異世界転生制度を利用します。~破ってはいけない3つの厳守事項~

浅月そら

第1話 序

 ゴトゴトと激しい音を立てて揺れるバスの後部座席で、桜井尊流さくらいたけるは微睡みから目覚めた。

 浅い眠りから目覚めたような気だるさが全身に残っている。しかし気分は悪くない。微熱を持っているときのような奇妙な浮遊感がある。どうやらそれを気だるさと認識しているようだった。

 電気の半分消えた車内は薄暗く、ブルーライトのような青白い明かりが、乗り合わせた二十人ほどの乗客をぼんやりと照らし出していた。外は薄暗く、夜明け前のような青い世界をしていた。

 尊流は片手で顔の半分を覆って俯く。なぜ自分がバスに乗っているのか、どうしても思い出せない。

 よくある市営バスの内装に近い。車内の前方にある電光掲示板は、暗い沈黙を示していた。行き先がどこなのかわからないし、ここがどこなのかもわからない。

 左隣を見ると、せまい通路を挟んだ先に年配の男性が座っていた。バスの揺れに合わせて身体を揺らす横顔は厳めしく、仏頂面をしている。

 基本的に人見知りのうえに口下手でもある尊流は早々に話しかけるのを諦めた。


「ねえ」

「おわっ……!」


 反対側から声をかけられて、思わず声を上げた。

 すぐとなりに小学生くらいの女の子がちょこんと座っていた。セミロングの黒髪を襟足で二つに分けたゆるい三つ編みにワンピースの可愛らしい子だ。

 今年浪人一年目の尊流と並んでいる様子は、傍目から見れば兄妹に見えなくもない。

 女の子は可愛らしい丸顔の頬を膨らませて、じろっと尊流を睨みつけていた。

 いきなりバスの中で目覚めて、初対面の女の子から不快を顕わにした目で睨みつけられて、尊流はいよいよ混乱した。


「だ、だれ?」


 尊流が問うと、女の子は悲しそうに眉尻を下げた。


「やっぱり覚えてないんだ……」


 視線をそらして不貞腐れる。その様子は存外に大人びて見えた。

 再び尊流を睨んでくる女の子と目が合う。じろじろ見ていたことを恥じるように、今度は尊流が目をそらした。


「あんなことがあったのに、よくへーきで寝ていられるわね」

「あんなこと?」


 復唱しながら女の子に視線を戻す。


「君……あ、えっと、ごめん、名前教えてもらえる?」


 女の子は艶やかな黒髪をふわりと揺らしてそっぽを向いた。


「ひとに名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀よ」


 明らかに年上の人間に対して敬語を使わないのもどうなんだ、と思いつつ、尊流は「そ、そうだよね」と言って愛想笑いをした。


「ぼくは桜井尊流……」


 浪人生と宣言するのを躊躇った結果、中途半端な自己紹介になってしまった。


「……おしまい?」


 と女の子が訝しそうに問う。


「う、うん」


 一瞬、女の子は困ったように顔をしかめた。


「お兄さん、高校生?」

「いや……卒業したばっかり。十八歳」

「へえ、あたしより五つも年上なんだ」


 どうやら好奇心の旺盛な子らしい。大きな瞳でじっと見つめて、興味深そうに聞いてくる。

 会話の中に聞き捨てならない言葉があり、尊流は「ちょっと待って」と言葉を挟んだ。


「え、五つって……じゃあ十三歳?」

「そうよ」

「……中学生?」

「一年生」


 見えない、と尊流は内心で叫んだ。今日日の女子中学生の発育など尊流には知る由もないが、それにしても顔も体型も幼い。


「なによ? なんか文句ある?」


 不満そうに尊流を睨む。


「ご、ごめん、ないよ」


 とっさに謝ると、女の子はそれとわからないくらいちいさくため息をついてから言った。


「……楠城心春くすのきこはるよ」


 心春の自己紹介はバスのエンジン音に消されそうなくらい小さく投げやりなものだった。


「くすのき、こはる……」


 口の中で呟き、過去の記憶を手繰ってみても、この心春という女の子との接点が見当たらない。女兄妹のいない尊流には、女子中学生との接点なんてあるはずがなかった。しかし、心春は尊流のことを知っているふうに話している。


「ごめん、どこかであったことあるかな?」

「ないかな。さっき会ったばっかりよ」


 心春は左右に首を振って投げやりに言った。


「さっき? ぜんぜん覚えてないけど」

「そうでしょうね」


 心春は顔を背けて吐き捨てるように言う。かなり苛立っているように見える。

 心春の苛立ちは尊流に伝染した。知らず知らずのうちに心春になにかをしてしまったのかもしれないが、事情も話さず一方的に不機嫌になられるのは、尊流側からしても理不尽に思えた。


