第5話 路地裏の勇者

「ぐあっ」


 呻き声をあげて、男が路地裏に転がる。

 悪臭を放つゴミの山に叩き込まれた、その滑稽な姿を笑う者は一人もいない。

 何故ならたった今吹き飛ばされた男が最後で、他の面々は既に地面に這いつくばっていたからだ。


「こんなモンか? よくそれで喧嘩を売れるな、尊敬するよ」


 傷だらけの剣を肩に載せて、唯一佇む人影が鼻を鳴らす。

 月明かりすら差し込まない、王都のどん詰まり──スラム街の路地裏で、彼の存在は異彩を放っていた。


「ここまで強いのかよ……噂の用心棒は……!」


 四つん這いになりながら、打ちのめされたチンピラの一人が恨めしそうな声を絞り出す。


「分かってたんならわざわざ来んじゃねーよ。手間増やしやがって……俺はもう静かに余生を送りたいわけ。お前らみたいな身の程知らずさえいなければ、静かにスラムの隅っこで暮らしてるさ」


 そのチンピラを蹴とばして、彼はくすんだ金色の髪を乱暴にかきむしった。


「で、こいつら誰なんだよ」

「私が知るか。大方、敵対勢力が金で雇ったチンピラだろう」


 荒事の時間が過ぎ去ったのを確認し、避難していた恰幅のいい男が、身を隠していた物陰からやって来る。


「敵対勢力? お前、裏社会のトップじゃなかったのか」

「トップだからこそ命を狙われるものだよ。それは私より君の方が知っているのではないかね?」

「……チッ」

「ともかく、よくやってくれた」


 舌打ちする彼の肩に、金色の指輪を複数つけた手を置き、裏社会のボスが笑みを浮かべた。

 ボスは耳元に口を寄せると、他の人間に聞こえないよう小さく唇を動かす。


「流石は魔王討伐達成者、勇者アースだ」

「元だ。いちいちそれ言ってくるの、ウザいからやめろ」


 光の宿っていない目で、アースは乱暴にボスの手を振り払う。

 がさつな言動に悪党の目つき。

 まさかこの男が、魔王討伐実績を持つ人類の英雄だとは誰も気づかない。


「おっと……いつも通り、この私相手にも尊大なことだ」

「どうでもいいからな」

「本気か? 君が生きていられるのは、私の庇護あってこそだ。そして私の安全も君によって確保されている。お互いに得をしているんだ、尊重し合おうじゃないか」


 ボスの言葉は真理だった。

 すべての栄誉を剥奪されたアースを雇う人間など、どこにもいない。

 だからこうして裏社会に入り、地面を這うような生活を続けている。


「……本当にどうでもいいんだよ、お前なんか。そして、俺自身もな」


 アースは吐き捨てるようにつぶやく。

 かつては世界の守護者として澄み渡っていた彼の碧眼は、今はもう輝きとはかけ離れた、ドブのような澱みに覆われていた。


 ◇


 まだ部隊名は決まっていないが、レイ君の入隊を受けて、私が所属する……いや、率いると言った方がいいのか? 隊長だし。ともかく新設部隊は初任務の日を迎えていた。


「裏社会を牛耳るマフィアのボスについて調査せよ──ですか」


 先日レイ君を拾った区画から王都へと戻り、私たちは市民にも開放されている公民館の一室で会議を開いていた。

 ちなみに彼は、私がテルミット殿下と話した帰りに買った色つき眼鏡と騎士団の制服を合わせており、正直かなりミスマッチだった。諜報部隊の人も出くわした時に目に見えて困惑していたしね。先天性で目が光に弱いって説明したら納得してくれたけど。


「理由は不明ですが、ある警戒団体の活動が活発化しています。元々幅を利かせていたグループでしたが、今となっては裏社会をほとんど乗っ取っているようです」


 テルミット殿下からの言伝を、彼の直轄らしい諜報部隊の人が説明してくれている。

 この場所で任務を通達されているのは、まだ新設部隊の拠点が存在しないからだ。工事は行われているらしいが、近隣住民とモメ倒しているせいで作業に遅滞が発生しているらしい。

 どんな場所に建てたらそんなことになるの? 現段階でかなり嫌。


「そして先行して潜入した騎士団関連員からの報告によると、該当グループのマフィアが新たに雇った用心棒が相当の腕を持っているらしく、猛威を振るっているとのことです」

「なるほど……」


 レイ君が納得の声を漏らす。


「そのため新設特殊遊撃部隊に、当該団体の活発化の原因を探るようテルミット殿下から命令が下りました──意味は分かりますね?」


 告げられた言葉に、深く頷く。

 王都の治安維持は騎士の大きな役割だ。

 もちろん国内の全地域を守らなくてはならないのだが、王都は『ここを荒らされたら終わり』という聖域だ。そんなところでマフィアがのさばるなど言語道断そのもの。


「マフィアを全員叩きのめせってことですね!」

「違う! 場合によっては、その用心棒を抹殺しろってことだよ、これは!」

「えぇっ!?」


 レイ君の叫びに私は思わず叫んでしまった。

 それはもう暗殺じゃん! 騎士の仕事じゃないよ!


