雨が降っていて、空は濃い鉛色の分厚い雲が居座っていた。雨は終始視界を邪魔していた。車中の隙間から不快な湿度が流れ込んできた。

 佐藤の実家に電話があったのが午前10時のことだった。

 誠司の息子である繁の勤め先である鈴木商事からだった。内容は「息子さんと1週間連絡が取れない」とのことだった。

 父親の佐藤誠司は、最初はついに仕事にうんざりして辞めるつもりで会社に行かなくなったのかと思った。なぜなら、繁に会うたびに転職したいと何度も言っていたからだ。かなり会社に不満があるらしく、会えば愚痴を言っていた。だが、3ヶ月前に会った時には仕事の方は順調で、仕事を続けたいと誠司にもらしていた。

 それなのに1週間も無断欠席が続くのは心配になった。息子の繁に何度も電話をした。しかし、出ることはなかった。次に同棲相手の木本に電話をかけたが同じく出ることはなかった。

 誠司は妻である恵美と話して直接、クラウンに乗って、住んでいる藤沢市から阿佐ヶ谷にある繁と木本が同棲しているマンションに向かった。

 車中は、重たい緊張感が支配していた。二人とも無言だった。

 二人とも、何があったのか考えたくなかった。頭の中にあるのは最悪な結果だからだ。

まさか、繁に限ってそんなことはあり得ない。と何度も頭の中で同じ言葉を二人は連呼した。それに、一人暮らしならまだしも繁には同棲相手の木本がいる。きっと、何か違う理由があるに違いない。木本が電話に出ないのは、電話に気づいていないだけで折り返しができないだけだと。

 途中、車は一般道から高速道路に乗り継いでから、一般道に通って1時間30分で阿佐ヶ谷に着いた。

 駐車場を探して繁と木本が住むマンションから歩いて10分の場所にある30分で四百円の駐車場に車を停めた。

 誠司も恵美も一言も発さずマンションまでの道のりを歩いた。

 道がくねくねしていたのと、最後にマンションに来たのは2年前のことだったので途中道がわからなくなり、iPhoneのGoogleマップを使ってマンションに着いた。

 マンションは5階建の白色をした外壁で築10年といったところだろう。部屋は3階にある部屋番号は303号室。

「ねえ、どうする?」と妻の恵美が急に心配そうに言った。

「どうも、こうもないだろう。仕事を1週間も無断欠席しているのだ。喝を入れないと」と誠司は微笑みながら冗談を言った。内心は、心配でたまらなかった。きっと、息子は会社に対して不満があり仕事を放棄しているだけ、と心の中で何度も呟いた。何せ木本と一緒に暮らしているのだ。少なくても二人同時に最悪なことが起きる可能性など少ない。

 誠司と恵美は3階までエレベーターを使った。

 303号室のドアノブを掴んだ瞬間、中から微かに甘酸っぱい臭いが漂ってくるのが二人にわかった。嫌な予感は増していった。

 誠司はポケットから合鍵を出して、鍵穴に入れて回した。ドアが開くと酷い腐敗臭が部屋の中から漂ってきた。瞬間的に恵美はその場で吐いてしまった。

 これは最悪な事になったに違いないと、誠司は感情のスイッチがオフになったかのように急に冷静になった。

 誠司は恵美の背中をさすった「これから中に入る。お前はここに残って警察に電話してくれ」

「でも」と恵美。「でも、じゃない。これからは俺が確かめに行く」

 誠司は、ドアを開いた。部屋は暑く湿度が酷く腐敗臭も酷かった。整理整頓されていて逆に生活感がなかった。

 ダイニングルームを抜けるとそこには二つのドアがあった。

 誠司は、右のドアを開けた。ものすごい腐敗臭が鼻を刺激した。二人用の大きなベッドが置いてあった。

 ベッドの上には二つの赤褐色をしたブクブクに膨れ上がった人型のモノがあった。

 周りにハエが何匹もグルグルと旋回していた。

 誠司はベッドに近づいた。それは素人目にもわかる腐乱した死体だった。それも二つあり、仰向けになっていて、手を繋いでいた。

 誠司はショックが大きすぎて何も感じなかった。

 おそらくベッドの右の壁側にある、膨れ上がった大きな死体が繁のものだろうと思った。繁は180センチと背が高いからだ。繁と思われる死体は目測で2倍に膨れ上がっていて、腹に大きな穴が開いていた。ウジ虫が沸いていて、内部から破裂した後のようだ。内臓と思われる赤黒い肉片が壁や床に散乱していた。

 木本と思われる死体を見た。生前の彼女とは面影はなく腐乱していて、腹は大きく膨らんでおり、身体中にウジ虫が彼女の死体を少しずつ食べていた。特定するのは大変だろうと、誠司は思った。

 なんで、こんな事になったのだ?と誠司は床に座り込んだ。

 繁との色んな思い出が大量に誠司の頭の中に流れ込んできた。生まれたときに、初めて抱っこした時の手のひらサイズの繁。初めてパパと言われた時のこと、幼稚園の運動会で不満そうな顔をしてお遊戯をしていた時のこと、アメリカに旅行したと時にピザが大きすぎて驚いていた時のこと、家で買い与えたベースがうるさかったので喧嘩になったこと、成人式の時のこと、就職して初給料でペアグラスを送ってきた時のこと、嬉しそうでもあり恥ずかしそうに木本を家に連れてきた時のこと、頭の中が壊れそうになった。

 誠司は起き上がって部屋を出て、玄関先に向かった。玄関先には恵美が立っていた。

「ねえ、繁は?」

「警察には連絡したのか?」

「まだよ」

「じゃあ、連絡したほうがいい」

「何があったの?」

「・・・」

「黙っていたら分からないでしょ?何があったの?」

「二人とも死んでいる」

「本当に繁と木本ちゃんなの?」

「他にあり得るか?」

「もしかしたら、違う人かもしれない。何かの間違いかもしれない」

「なあ、少し冷静になれ。二人は死んだ」

「なんで、死ななきゃならないのよ」

「分からない。事件かもしれない。とにかく電話しなければ」

 誠司はポケットからGalaxyを出して警察に電話した。自分でもなぜこんなに冷静なのだろうと思うほど淡々と電話の受け答えをした。

 妻の恵美は、泣き叫んでいた。「やめろ!」怒鳴ろうかと一瞬思ったが、止めた。親として当然の反応だからだ。変に冷静でいる自分の方が異常に思えてきた。

「ねえ、中にいる繁に会いたい」と恵美は部屋へ入ろうとする。

「やめるんだ」と、誠司は恵美の身体を右手で、抱き締めるようにして押さえて、左手で鍵を鍵穴に入れて施錠した。

「なんで、邪魔するの」と、恵美は誠司の胸元を何度か殴ってから、その場に倒れ込んだ。

 誠司は、何も考えられないでいた。とにかく、妻の恵美にはあの光景を見せたくなかった。

 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。おそらく、さっき呼んだ警察官だろう。どんどんサイレンの音が近づいてくる。

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