「ごめん、ぼく、君になにかした? それなら謝るよ?」


 なるべくきつい言い方にならないように配慮したつもりではあったけれど、尊流の語気は荒くなった。

 細い肩をびくりと震わせた心春は、今度は可哀想なくらいオロオロと狼狽え始めた。


「え? ち、ちが……べつになにもしてないわよ……!」


 心春のしどろもどろな様子を見て、尊流は自分の大人げなさを恥じた。


「ごめん、責めるつもりはなかったんだけど……」


 ふたりは同時に黙り込んだ。気まずい沈黙が、エンジン音が響くバスの車内に溶けてく。

 最後尾の座席からはバスの中の様子が見渡せる。どうやら会話をしているのは尊流と心春のふたりだけのようだった。ただし、乗り合わせた他の乗客にそれを気にする素振りはない。乗客の平均年齢は六十から七十代。年配の利用者が多く、ほとんどのものがこのバスに乗っていることに対して違和感を持っていないように見えた。

 沈黙を破って尊流が口を開く。


「心春ちゃんは、ここがどこかわかる?」


 やや間があってから、心春はちいさく「わかんない」と答えた。


「そっか」


 尊流はがっかりした感じを出さないように顔を窓のほうに向けた。ため息は心春を責めることになる。


「わかんないけど……」


 と続いた声で、顔を心春に向け直す。


「ここがどこかは、わかんないけど、あたしたち、死んじゃったんだと思う」

「……え? 死んだ? ぼくたち?」


 心春はまたコクンとひとつ頷いた。


「あー……」


 気の抜けるような声が尊流の喉奥から漏れ出た。

 少女が何を言っているのか理解できない。いや、理解したくないという気持ちも少なからずある気がする。


「えっと……どうしてそんなふうに思うの?」


 無意識に問い返すと、心春の小さな手が尊流の服の袖を力いっぱい握りしめた。


「お兄さん、どうして赤信号なのに歩いていったの?」


 心細げな声で訴える心春の顔を見て、尊流は全身から血の気が引いていくのを感じた。

 唐突に、頭の中にある光景が蘇ってきた。


「だ、だって……隣の人が歩きだしたから……」


 そうだ。横断歩道で信号待ちをしていたんだ。イヤホンを耳に差して、ソシャゲのガチャを引いていた。視界の隅で、同じく隣で信号待ちをしていた誰かが歩きだしたのだ。


「てっきり、信号が青に変わったんだと思って……」

「赤だよって、なんども呼んだのに」

「ごめん、イヤホンをしてて……」


 誰かに手を引かれた気がする。いきなり左手を引っ張られて、驚いて後ろを確認しようと思ったその瞬間、前に目の景色が反転したのだ。少し上から、大型トラックが交差点に左折してきているのが見えた。周りの騒然とした様子も。


「もしかして、ぼくの手を引いたのって……」


 言いかけて、言葉が詰まってしまった。もしもあの瞬間、手を引っ張ったのが心春だったとしたら、当然事故に巻き込まれているだろう。

 そしてここが死語の世界だとするなら、尊流が死んでいる以上、心春もまた命を落としているということになる。


(そんなバカな話があってたまるか。死後の世界なんてあるわけない! これは夢だ……!)


 そんな尊流の思考を、心春の苦笑が一瞬にして壊した。


「あたしじゃ助けられなかった。ごめんなさい」


 その言葉で、尊流の胸は潰れてしまった。罪悪感と後悔がものすごい勢いで押し寄せて、胸が痛いくらいだった。


「……なんで……」


 尊流が言葉を絞り出すと、心春は両手を振って慌てた。

「だ、だって、お兄さん重いんだもん。あ、引っ張るんじゃなくて、突き飛ばせばよかったのかな? ドーンて押し出せば……」

「そうじゃなくて……!」


 尊流は声をひそませて叫んだ。ここがバスの車内ではなく、例えば人気のない道端だったなら、大声で心春の言葉を遮って、道路に頭突きをくれていたかもしれない。爪が手のひらに食い込むくらい強く握りしめて、尊流は自身の愚かさに打ち震えた。


「君が謝る理由なんて、ひとつもない…!」


 食いしばっていた奥歯がずきずきと痛む。それなのに、呼吸を忘れていても一向に苦しくならない。心臓の鼓動を一切感じない。

 胸に手を当てるだけで簡単に確認できる。自分はもう、死んでいるのだと。

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