「すみません、声を落としていただけると」


 あまりに直球な物言いだったからか、諜報部隊の人が表情を険しいものにする。

 ハッとした様子で、レイ君は一度謝罪を口にした。


「し、失礼しました……ですが」

「?」


 慎重に言葉を選びながら、諜報部隊の人に向かってレイ君が問いかける。


「それは、誰からの指令ですか? 第二王子殿下から……?」

「確かにあなたたち特殊遊撃部隊は、第二王子殿下を指揮系統の頂点に置いています。ですが指令の出どころについて、あなたたちは知る権利を、私は話す権利を持ち合わせていません」

「…………」


 色つき眼鏡越しに、レイ君の目が閉じられ、何かを咀嚼するように数秒間沈黙した。


「……分かりました。話をそらしてしまいましたね、失礼……つまり我々の任務は、スラム街に潜入するということで間違いないですか」

「そうなります」

「カナメ、聞き込みなんかが必要になるだろう。僕らはスラムの住民に扮していかねばならない……これは骨が折れそうだ。まずは見た目から合わせないとだね」


 レイ君は冷静さを取り戻すと、静かな声色で内容を確認した。

 一応は初任務なのだが、それなりに修羅場を経験してきているのだろう、動じた様子はない。頼りがいのあることだ。


「カナメ殿が直接スカウトしただけありますね……おっしゃる通り、お二人には潜入用の衣服も用意してあります」


 諜報部隊の人が指し示した先には、特殊な加工で汚した服が吊るされていた。

 いかにも小汚い服装である。これを着こなすためには顔や肌にも、それ用の化粧が必要だろう。


「早速ではありますが、本日よりこの服を着てスラムに──」

「え? 着替えませんけど」


 私は思わず首をかしげた。

 この人は何を言っているんだろう、とさっきから思っていた。


「「…………」」


 沈黙。

 圧倒的な沈黙が会議室に訪れた。


「え……私、変なこと言ってないですよね? この制服で行きますよ。出向中とはいえ、騎士なので」

「めちゃくちゃバカ?」


 レイ君の目は、色つき眼鏡越しにも分かるほど憐みに満ちていた。


「何を言っているんですか? 騎士が職務を果たす際に着る服なんてこれ以外ありえないじゃないですか」

「いや無理だよ! 白いもんこの服! スラムから一番かけ離れたカラーだもんこれ!」


 騒ぎ立てるレイ君にやれやれと肩をすくめ、私は諜報部隊の人に向き直る。


「お見苦しいところを、すみません。民間からスカウトしたので、騎士団に連なる部隊に所属している自覚がまだ浅いんです。あとで修正しておきます」

「この服持ってきたの私ですけどね」


 諜報部隊の人はドン引きしていた。


「嫌って言ってるんですよ! 戦闘によって付着した泥や返り血ならまだしも、騎士が使命を果たす時に汚れなんてあっちゃいけないんですよ!」

「潜入任務をナメ過ぎなんだよ君はさァ」


 レイ君はついに頭を抱え始めてしまった。


「もしかしてレイ君……あれだけ冷静に振る舞っていたけど、本当は潜入任務が怖いんですか?」

「怖いのは君の頭だ!」

「よくキレると評判ですしね」

「どっちの意味だ!? 絶対にいい意味じゃない方だろ!」


 いい意味に決まっている。訓練学校でも『キレ過ぎなところがあるからもう少し抑えられるといいね』ってよく言われたし。

 出る杭はつらいね。


「い、行きたくない……こんな常時頭沸騰状態みたいな女と行動を共にしたくなんかない……助けてください!」


 プライドを捨てたらしく、レイ君が諜報部隊の人の足に縋りつく。諜報部隊の人は完全に言葉を失い、私とレイ君を交互に見るばかり。

 なんて情けない絵面だ。初対面でここまで印象を下げてどうする。


「いいから行くんですよ! 仕事なんですから!」

「ヤダ!!」


 この期に及んで何を! 本当に捨ててやろうか!

 諜報部隊の人がいる手前直接は言えなかったが、視線に脅しの色を込めると、レイ君はがくりと肩を落として頷くのだった。





◇◇◇

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