第30話 つらいお仕事
トントンとリズムよく包丁の音が響く。
市場で買ってきた野菜を一口大に刻む音だ。
キッチンに立っているのは魔王討伐達成者である、元勇者のアース君。
彼は無言で野菜を切り分けて、なべ底に敷き詰めるようにせっせと移している。
今日の晩御飯であるポトフを作ってくれているのだ。
「要するには、能力は不詳……って名目で、特に持ってないってこと?」
「僕の知る限りではね。魔王が討たれた後に、何かしらの権能を手に入れている可能性はゼロじゃないけど」
当番である彼以外の三人、私とレイ君とセルフィーナさんはリビングのテーブルに集まり、仮想敵である魔将ヘブンマックスの情報を再確認していた。
「ですが、武人気質だというからには、そこを覆してくるでしょうか」
「あんまりなさそーよね。魔眼だって直接戦闘用にチューニングしたんでしょ?」
セルフィーナさんの指摘に、レイ君が頷く。
「ヘブンマックス・メネラオスが魔王から分け与えられた魔眼の効果は、彼自身の強い要望によって特殊な権能を一切排したものになった。詳細を知ることはできなかったけど、予想するには直感の強化や、動体視力の底上げなんじゃないかな」
果たしてそれは魔眼と呼べるのだろうか……普通に目のいい人というだけでは……?
「実際問題として、こと剣技に関しては魔王軍の中でも彼に匹敵する存在はいなかった。魔将になる前からだ。魔眼を手に入れて以降の彼は、手が付けられない強さだったよ」
話を聞いているだけでも、少しずつ身体の熱が高まっていくのを感じる。
魔族における最高峰の剣客、それは果たして人類基準ではどれほどの高みにいるのだろうか。
「……で、問題はそのヘブンマックスに関して、私たちの出番はなさそうってところだけどさ」
冷や水を浴びせるようなセルフィーナさんの言葉。
殿下からその指示を受けた時には、流石の私も危うく崩れ落ちるところだった。
『いや魔将が潜伏中の可能性があるって報告は嬉しいんだケドさぁ……その対応に君の小隊だけを当てるって、そんな馬鹿な指示を出すわけがないだろう? 大隊長たちには魔将の撃破実績がある、彼らにも出張ってもらうのは当然じゃあないか』
ぐっ……大隊長たちが出てくるのなら、よりにもよって私は彼らのうち一人を傷つけて左遷された身、前線に出られる機会は限りなく低い。
「それでも情報提供で役立てるところはあるだろう」
「いいのかよ。誰でも出所が気になる情報になるぜ、あまりにも魔王軍に詳しすぎるんだから」
具材をじっくり煮込む時間に入ったらしく、アース君がキッチンから声を飛ばす。
「僕が破滅するとしたら、同時にテルミット殿下も破滅するよ。それは──」
「普通に危ないんじゃないですか? あの人、結構自分のこと嫌いみたいですし」
何やら皮算用しているらしきレイ君の発言に、私は待ったをかけた。
「……どういうことだい?」
「破滅主義とはまた違うんですけど。殿下と話してると時々、この人って数秒後に自分が死ぬかもしれなくても、どうでもいいんだろうなと感じる時があります」
死を常に意識している人間に特有の感覚というか。
言葉尻とか、表情とか、そういうのに生への執着が感じられない瞬間がある。
ここにいる三人は、何なら経緯や境遇を考えると立派に自分の命に執着があると思う。
「カナメちゃんは人を見てるようで見てないようで見てるわよね」
「何ですかその面倒くさい重複構造」
セルフィーナさんの言葉に、男子二名も深く頷く。
普通に見ているつもりなんだけどなあ。
「ひとまずは魔将に関する情報をまとめて提出しつつ、騎士団本隊の動きを見守ろうじゃないか」
「その辺はどうよ、カナメ。お前の認識で、騎士団はヘブンマックスを討滅できると思うか」
私の知る騎士団が、魔将を斃せるかどうか……
「レイ君、私と君が共通して知る人間に例えるなら、その魔将の強さはどれくらいですか?」
「……僕が直接見たアースの戦闘では、恐らくヘブンマックスに太刀打ちできないだろうね」
なるほど、なるほど。
「そりゃそうだろ、あの時はほぼ何もさせてもらえないまま完封されたからな。他の魔将と戦った記憶とか、ヘブンマックスと戦った時の感覚とかを探っても、まあ全力出さなきゃ勝負は成立しねー感じがある」
「え? 君らどっかで戦ったの? なんで?」
「色々あったんだよ」
三人の会話を聞き流しながら、私はヘブンマックスと騎士団の戦闘をイメージする。
…………。
「結論は出たかい?」
思考に没頭している間に、少し時間が経過していたらしい。
いつの間にかテーブルの上にはおいしそうなポトフをぎゅっと詰め込んだ鍋が鎮座していて、三人は小皿にそれを取り分けていた。
「これカナメちゃんの分」
「あっ、ありがとうございます。えーとはい、そうですね……」
