第2話 黄泉役所1
緩やかに速度を落としたバスは、広い駐車場を有する建物の敷地内へと入っていった。
周囲を森と草原に囲まれた平地に四階建てくらいの コンクリートの施設が三棟立ち並んでおり、真ん中の施設の入り口に向かってずらりと人々が列を作っていた。
広い駐車場をグラウンドに変えれば、まるで小学校のような場所だと気がつき、尊流は妙な懐かしさを感じた。
バスは駐車場の中をうろうろした後に、建物に近い場所に停車した。
乗っていた人々が各々立ち上がり、順序よく降りていく。
後方の席に座っていた尊流と心春は、年配の人が降りていくのを待ってから席を立った。せまいバスの通路を先行して歩いていた心春が、不意に足を止めた。
「あの人、なんで降りないんだろう」
あらかた人が降りた車内で、微動だにしない人がいた。窓際の席に座った恰幅のいい中年の男性で、黒い革のジャンパーに汚れたジャージのズボンを履いていた。
ちらりと確認したきり、尊流は顔を背けた。
「さあ? 寝てるだけじゃないかな。起きなかったら運転手が起こすから大丈夫だよ」
関わり合いを避けようとする尊流に反して、心春は小走りに男に近付いていった。
「ちょっと、やめときなって」
尊流の忠告を無視して、小張は男性の肉厚な肩を揺すった。
「あのー、もう着いたみたいですよー」
男は薄く目を開けて心春を見ると、何事かを呟いて再び目を閉じて寝る大勢になった。こういう手合いとの関わりはなるべく避けるべき、というのが、一八年間人目を気にして生きてきた尊流の信条だった。そうでなくても、男の態度から明らかに剣呑な様子が見て取れる。
「行こう、心春ちゃん。おいてかれちゃうよ」
尊流の言い方は逆に心春の行動を後押ししてしまったらしい。さっきよりほんの少し力を強くして、心春は男性の肩を揺する。
「おじさん、起きて! みんな先に……」
「うるせえなあ……!」
荒々しい声と一緒に丸太のような腕を振る。
「きゃあ……!」
短い悲鳴をあげて心春は弾き飛ばされ、廊下に尻もちをついた。
「危ない!」
突き飛ばされた勢いで手摺に後頭部をぶつけそうになる心春を、尊流は間一髪で阻止した。思わず触れた心春の背中は、尊流の片方の手のひらで支えられてしまうくらい小さかった。
「あ、ご、ごめん、ありがとう……」
強張った心春の身体から力が抜けていくのを手のひら越しに感じた。
「行こう、心春ちゃん。関わらないほうがいいって」
「でも……!」
なおも男性を起こそうとする心春の手を引いてバスから降りた。
一歩外に出ると、澄んだ涼風が頬を撫でて通り過ぎていった。空は夜明け前のような白と青で、バスに乗車しているときから空模様が変化した様子はない。
ふくれっ面をした心春を連れて、尊流は舗装された駐車場を歩いた。
「なに、あれ! 信じらんない! せっかく起こしてあげようと思ったのに!」
「いや、どう考えても起こして起きるような人には見えなかったでしょ……」
尊流はげんなりとしながらいった。心春の心遣いは正しいと思うが、それが親切に値するかどうかは相手によるだろう。
「心春ちゃんてすごい行動力あるよね」
ちらっと尊流を見る心春は不満そうに口を尖らせて言った。
「……そんなことない。お兄さんを助けようとしたのがはじめてなくらいだし」
「そうなの? そしたらなんでさっきはあの人を起こそうとしたのさ?」
「だって……」
と、言いかけて、心春は一瞬言葉に詰まった。しかしすぐに不機嫌な様子で言葉を繋ぐ。
「いいことをしておけば天国に行けるかもしれないでしょ? 地獄に落ちても、お釈迦様がクモの糸を垂らしてくれるかもしれないし!」
「そ、そんな理由で?」
「大事なことでしょ! もし本当に死んじゃったんだとしたら、なるべく天国にいきたいし」
