第2話 天敵への勧誘
人類と魔族の大戦争が終結して二年ほど経った。
二年はすべてを忘れるには短く、すべてを覚えているには長い。
戦う理由はいくらでもあった。領土の拡大とか、長年の禍根とか、そういう避けられない理由がいくつも重なった。
平和を望む声を引き潰しながら始まった戦争は、何もかもを焼き尽くそうとしていた。
その戦争を終わらせたのが、神託によって選ばれた勇者。
わずかな仲間たちと共に魔族の勢力圏を突破し、魔王が居を構える魔王城へと突撃作戦を敢行。
彼は見事、魔王を討ち果たした。人々が闇を恐れる時代に幕を引いたのだ。
人類の歴史は次のステージへと移った。
打倒魔王のため協力していた国々は、つないでいた手を静かに離して、剣の柄にかけた。
共に戦った仲間たちは、覇を競う相手へと変貌した。
恐ろしい、巨大な、悪辣な敵を倒した後。
人類は不意に、次の敵が隣にいたことを思い出したのだ。
◇
ベッドの上で起き上がった魔王の息子君は、警戒心を隠さずこちらをじっと見た。
替えのタオルを水に浸しながら、青年に微笑みかける。
「大丈夫ですよ。こっちから危害を加えるつもりはないですから」
「……その言葉を信じる前に、色々と聞きたい。ここは人間の家? どうやって僕をここまで? もしかして
「まさか。いったん貴方を宿の裏手に運んで、部屋を取った後に窓から入れたんですよ」
「二階だと思うけど……」
「ぴょーんと飛び降りてから、ぴょーんと跳び上がったんです」
私の説明にまだ納得がいかなさそうにしながらも、彼はベッドボードに背を預けた。
いつでも飛び出せるような姿勢だ。
「私を殺してどこかへ行こうとしていますか?」
ぎゅっと絞ったタオルを差し出す。
「……場合によっては、やむを得ないと思う」
頑として受け取ってくれない。絵物語でしか読んだことないけど、拾った直後の子猫ってこんな感じらしいね。
「まあ、受け取ってくれなくても大丈夫です。ここに置いておきますから」
水桶にタオルを引っかけて、私は両手を挙げて武器の類は持っていないことを示す。
唯一の武器である剣も壁に立てかけていた。
「不用心だね。この瞬間に、僕が君に危害を加える可能性は考慮しないのかい?」
「えっ、無理でしょう?」
首をかしげると、彼は目を見開いた。
どう考えても消耗度合いがひどくて、戦闘行動なんて到底できないだろう。というか生きてるだけでも儲けものというレベルだ。
「今の貴方なら、私でも簡単に制圧できちゃうと思いますよ?」
「……フン」
言い返せないのか、彼は顔を逸らした。
「ほらほら、まずお話ししましょうよっ。私もここ最近はずっと独りぼっちだったので、話し相手が欲しかったんです」
「魔王の息子を話し相手として扱うんだね、君……」
呆れた様子でボヤいた後、彼は頭を振って、改めてこちらに目を向けた。
「分かったよ。僕にだって矜持ぐらいある、命の恩人を無下にはできない」
「そうこなくっちゃ!」
パンと手を叩いて、私は彼に根本的なところから質問を始めた。
「改めまして、私はカナメといいます。貴方のお名前は?」
「……僕の本名は、百四十七節からなる古代言語で構成されている」
「うわダル」
「人の名前をダルいって言ったかい!?」
だって事実だし。
「何とお呼びすれば?」
「……一応、名前を部分的に切り取って名乗ることが通例になっている。ああこれに呪詛の効力はないよ。僕の場合はポルクルード・タクトレイ・……」
「じゃあレイ君で」
言葉の途中で告げると、レイ君は面白いぐらい絶句した。
どうしたんだろう。いい呼び方過ぎたかな。
「それでレイ君」
「ま、待ってくれカナメ、本当にそのまま進むのか……!?」
「はい! いい名前じゃないですか、レイ君」
「……はあ、分かった、分かったよ」
何かを諦めたように首を振って、レイ君は質問を促す。
私は居住まいを正して、改めて口を開く。
「どうして怪我をしていたんですか?」
問いかけると、レイ君は答えにくそうに表情をゆがめた。
「……まあ、よくある話さ。次の魔王になりたい連中はいくらでもいるんだ」
「ああ、なるほど」
彼を邪魔に思う勢力に狙われたということだろう。
人類と戦っていたわけじゃなくて良かった。
嘘つかれてるかもしれないけど、とりあえず信じないと話が進まない。信じよう。今の彼ぐらいならすぐ殺せるし。
「まあ自業自得なんだろうね」
「え?」
「僕は元々、父上……魔王相手に、反逆を計画していたんだ」
「なんでッ!?」
目を白黒させていると、レイ君はカーテンに覆われた窓に視線を向けた。
「僕は人類との戦争に反対する立場だったんだ。領土をこれ以上拡大したところで、統治のバランスが崩れると思っていたんだよ。そもそも短期決戦のはずが、ずるずると長引いて最悪だったし……」
「あ~……」
物憂げな表情を浮かべるレイ君。
人並外れた美貌に哀愁を漂わせており、なんというか、モテそうだなあと思った。
それはそれとして。
「つまりあなたに、人類と敵対する意思はないんですね?」
「もちろんだよ。むしろ、父上を討つ役割は、僕が果たさなければならなかった」
その言葉を聞いて、私の肩が跳ねる。
これは……イケるんじゃないか……?