セルフィーナさんから気持ちお肉多めによそってもらった皿を受け取りながら。
私は自分でも分かるほどに苦々しい表情を浮かべるしかなかった。
「騎士団はヘブンマックスに勝てないでしょう……壊滅的な被害を受ける可能性が高いです」
◇
王都の周囲をぐるりと周る形で、騎士団は定期的な警邏を行っている。
めったにないことではあるが、都の周辺で活動する山賊や、王都への侵入を試みる怪しい集団などはいるものだ。
私たちから挙げられた報告は、ひとまずヘブンマックスが王都近辺に潜伏している可能性が高いとして、警邏する騎士の増員並びに監視範囲の拡大という指示に落ち着いていた。
『……で、私たちは何をすれば?』
『君たちの報告あっての警戒態勢だからねェ。流石に監視までやれというには連携体制がとれていないけど、物資の運搬の手伝いぐらいはしてもらおうと思ってさ』
殿下からそう指示を受けて、私たちは警邏中の騎士団部隊へと物資を運ぶ、外注輸送部隊の手伝い・警護に当たることとなった。
ここで重要なのは、物資というのは王都の中から運ばれるものではないということだ。
近隣の都市まで一度出向き、そこで物資を調達してから警邏中の部隊のベースキャンプへとはこぶことになる。
王都の騎士に王都で仕入れた物資を割り当てた場合、騎士への賄賂の発覚件数が数倍に跳ね上がったことがあるらしい。
信じられない話だ。賄賂を受け取るのはもう騎士じゃない。
「こんにちは」
というわけで私たちは、先んじて物資を用意している輸送部隊と合流するべく、王都の隣の都市までやって来ていた。
いささか活気で劣るものの、王都近くとだけあって人の数は多い。
「テルミット殿下のご命令で参上いたしました、カナメといいます」
そんな都市の一角で、私たちは商工会の倉庫に入り、輸送部隊の方々と顔を合わせている。
騎士団がよく外注先として提携している輸送会社の彼らは、使い込まれた作業着に身を包み、こちらを無表情で見つめていた。
「ふぅん、その若さで隊長なのか」
「若輩者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
私は笑顔を浮かべて、輸送部隊の隊長さんに手を差し出す。
隊長さんは舌打ちをして、私の手を無視した。
「お前んところだろ? 魔将が王都に来るかもしれないなんてデマ流して、わざわざ騎士団の予算増やそうとしてるカスは」
「………………」
思考がフリーズした。
え、何を言われてるんだ今?
「俺たち相手にあいさつするなんて、新人だろ? 残念だがお前の先輩方から心温まるような仕打ちを受け続けてきたあげく、適当な嘘で増やした仕事に付き合わされてんだよ、こっちは。握手なんかしちゃあ、自分の手を引きちぎっちまいそうだ」
長々と恨み節を披露した後に、隊長さんは私の足元に唾を吐き捨て、仲間たちのところへと戻っていく。
みんな一様に、私に向けて冷たい目を向けていた。
「……え、え~っと」
「カナメ、食い下がらなくていい。戦争が終わった後に、今更魔将との戦闘があり得るかもなんて、誰だって信じたくはないだろう」
誤解を解こうと言葉を探していたところ、隣に立つレイ君が小声で言ってきた。
「で、でも……」
「それより向こうの方がマズいみたいだ」
彼は背後へ顔を向け、輸送する物資を検分しているアース君とセルフィーナさんを指し示す。
二人は揃いも揃って渋面を作っていた。
「どうしました?」
「……見ろよこのポーション、ヒビ入って酸化してるじゃねえか。使い物にならねえぞ」
アース君が取り出した試験管型のポーションは、ふちの近くに小さな傷が入り、そこから液漏れが起きて傷んでいた。
「な……!? こ、交換してもらわないと!」
「それが断られたのよ。現品限りだし、他に用意がないから、交換しろって言われてもできないものはできないって」
私は思わず天を仰いだ。
直接戦闘が発生してポーションが不足したらどうするつもりなの!? それ文字通りに致命的な問題なんだけど!?
「こんなことをしていては、仕事の信頼を失うだけだと思うんだけど……」
「失っていいんだろうな。嫌がらせできる方が大事なんだろ。発注は不定期だし、これがなきゃ生活できないとかでもなさそうだぜ」
レイ君とアース君の会話が、頭の中を上滑りして通過していく。
こちらを蛇蝎の如く嫌う輸送部隊。
近隣都市から騎士団への嫌がらせ。
いやいやいやいや。
私たち、他の部隊と一緒に仕事するのはこれが初めてなんですけど、しょっぱなからこのありさまなの!?
「……あ、あんまりですぅ~……!!」
私は頭を抱えて、その場に蹲るしかなかった。
◇◇◇
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