第10話

 日曜日。私たちは電車に乗って海へと向かった。

 ハル君が調べてくれた水族館は、最寄駅からほんの数分。ビーチに並ぶように建っていて、周りには水着姿ではしゃぐ海水浴客も多くいる。


 チケット売り場に並びながら、「学生証、持ってきた?」と聞いたら、「今日は僕がアテンドするんだから、財布はしまっておいて」と言われる。男らしさを見せようとしているのが微笑ましい。

 今日のデートプランも彼が決めてくれたようなので、私はそっと見守るだけにして全てお任せしよう。



「あっ、ペンギンが泳いでる。かわいい!」


 お目当てのペンギンは大きな水槽で縦横無尽に泳ぎ回っていた。慣れているのか、カメラを向けたら泳ぎを止めてこちらを向く。日常生活では見ることのできない可愛らしい姿に癒される。

 気が付けばすっかり水族館を楽しんでいた。本当の恋人同士みたいに手を取り合って、水槽から水槽を見て回る。イルカショーやウミガメの観察、サメ肌の体験など、館内は全てのエリアで存分に楽しめた。


 水族館を堪能したあとは、ハル君が予約したお店でディナータイム。海を見渡せる窓際の席で、沈む夕日を見ながらの食事も格別だ。



「今日は楽しかった。ありがとね、ハル君」


「このあと砂浜の方へ行ってみない?」


「そうね……。ヒールの高い靴で来ちゃったから、砂浜はちょっと無理かな……」


「裸足になっちゃえば? 水際まで行こうよ」


「ええ? 海に入るのは嫌だ……」


「あははっ。そんな深いとこまで行かないよ。あれ、もしかして水が怖いの?」


「……うん」


「泳げないんだ?」


「あ、いま笑ったでしょ!」


「笑ってないよ」


 むつみ合う二人の時間が流れていた。

 なんだろう? 南とは違う居心地のよさを感じる。気付かなかった。ハル君が目を細めて笑うと、必ず現れるえくぼを愛おしく思うなんて。


「いいところを見つけたんだ。水族館の裏にあるオーシャンデッキなら、歩いて海が見える場所まで行けるよ」


 館内テラスの下に、海辺を見渡せる通路がある。ここから海に沈む夕日を見るために、訪れるカップルもいるらしい。すでに日は落ちてしまったので、辺りには人気もなく、波の音だけが聞こえてくる。海沿いの建物の明かりで、波間がキラキラと光り輝く。遠くを航行する貨物船の灯りも見える。深い夜空の星が趣を添えていた。


「わぁ、きれい……」


 田畑ばかりの山間部で育った私には、とても新鮮な風景だった。昼間なら、また見え方も違うのだろう。左にある小島の頂上に、一段と明るい塔が見える。


「あれは灯台かな?」


 横に立つハル君の視線が、私に向けられていることに気付く。

 どうしたのかと思う間もなく、顔が近付き、唇が重なった。

 少し乾いた、柔らかな肉質と温かみのある肌の感触。上気した息遣い。


 そっと彼の胸を押し戻す。


「……だめだよ、ハル君」


「だめなの?」


「……ごめんね」


「テンちゃんとずっと一緒にいたい」


「ハル君。私はあなたの寂しさを埋めるためのじゃない」


「…………!?」


「目標を持って歩んでいたんじゃなかったの? いま大切なのは私じゃないでしょう? あなたの進む道を見失わないで」


「そうだけど! テンちゃんも必要なんだよ」


 心が揺らぐ。澄んだ目の奥に見えるものは、紛れもなく素直な気持ちなのだろう。だけど、ときめきだけの恋に惑わされないで欲しい。ハル君を本当に必要としてくれる人が現れるまでは。

 黙って首を振るのが精いっぱいだった。


 私の肩を抱いていた掌が、力を失い、腕を滑り落ちて行く。手首に付けていたブレスレットに触れ、見つめ合っていた彼の視線が下へ向く。


「これ……、お店で交換していた……」


「えっ?」


 南と買ったブレスレット。交換したのはCielシエルの店内だった。

 そうか、あの時もハル君は見ていたんだ。


「僕が入る隙間はないのかな」


 close to you...

 パッケージに書かれていた文字。きっと3人が同じ想い。


「……ごめんね」


 私はハル君の未来を応援しているから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る