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8月の暑い日だった。外は35度を超えていた。湿度は人の機嫌を損ねるのには十分なほど酷いものだった。
田上雅人は、電気代の節約のためにクーラーもつけずにいた。電気代の値上がりは貧乏人を緩やかな地獄に落としている。
ベッドの上でブレンケットもかけずに、パジャマがわりに使っている小さな穴の空が無数にあいて、襟元がボロボロに解けているブラック・サバスのTシャツとゴムが伸び切ったトランクス姿で昼寝をしていた。扇風機が首を振り、彼の身体に、なま暖かいい風を吹きかけていた。
田上は最近、不眠症気味だ。それは、暑いせいなのか精神的なモノなのかわからない。そのため、昼間は常に眠かった。なので、昼間の暇な時間帯を使って昼寝をするのが日課だった。
32インチのサムスンのテレビは付けっ放しで、今日も芸能人の不倫の話題を大々的に報道していた。
田上の部屋は東京都日野市の外れにある2階建ての5部屋あるアパートの105室。角部屋の一室だった。築40年の木造、3LDKで、今寝ている場所がリビング兼職場である。
6畳でテレビとプレイステーション5、ベッド、ローテーブルにはiPad、机の上にはMacBookが置いてあり隣に24インチのLGの外部モニターがあった。机の隣には学生時代にバンドしていた時の名残のフェンダージャパンのジャズマスターとテレキャスターが飾ってあった。本棚には、小説と雑誌、私物の物と商品が入り混じっていた。壁紙は、6年分の喫煙の跡が染み込んでいて、ところどころ茶色く変色していた。
他の二つの部屋は倉庫代わり使っている。どちらも4・5畳だ。小物類の商品が置いてある。ナイキやアディダスなどのプレミアがついたスニーカーや、衣類、時計、ブランド物のバッグ、人気アニメのフィギュア、トレーニングカード、エレキギター、などの楽器などだ。
ローテーブルに置いてあるiPhoneが鳴った。
目を覚ました田上は手探りでiPhoneを掴み画面を確認した。2ヶ月前に引越し査定で仕入れ2万で手に入れた4人家族用の冷蔵庫が6万円売れた。
田上は起き上がり、マルボロのタバコに火をつけて吸った。吸い終わると、汗でぐっしょり濡れたTシャツとトランクスを脱ぎ捨てて洗濯機に放り込んでユニットバスに入りシャワーを浴びた。寝ぼけていた頭がスッキリした。
ユニットバスを出ると、クローゼットからピクシーズのTシャツと着て、灰色のトランクスと青いジーンズを履いた。机の上に置いてあったタイメックスの腕時計をした。ダイニングルームに向かうと冷蔵庫から1・5リットルのペプシコーラをコップに注ぎ一気飲みした。最初は急に冷たい物を飲んだせいで頭が痛かったが、コーラの甘さですっかり眠気と疲れが取れた気がした。
玄関でアディダスのスタンスミスのスニーカーを履いて外に出る。あまりの暑さに引き返したくなったが、我慢して愛車のダイハツの軽トラックに乗り、貸し倉庫へ向かった。家から倉庫までは車で5分の場所にある。
軽トラックが倉庫についた。
田上は、軽トラックをでて倉庫の107号室へ向かった。
107号室の鍵穴に鍵を差し込むと、ドアを開けると天井にある蛍光が自動で光った。逃げ出したくなるような熱気が倉庫から溢れ出た。田上はタオルとスポーツドリンクを忘れたことを後悔した。
貸し倉庫は12畳のスペースがあり、特に大きくてかさばる物。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、テレビなどの家電を入れていた。
こんなに暑い場所に電子機器を置いて大丈夫なのかと田上は内心不安だったが仕方ない。ここより安くて広い貸し倉庫はここしか無いからだ。
電子機器の他にも、椅子、タンス、本棚が置いてあった。しかし、最近は全く売れない。
邪魔なので捨てようとかとも考えたが、一応ブランド物だ。それに捨てるにもお金がかかる。だからそのままにしてあった。
田上はポケットからiPhoneを取り出し、売れた冷蔵庫の画像を画面に表示した。冷蔵庫の在庫は今、3つ在る。今日売れた冷蔵庫は東芝の4人家族用の冷蔵庫だ。しかも、瞬間冷凍機能付がついている4年前に製造された品物だ。
冷蔵庫の電源をコンセントに挿した。動作確認の為だ。壊れていたらクレームになる。クレームが起きれば信頼を失う。頑張れば信頼が回復するかもしれないが、自分のような一人で古物商をしている人間など簡単に消えてしまうだろう。
