第9話 魔剣使いと術理の極地

 スラムの路地で相対するは、騎士カナメと元勇者アース。

 二人は一瞬で詰められる間合いを挟み、肌を突くような静謐の中で対峙していた。


「……じゃ、じゃあ任せたよ」


 顔に脂汗を浮かべながら、マフィアのボスがアースの後ろへと引き下がる。

 カナメのやるべきことは単純だ。

 彼を縛る魔法契約を斬ればいい。そのためには、元勇者アースを打倒すればいい。


「往きます」


 告げて、カナメが踏み込んだ。

 即座にアースの腕が動き、大剣を抜き放つ。


(近衛騎士だとしても、剣の腕は……!)


 両者の間合いがゼロになり、それぞれの得物がブレる。

 目で追うことすら許されない超高速の剣戟が火花を散らした。

 刃がぶつかったことを、音と光で認識するしかない。だがそれは二人を囲むように無数に、そして同時に飛び散り、いつどこで攻撃と防御が行われているのかを外野が把握することはできない。


(……あ? いや、ちょっと待て)


 だが数秒を経て、火花の散る場所が、加速度的にアースの身体の周囲へと集約されていく。

 攻防がはっきりと分かれたのだ。

 カナメの振るう剣は、アースの攻撃を根底から砕き、次第に一方的な攻勢を作り上げる。


(見切れてるのに対応が追い付かねえ! 嘘だろ魔王軍の四天王より数段階速いぞ!?)


 慌ててアースは腕の振るい方をコンパクトにまとめ、防御の型を取る。


「──アース君は強いから、そうしてくれますよね」


 小さく呟いてから。

 カナメもまた、攻撃の体勢を変えた。

 曲線を描く斬撃から、当たる範囲の狭い、一点の突きを連続して打つ。


 カナメがアースの大剣に、切っ先を叩き込む。

 何度も何度も、一秒を切り刻んだ刹那ごとに叩き込む。


「こいつ……!?」


 ほとんど重なって鳴り響く、刺突が命中する金属音。

 アースが振り回す大剣の一点に、少しのズレもなく衝撃を与え続ける。


「……ッ! 鉄の精霊!!」


 カナメの狙いを看破したのか、アースが宙に向かって叫ぶ。

 魔法使いでも騎士でもない彼だが、しかし元勇者である。

 勇者なら精霊の力を借りることができる。


 神秘を帯びた魔力がアースの要求に答え、彼の大剣に纏わりつく。

 勇者は特別だ。勇者は騎士のように鋭く剣を振るい、魔法使いのように神秘を行使する。

 この世界におけるあらゆる戦士に可能なことは、勇者にとっても可能だ。


「そこですね」


 だというのに。

 カナメが宙に剣を走らせた。アースの身体から大きく逸れたポイントだ。

 振り抜かれた直後に、剣を覆わんとしていた魔力が霧散する。

 意味のない斬撃すらギャラリーは見て取れない。驚愕することを許されたのは、アースと、ずっと絶句していたレイだけだ。


(……カナメ、今、精霊を直接叩き切った……?)


 人間の眼には見えない精霊。

 魔法使いはその力を借りて、神秘の魔法を行使する。

 レイの眼は精霊の存在すら見通す。人間に乞われて力を貸している気ままな精霊の一体が、カナメの斬撃に両断され消滅した。


(い、いや精霊が死ぬことはない。一時的に消滅するだけだ、しかし──)


 何故精霊に、物理攻撃に過ぎない斬撃が通用したのか。

 レイの疑問に答えが出る前に、カナメは突きの姿勢を取り、剣を打ち出す。

 最後の突きがアースの大剣を打ち据え、その半ばでへし折る。


「……ッ! 調子に乗るなよ!!」


 半分のサイズに折れた剣を構わず振るうアースだが。

 カナメがひょいと上体を逸らした。

 首の皮を掠めるギリギリのところで、斬撃が空ぶる。



(────は? 今のはおかしいだろ)



 無数の鉄火場を超えてきた勇者の思考回路が、思わずフリーズしそうになった。

 遅滞した時間間隔の中で、剣を振り抜き無防備になった自分に対して、必要最小限の動作しかしなかったカナメがカウンターを打たんとする。


(いや、今この瞬間に折れたんだぞ。剣がどこからどこまで残って、どこから先が折れてなくなるか、分かるわけないだろ)


 確かに、どこを起点として折るのかは彼女が操作した。

 だがひとかけら分でも尖った形で折れていたら、今カナメの首は切り裂かれ、鮮血が路地に飛び散っていただろう。

 ならば可能性は一つ。


(そうなるように折ったんじゃなくて、折れてから瞬時に測ったのか? 一切のミスなく? それが、できるのなら)


 カナメの剣が加速する。

 アースにそれを防ぐ手立てはない。


(こいつは……この戦闘の間、俺に関する情報全部を完璧に把握して、戦闘しながら全部計算してたってことに────)