心春は自分が死んだことを必死に受け入れようとしていた。
尊流にはまだ、自分が死んだという実感はない。実感がないのだから、自覚もなかった。
善行を積んで印象をよくさせようという心春の考えは、たくましくていい考えだと、尊流は思った。
駐車場には様々な沿線のバスが停車していた。尊流は目につく範囲でバスの行き先を読み上げてみた。
「那覇とか小樽って、あれ、沖縄とか北海道の地名じゃん。そんなところからバスで来てるってことなのかな」
独り言のように口にすると、隣を歩いていた心春が同じくバスのほうを見た。
「そんなに遠くないのかも。てゆうか、ここが日本のどこなのかもわからないし」
「たしかに」
事故に遭ったのは東京都内ではあっても、ここがそうとは限らない。
目の前にそびえる建物は小学校の校舎のような建物ではあるけれど、その周りは長閑な田舎の村といった様子で、遠くには丘陵と山が見えるだけだった。
無駄に広い駐車場は八割ほどが埋っていた。広い駐車場は土地に余裕がある田舎の様子に近い気がするものの、駐車している車の多さと人の数は都会を彷彿とさせた。
「バスだけじゃなくて、タクシーもあるんだな」
大型バスの隙間から黒塗りのタクシーの姿がちらほらと見えた。タクシーから降りてくる人は、なんとなくバスから降りてくる人々とは雰囲気が違うように見えた。勝手知ったる様子というか。流れに身を任すだけになっているバスの乗客たちとは違って、自分達の意思でこの後どうするのかを決めているように見える。
もっとも不可解なのは、その者たちが向かう先は、中央の本館ではない、という点だ。
「死者のみなさぁん! 一般受付は中央の本館一階でぇす! 込み合っておりますので、お早めにお並びくださぁい!」
駐車場の角で制服を着た係員らしき若い男性が「受付はこちら」と書かれた大きなパネルを持って声をかけていた。
その声に導かれるように、バスを降りた人々がぞろぞろと中央の一番大きな建物のほうへ向かって歩いていく。
「死者って言っちゃってるじゃん」
と、尊流は呆れた。
ここまできたら、もはや隠す必要はないのかもしれない。向こうも仕事で、ずっとそういう言い方をしているのだろう。
路上には一定の間隔で係員らしき人が道順の書かれたパネルを掲げて立っていた。列に並ぶ死者に声をかけつつ、逆に死者からの質問に答えたりもしていた。
まるで役所の手続きに並ぶようで、尊流はうんざりとした。
「なんだか確定申告の開場みたいだなぁ」
昔、自営業の父親の確定申告に付いていったときに見た税務署の開場を彷彿とさせた。立っている係員の格好もなんとなく税務署の職員と似ている気がする。
ふいに、尊流の左手の袖が引っ張られた。見ると、不安そうな顔で尊流の服の袖を掴む心春の姿があった。
他に頼る相手がいないとはいえ、自分が死ぬ原因を作った相手にすがるしかない少女の姿を見て、尊流は余計に申し訳ない気持ちになった。
「わからないことがあったらぼくが職員の人に聞いてあげるから」
「う、うん」
大勢の死者を見て、急に不安になったのかもしれない。尊流の励ましを受けても、心春の顔は曇ったままだった。
心春と自分の命を奪ったのはトラックだったとしても、原因を作ったのは尊流自身の不注意にある。実質、尊流が心春を殺したようなものだ。
(僕が死ぬのはもう仕方がないと割りきるとしても、この子がこのまま死ななきゃいけないのは、どうしても納得できない……!)
左手に握った小さく柔らかい手をすこしだけ強く握り返す。
(とにかく、手続きの様子を見てから、なにか方法がないか探ってみよう)
心春の手を引きながら、死者の列に混じって本館一階の受付へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます