第14話 元聖女で偽聖女
カーテンの隙間から差し込む陽光が、宿の一室に朝を注げている。
椅子に座った姿勢で眠っていた、というか意識を落として身体を休めていた私は、毛布のずれる音を聞いて目を開けた。
「ふわ~。おっはよ」
ベッドの上で上体を起こし、セルフィーナさんがうんと伸びをしている。
明るい場所で改めて見れば、無条件の美しさではない。
私が陰気な男だったら気後れしていただろう。
私は陰気な女なので、気後れしていた。条件分ける意味なかった。
「おはようございます、セルフィーナさん」
「うん……アースのツレの子、よね?」
記憶に自信がないのか、彼女は凄く気分の悪そうな顔色で問うてくる。
「アース君の同僚のカナメといいます」
「へえ、カナメちゃんね。あいつの同僚ってことはさ、何? 殺し屋的な?」
「……色々と事情がありますが、騎士です」
「はあ?」
思いがけない単語だったのか、セルフィーナさんが素っ頓狂な声を上げる。
「いやだって、あいつ、確か公職追放に」
「色々とその……まあ、あれです。別人になってもらったというか」
「へ、へえ~。かわいい顔して、結構エグいことしたんだ~……」
え……エグくない!
個人的にツテのある権力者にお願いして、身分を偽造してもらっただけだし!
「まあ、生きてるに越したことはないんだけどさ」
「……そういえばお知り合いだったんですよね。アース君が言うには、チラッと顔を合わせたことがあると」
「魔王を倒す旅に出る前に、教会でありったけの祝福をあげたのよ」
ああ、確かにそういうことはしていそうだ。
私たち騎士も危険な任務の前には、矢避けの加護とかもらうし。
「まあ、事情アリなのは分かったけど……で、あたしがいるここは、どこ?」
「アース君が取ってくれた宿です」
「なるほどね~」
それからセルフィーナさんは視線を私から、自分の身体へと落とした。
「……で、君とあたしが脱いでるのは、どういうこと?」
私もセルフィーナさんも、普通に下着姿だった。
自分が着ている飾り気のない真っ白な下着と、彼女の黒い下着が対照的過ぎた。
そして下着以外を脱いだのは、下着以外の服がダメになったのだ。
「あなたが、部屋に入った瞬間に、吐いたからです」
「……あははっ、ごめんね?」
う~ん、可愛いから許しちゃおうかな。
でも田舎を出てから初めて買った私服が台無しになったのは、素直に悲しい……
◇
「で、ま~た服を買わせたってわけだ。贅沢好きな女に貢いでる気分だぜ」
「あと僕ら男二人で女性用の服を買うの、結構気まずかったよ」
不機嫌そうに唇を尖らせるアース君と、苦笑いを浮かべるレイ君。
男子組に用意してもらった服を着た私とセルフィーナさんも合流して、私たちは合計四人で街中の噴水広場に来ていた。
「ごめんなさいね~、迷惑かけちゃって」
手を合わせて謝罪するセルフィーナさん。
まさか過度な訓練や実戦以外で、自分の服が吐瀉物まみれになるとは。
得難い経験だったと思っておこう。
「じゃ、あたし帰るから。服は今度弁償したいんだけど、どこいけばいーい?」
「あ、いえ、あれぐらい大丈夫ですよ」
申し訳なさそうな表情の彼女に、私は手を突き出して首を横に振る。
「いや、ていうかお前どこに帰んだよ。破門されてから何してんだ?」
「あ~……なんか色々と、こっちもあって……」
興味なさそうにしつつのアース君の質問に対して、元聖女は困った様子になった。
確かに言われてみたら、今この人ってどういう状況なんだろう。
噴水広場では市民たちがおしゃべりしながら歩いていたり、時に子供連れが水遊びに興じていたりする。
喧騒の中で、やけにセルフィーナさんの表情が乾いて見えた。
──その時だった。
「ここにいたのか、セルフィーナ」
彼女の名を呼ぶ声が、噴水広場の入り口から聞こえてきた。
振り向けば、豪奢な礼服に身を包んだ男性が真っすぐこちらへと歩いてくる。
「バーナードさん……」
セルフィーナさんの呟きが、シンと静まり返った噴水広場に響く。
「ええと、どなたですか?」
「そいつの婚約者だ。デミグ・バーナード……バーナード家の当主を務めている」
本人に尋ねたつもりはなかったけど、本人が答えてくれた。
私より五歳ぐらい年上だろうか。とても綺麗な肌に、キリッとした眉毛。
オールバックに固めた髪も、表情も、自信に満ち溢れている。い、いいな~。その自信、私に少しぐらい分けてくれたり……あ、ないか。へへ……
「こんな女を娶るなんて、奇特だなアンタ」
婚約者というワードを聞いて、アース君が肩をすくめる。
その瞬間だった。
「下種が、気軽に話しかけるな」
ピィィィと甲高い音が鳴り響き、アース君の足元に白熱した線が引かれる。
予兆は何もなかった。高熱の不可視の光線が放たれた、ということだろうか。
「……はい?」
「アンタ、こんな街中で
み、見えない……え、何? 魔法?
「我がバーナード家に代々伝わる神秘の秘宝、『セイントグレイ・スタンピード』だ」
だから見えないんだって。
これ魔力を編み込んで作ってるタイプの魔動器?
「ちょ、ちょっと! 街中での魔導器の使用は禁止ですよ!」
私は懐から騎士章を引っ張り出して、バーナードさんに突きつける。
彼は意外そうな表情で、目を丸くした。
「騎士? セルフィーナと騎士がなぜ……」
「事情は関係ないでしょう! とにかく、今の使用は条例に反しています!」
「分かった分かった、申し訳ない。後日詰め所に始末書を送付する」
態度は悪くない。これは本当に送付してくる人の態度だ。
なら、いったんは良しとしよう。ただ牽制にわざわざ魔導器を使ってくるなんて、結構危ない人だな……
「……帰りたくないって言ってるでしょ」
「私と結婚すれば、破門を取り消しにさせてやる」
苦い声を絞り出すセルフィーナさんに対して、バーナードさんが淡々と告げる。
「そんなこと、できるんですか?」
「一介の騎士には分からんだろうが……我がバーナード家は、代々教会と深い付き合いがある。聖女に返り咲くまでは流石に無理だろうがな」
ほ、ほえ~。
権力って凄いんだなあ。
「凄いですね! 私には分からないですけど……えっと。政治力、っていうんですかね? それが長けているんですね!」
虚を突かれたかのように、バーナード家当主は言葉を探した。
「……なるほど、分かる女じゃないか。それによく見れば、なかなかに愛らしい顔をしている」
「えっ……え、ええっ!? そ、そんなこと初めて言われちゃいました」
頬が熱くなり、思わず両手で押さえてしまう。
「チッ……馬鹿が、とっとと消えろよクズ」
急に悪口成分百倍増しで、アース君が小声でつぶやく。
多分聞こえていたと思うんだが、バーナードさんは余裕の態度で肩をすくめた。
「まあそういうわけだ、帰るぞセルフィーナ」
「…………」
無言で視線を険しくしながら、セルフィーナさんはそれでも彼の後ろについていった。
噴水広場から二人の姿が消えると、それまで私たちを見守っていた市民たちが、アレ何だったんだ……? 会話しながら元の様子に戻っていく。
「……おい、名探偵。あの結婚どう思うよ」
「どうもこうも、おかしいところしかないだろう。失脚中というか、破門されてるセルフィーナさんを妻にして、復帰させて、それで彼は何がしたいんだ?」
後ろで男子二名がこそこそと話している。
なるほど、見えてきた。さっきの強硬な姿勢も、私の推測が正しければ納得がいく。というかもう確信しかない。
「分からないんですか?」
私が勢いよく振り向きながら言うとと、彼らは訝し気な目で見てきた。
ふふん、探偵っていうのはやっぱり人の心がわかってないな。
腰に手を当てて、私は仁王立ちの姿勢で結論を告げる。
「────恋のパワーですよ!」
「こいつ一人で部隊が動いてた時期があるってマジか?」
「いや本当に……同意だよ……」
どういう意味だよ。
◇◇◇
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