 アースはただ一度の戦闘で、カナメが振るう魔剣の真理を看破した。


 対人魔剣:覆滅イクスとは即ち、剣そのものを指して言うのではない。

 相手の動きだけでなく、戦闘が行われる空間における全てを読み切る。

 その末に生じる完全な未来予知、そして予知を元に組み立てる攻防すべて。


 それこそが、彼女が独自に習得した対人魔剣のことである。


「ぐっ」


 一分のズレもないカナメの斬撃が、アースの手から剣を吹き飛ばした。

 直後に放たれた前蹴りが腹部へとめり込み、彼の身体を地面に転がす。


「く、そ……っ!?」


 起き上がろうとした刹那に、身体が止まった。

 肩を踏みつけられ、身動きを完全に封じられたのだ。


「私の勝ちですね」


 アースの首元に切っ先を突き付けて、カナメは静かに告げた。



 ◇




「──あり得ない」


 路地に、ボスの呆然とした声が響く。

 それを聞いて、カナメは自分の目的が達成されたことを確認し、剣を鞘に納めてアースの上からどいた。


「……踏んじゃいました、ごめんなさい」

「あ、ああいや、服ボロいからいいよ……」


 場違いな許容の言葉がこぼれ出る程度には、彼はまだ混乱から抜け切れていなかった。


「アース……アース! 本気で戦っているはずだろう!? なのに、何故負けているんだ!」


 名を呼ばれ、アースは頬をひきつらせたまま、突きつけられた切っ先をじっと見つめた。


(……いや本気出してるつもりだったんだが? だけど、本気出す前に仕留められた。つーか、切れる札はまだいくらでもあったが、それを切る前にやられた)


 恐らくカナメは最初からこの決着を見ていた。

 戦闘の激化に伴ってアースが本当に全力を出した場合、一帯に甚大な被害が出ることは明白。

 そうなる前に、押さえつけるようにして勝利する。


(それは、力量差があるって分かってないとできねえ。選択肢として浮かび上がりもしないだろ……)


 愕然とするアースの後ろで、ボスはハッと顔色を変えた。

 彼が握りしめていた魔法の契約書から、透き通るようにして文字が消えていく。


「そん、なッ……? この紙切れ一枚に、いくらかかったと」


 だが言葉の途中で、ぱさりと音がした。

 突然、契約書が横一閃に綺麗に分かたれ、下半分が地面に落ちたのだ。

 ぽかんと口を開けて、ボスの思考が停止する。


「もう要らないですよね、それ」


 ──事態を理解した刹那、全員、ドッと冷や汗を噴き出した。


 彼女の両手は自然体のまま、膝の隣に下がっていた。

 動きは見えなかったし、音もしなかった。

 それでも結果が明白に告げている、カナメが契約書を両断したのだと。


「何、したんだ。魔法でも……」

「……って、ああっ!? わ、私がゴミを作っちゃいました……!?」


 気づけばカナメの姿は消えていた。

 ボスが慌てて視線を巡らせると、いつの間にか足元にしゃがみこんだ彼女が、落ちた契約書の半分を拾い上げている。


「というわけで勝ちましたよ、レイ君!」


 くしゃっと潰した契約書をポケットにしまって、カナメが満面の笑みで振り向く。

 レイは自分の顔が全力で引きつるのが分かった。

 そんな彼に、座り込んだ姿勢のまま、アースが力なく声をかける。


「……レイだったか。お前、ずっと俺たちの戦いも見えてたよな。今のも見えたか?」

「ギリギリで……ねえ、こんなことを聞きたくはないんだけど、彼女は本当に人間なのかい?」

「ご両親とも気のいい人だったよ。家族ぐるみで付き合いがあったから知ってる」


 ぼやくような会話をする二人の視線の先で。

 カナメは手から砂を払った後、静かに、ボスへと顔を向けた。


「終わりましたね」

「…………待て、待ってくれ、騎士カナメ」


 両手を突き出して、ボスは首を横に振る。


「確かにお前は勝った、分かったよ。だがこんなずけずけと、突然! 私たちが、君の敵である悪者だからか!? しかし、ほ、本当の悪者は貴族の連中だろう! あいつらのせいで……!」

「そんな話、こちらはしていません」


 カナメの言葉が時間を斬り捨てた。


「あなたがアース君の自由を奪っている限り、他の要素に関係なく、あなたは私にとって打倒するべき敵です。だからあなたが考えるべき問題は、アース君を解放するかどうか、です」

「だ、だかっ、だからそれが!」

「回答は、はいかいいえだけで済みますよね?」


 ぐいと顔を寄せて、カナメは鼻と鼻が擦れ合うほどの距離でボスの目を覗き込んだ。


「よく考えて答えてください」


 二択を示されているのに。

 ボスは決して愚かではないから、彼女の深紅の瞳が許す回答はたった一つしかないと、分かっていた。




「君の幼馴染、おっかなさすぎる。暴力と破壊が結婚して子供を産んだのか?」

「気のいい人だったって言ってるだろ。だが、本当に血が繋がってるのか聞いとくべきだったとは後悔してる」







◇◇◇

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