田上は、車で家に戻り、冷蔵庫が冷えるのを待った。最低でも6時間は必要だからだ。その間あの暑い倉庫で待っているのは正気の沙汰ではない。
部屋に戻るとプレイステーション5を起動してコール・オブ・デューティをプレイした。
田上が古物商を始めたのは6年前のこと。29歳の頃だった。
元々はITエンジニアでプログラマーだった。朝は8時30分に出社して、23時50分まで職場で過ごす生活だった。
だが、運が良いのか悪いのか、田上はリストラにあった。彼は悔しい気持ちの反面、同時に気分が楽になった。あんなに、毎日10時間以上働かされて給料も少なく、上がらないし、上司や同僚からはパワハラにあわずにすむと思うと、とても自由な気分で気持ちが楽になった。
退職後は、失業手当を受給しながら仕事を探したが、なかなか良い仕事先は見つからなかった。どの求人もどこも似たような職場に見えて長続きする気がしなかったからだ。いっそのこと違う職種にチャレンジしてみようかと思っていた。
そんな時のことだった。母方の祖父が死んだ。82歳で突然死だった。
田上は、祖父からは可愛がられた記憶しかなかったのでとても悲しい気分になった。
祖父は横浜市の一軒家に住んでいた。ちょうど都市開発で活気付いていた地域だった。家はボロかったが、土地の値段が上がっていた。家族で話し合いの結果、土地を売却することとなった。そして、田上にも祖父の遺産が入ってきた。まとまったお金が入ってきたことで彼は古物商をすることにした。
なぜ、古物商を選んだかというと、古物証許可書は簡単に手に入ったからである。それに店舗もいらない。ホームページを作り、ネット上のフリマサイトでも商品を売る事できる。
古物証許可書には、いくつか種類がある。美術品(絵画、骨董品など)、衣類(洋服、古着)、時計・宝飾品類(時計・宝石)、自動車、自動二輪及び原付自転車(バイク・タイヤ部品)、自転車類(自転車・タイヤ・部品)写真機類(カメラ・レンズ・ビデオカメラ)、事務機類(パソコン・タブレット・プリンター・ファックス)、機械類(土木機械・医療機類)、皮革・ゴム製品(バッグ・靴・毛布)、書籍(文庫・コミック・雑誌)、金券類(商品券・航空券)。
田上は、美術品、衣類、時計、・宝飾品、写真機類、古着、事務用品、機械類、道具類、皮革・ゴム製品、書物の資格を持っている。
主な仕入れ先は、古物市場、出張買い取サービス、コネクション、インターネット、で商品を手に入れている。
時には世間で言われるような転売ヤーと言われる事もやっている。例えば、ホームレスの人々にお小遣いを渡して、限定品のバッグやスニーカーなどを大量に仕入れる為に、並ばせて買ってもらい後で商品を回収する。やっておいてなんだが、あまり気持ちの良いやり方とは思わなかった。
正規の値段で欲しがっている人を差し置いて利益を上げる為に値段を吊り上げて売るのは気が引ける。おそらく自分が古物商をやっていなければ、彼らに石を投げただろう。だが、生きていくにはそうするしかない。
だが、世間はそんなに甘くない。同業者が多すぎる。それに、大手が沢山中古市場に参入し、それに加え素人がオークションサイトやフリマサイトの普及により簡単に商品を売る事ができてまさにサバイバルだ。
前の月の売り上げは家賃と経費を抜いて7万円と少ない金額だった。
辞めようかと何度も考えたが、35歳になって就職は難しい。それに、極貧だが一人暮らせるくらいの利益は出ている。それに、個人なので、会社に入って人間トラブルに巻き込まれることもない。そういう意味では今の仕事が性に合っているのかもしれない、と田上は思った。
今更、サラリーマンにもフリーターにも戻りたくなかった。朝早く、毎日同じ時間に起きて、出社して、残業して帰る。そんな生活が今更できるとは到底思えなかった。
田上は、自分をダメ人間だと思っている。少なくてもこのシステマティックな社会構造においては、弾き出された除け者だ。そんな人間を今更、雇ってくれるだろうか?雇ってくれたとしても長続きはしないだろう。
iPhoneのアラームが鳴った。6時間経っていた。
田上は、ゲームを中断して、家を出て軽トラに乗り込み倉庫に向かった。
