第11話

 カフェCielシエルのドアベルは、開ける人によって異なる音色が響く。静かに開ける人。力強く開ける人。足音と同じで、人となりを表しているように聞こえる。


 カラン

 この音色は――。




 昨夏の出来事のあと、当惑していた私とは対照的に、何も変わらず今まで通りに過ごすハル君。まるで、あの日が存在しなかったかのように。

 あといくつかの季節が過ぎ去れば、私のことも忘れてしまうのだろう。

 溜息をきっかけに、見つめる側に変わったのだと気付いた。


 でも、そう思っていたのは、春が来る前までの話――。


「映画のチケットがあるんだけど――」

 春一番が吹いた翌日。ハル君が映画に誘ってきた。まだ慕ってくれているのだろうか。好意はとても嬉しいけれど、私は1年後に東京ここを離れなければならない。だから、あなたに見合う、ずっと傍にいてくれる人を探して欲しい。

 と、思いを伝えた……はずだったのに。


「テンちゃん。大好きって言うのに理由が必要なの?」


「えっ…………」


「僕は、僕の気持ちは替えられない。離れていても、気持ちまでは離れないよ」


 言われた途端に、隠していた気持ちが湧き出てきた。たくさんの仲間たちから、私ひとり離れて行く寂しさ。大切な毎日を失う怖さを。


「……すぐにお別れしなければいけないんだよ?」


「そんなの……。どこにだって会いに行く。辛いことがあるなら寄り添って、必ず守るから」


「やめてよ……」


「ずっと一緒にいたい。大切な人だから……」


「やめて……」


 それ以上言われたら、泣くから……。


「好きって言わせて」



 みんなは私ひとりに別れを惜しめばいいけど、私はたくさんの人にさよならを言わなければならない。私の方が辛いんだと決めつけていた。誰もが平等に同じ想いなのだと気付けずに。


 ごめんなさい。ハル君の気持ちを尊重してあげられなくて。あなたは私が考えていたよりずっと大人で、自分軸を持った強い人だって気付かされた。私も素直にならないといけないよね……。




 明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは


 遅咲きだった桜は、新年度が始まるまで可憐な花を見ることができたが、今では緑葉に覆われた枝を揺らしている。


 大学生活は最後の年が始まっていた。

 昼下がりの図書館。履修しているゼミの教授が課題を渡し忘れていたため、期日が目前に迫っていた。ゼミでは与えられた課題から、演習方式で制作・発表をする機会がある。私とみなみは分担して、課題に使う資料を探していた。


「参考になりそうなのが見つからないね……」


「見つからないと言えば。テンちゃんのイヤリングは見つかった?」


「ああ、そうだ。ハル君から見つけたって連絡があったの。南も探してくれてありがとうね」


 失くしたのは母から貰ったイヤリング。気に入って着けていたのに、片方を落としてしまった。学生課にも届いておらず、諦めかけていたのだが――。

 偶然ってあるものだ。キャンパスを歩いていたハル君が、たまたま座ったベンチの足元で見付けた。『あったよ』というメールが先ほど届いていた。


「ハル君ねぇ……」


「あっ……」

 そう呼んでいるのは南も知っているものの、普段『ハル君』と呼ばない人に聞かれると恥ずかしく感じる。


「なんかさ、最近仲がいいね」


「えっ、そうかな……?」


「テンちゃん、綺麗になったし。心配……」


「心配ってなに? ほっぺ膨らんでるよ」


 指先で南の頬をつつく。


「だってー」


 腕を絡めてくる南の手首にも、お揃いのブレスレットが光る。

 心配いらないよ。南も心の通い合った大切な親友なんだから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る