彼を拾った時、ふっとよぎった考えが、私の中で主張を強めていく。
「え、ええと。例えばですけど。魔王を殺害した勇者さんの国でも、滅ぼそうとしたりしないと?」
「報復する理由はないね」
うおおおお言質取った!
「最ッ高じゃないですか!」
「え、何が?」
「レイ君、私と一緒に働きましょう!」
私は彼の手を取って、ぐいと顔を寄せて言い切った。
きらきらと目を輝かせる私が、至近距離で彼の瞳に映り込んでいる。
「…………は?」
口をぽかんと開けて、彼は面白いぐらい言葉を失っていた。
「あっ、大丈夫ですよ。私はちゃーんと正式騎士に任命され、数年間活動した実績があります。れっきとしたプロフェッショナルです」
「いやいやいやいやそこじゃなくてさ!? なんで!?」
手を振り払おうとするレイ君だが、がっちりと握って放さない。
絶対に逃がさないぞ……!
「あっ。も、もしかしてなんだけど」
「何でしょう! お給料ですか? そこは要相談で」
「いや君って、頭のネジ飛んでたりする?」
「ハァ??」
な、なんて失礼な人だ……!
「ちょっとレイ君! もう野垂れ死ぬぐらいしかできない貴方を拾ってあげようとしているのが誰なのか、分かってないんじゃないですか!?」
「急に高圧的になり過ぎじゃない!?」
完全にヤバい人に拾われてしまったと呟き、レイ君は顔を青ざめさせた。
「何がそんなに不満なんですか! どうせ行先なんてないんでしょう?」
「ぐっ……し、しかし僕が人間の騎士団に所属するというのは、いくらなんでも無謀と言うか」
「ああ、なるほど。違います違います。私、騎士団から出向を命じられて、外部団体にいるんですよ。まあ私しかいなんですけど」
レイ君は目をしばたたかせて、私をじっと見つめた。
それから、彼の視線は私と、壁に立てかけた剣を往復する。
「えーっと、出向って意味伝わってます?」
「それは理解できている。つまり左遷という認識でいいのかな?」
「ハッキリ言われるとかなり傷つきますが、まあ、その通りです……」
がくりと肩を落とす私に対して、レイ君は黙り込んだ。
静かに手を離した後、腕を組んで唸り始めている。
「……確かに行先のない僕からすれば、こんなにありがたい話はない」
「む!」
「だが、何故君は左遷されたんだ? 君の人格に問題があって……とかだと、下で働くのは難しい。それは分かるだろう?」
理路整然と話されて、今度は私は言葉に詰まった。
ていうかレイ君、行き場ないって言ってるのに職場をえり好みしようとしてるな。ナチュラルボーン高望み野郎……!
「僕には話せないかな? では、この件はなかったことに……」
「い、いいえ! 話しますよ!」
私は咳払いをして居住まいをただす。
「私が出向を命じられた理由は、その……私、上司とケンカしてしまったんです」
「上司というと、騎士団の?」
「はい。王立騎士団の筆頭、大隊長と」
「うわ……」
呆れたような声を上げられるのも無理はない。相手は地位だけでなく実力も保証されたトップ・オブ・トップだ。つまり、国内最強の騎士とケンカしたということである。
「しかし喧嘩で左遷というのは、ちょっと組織として幼稚だな」
「ええ。おまけに尋常じゃなく強かったですし」
数秒の沈黙。
「え!? ケンカって斬り合いまでいったの!? いや待て、まさか……」
「その時大隊長さんに重傷を負わせちゃって、出向になりました」
そう言った直後、部屋の空気が完全に凍り付いた。
大きく目を見開き、彼は信じられないという表情で私をガン見している。
「えっと、どうしました?」
「君が言っていた、大隊長を倒しておいたっていうのは」
「あ、はい。これのことです」
「──なんで魔王軍で攻略しきれなかった相手を身内の喧嘩で倒しちゃってるんだよッ!?」
レイ君の絶叫は、宿の小さな部屋いっぱいに響き渡るのだった。
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