107号室に入り冷蔵庫を開けると冷やりとした冷気が田上を包んだ。とても気持ちよかった。それから、冷凍室などを調べて、冷蔵庫が入る段ボールに入れて、隙間を白いスポンジ状の緩衝材を流し込んだ。冷蔵庫を簡単に運び込むことのできる大きなキャリーカートに置いて、軽トラックの荷台まで運んだ。
空を見ると鉛色した分厚い雲が浮かんでいた。天気予報では晴れだったが、ゲリラ豪雨もあり得る。冷蔵庫の上にブルーシートをかぶせ、そのまま軽トラで宅配会社の営業所へ向かった。
宅配会社の営業所は倉庫から車で10分の場所にあった。
営業所の駐車場に車を停めると、荷台から冷蔵庫を下ろして、キャリーに乗せて事務所に向かった。
事務所には50代のいつもの男が受付で座っていた。
「よう、兄ちゃん。また来たね」この男は田上のことを「兄ちゃんと」と呼ぶ。
もう、「兄ちゃん」と呼ばれる年でもないのだが、この受付のおじさんからすると、まだまだ若造なのだろう。
「これをよろしくお願いします」
「はいよ」というと男は、冷蔵庫の寸法と重量を測った。
すると、外から雷の音がして、大きな雨音がした。
「嫌だね。大雨が降ってきた。兄ちゃん、雨が降る前に来られてラッキーだったね」
「そうですね」田上は営業所の窓ガラスから外を見た。土砂降りの雨だ。ギリギリのところだった。商品が濡れなくてよかったと、田上は思った。
家に買ってきたのは19時のことだった。
今日は疲れた。やはり、一人で冷蔵庫を運ぶのは、かなりキツかった。
冷蔵庫を開けて、ストロングゼロを取り出し飲んだ。仕事終わりの酒はたまらない。
それから、冷凍庫から、ラップに包まれたお米を取り出し電子レンジに入れて解凍してから、皿に移しかた。もう一つ皿を用意して、100円ショップで買った大盛りと印字してあるどこのメーカーのものかわからないレトルトカレーを流し込みラップに包み電子レンジに入れて3分。カレーが出来上がった。
カレーが入った皿をダイニングテーブルに置いて口の中に入れた。美味しくもなく不味くもないカレーだ。いつも通りの味。
田上はカレーを食べ終えるとiPhoneをいじった。
ここ3ヶ月、Tinderにハマっている。彼には8年恋人がいない。
田上は恋愛に消極的だ。今までうまくいった試しがない。うまくいったと思っても最終的には振られる、浮気されるかの二択である。
田上は、これまでに3人の恋人がいた。一人目は大学時代にバンドをしていた時、人気はなかったが、ファンの女の子ができた。そのうち、彼女と連絡先を交換して連絡をするようになってから恋仲になって付き合う事になった。3年間付き合って、大学を卒業してからの事だった。突然相手から「別れよう」と言われた。理由を尋ねると「就職先で新しい出会いがあり、付き合う事になった」と言われた。田上は怒り狂い、怒鳴って泣き喚いてしまった。今思うとなんであんなに怒鳴ってしまったのか分からなかった。もっと冷静になって別れれば良かったと後悔している。
次の子は一緒のバンドでドラムを叩いていた田淵からの紹介で知り合った女性だった。2歳年上で、綺麗な子だったが、1年後、前と同じような理由で別れることになった。1回目の反省を活かして、その時は冷静に話し合い別れる事になった。
3人目の子は、Twitterで出会った。4歳年下のOLだった。お互い趣味が合い、個人的にダイレクトメッセージをする仲になり、直接会ったその日に交際をスタートした。だが、彼女には秘密があった。彼女はすでに彼氏がいたのだ。それに気づくのに6ヶ月はかかった。田上は、呆れた。もう恋愛なんて懲り懲りだと。それから恋人が8年居ない。
ここまでくると自分に問題があるのではないかとすら思う。しばらく恋愛に興味がなかったが、最近なぜだか急に恋人が欲しくなってきた。
もしかすると早すぎる中年の危機かもしれない。
Tinderのプロフィールには、パーマのかかったロン毛、二重瞼、色白、唇の薄い田上の顔が写っている。職業は自営業。趣味は映画鑑賞、音楽鑑賞、ゲーム、ギター。
一度も成功したこともないTinderだが、思いのほか楽しい。可愛い、おそらく自分には振り向いてくれないだろう、女の子の自撮り写真を見ているだけで楽しい。女っ気のない生活をしているからかもしれない。そして、女性の自撮り写真を見ているだけで楽しいという事がとても悲しいとも同時に思いつつもやめられないでいた。
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