめてくるのだ。このあとの面接を終えた先にある極楽往生が天国なのかなんなのか知らないが、そこに現世のような喜怒哀楽やしがらみが存在するとは思えない。


「ぼくにだってわからないよ。だけど生きている間の嫌なこととか面倒なこととか事件とは無縁の世界なんじゃないかな?」


 尊流の言葉を、心春は沈痛な面持ちで聞いていた。

 なぜ心春がこうも他人に構うのか、すこしだけわかった気がする。心春は現世に未練がある気がする。まだ死にたくないと思っているのかもしれないと、尊流は思った。


「とりあえず、この死歴書は書いても大丈夫みたいだから、名前は書いてもいいと思うよ」


 記入を促すと、心春は「うん」とちいさく答えて、小さく丸い文字で名前を書いた。

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