第50話 嫉妬に狂って


 王都のカルダンヌ家には使用人がいなかった。ヴァーツァの話では、国に接収されてしまったという。台所の場所はすぐにわかったから、俺は湯を沸かし、熱い紅茶を入れた。少し考え、ブランデーを垂らす。


 王都の怪異はカルダンヌ公のせい……王室祈祷師がそう断じたのは、国王の命令だった。ヴァーツァが誰より大切にしているアンリ陛下の。平気そうに振舞っているけれど、今、ヴァーツァはどんなに傷ついているだろう。


 「ヴァーツァ。王室祈祷師の言ったことは、きっと何かの誤解だと思う。だって王宮でお会いした時、国王陛下には悪しき気配が全く霊視できなかった。陛下は君のことをとても大事に思っている。それは間違いないと思うよ」


「君もやっと、アンリと俺の友情を認めてくれたか」

 差し出した紅茶をヴァーツァは俺の手ごと受け取った。


 陛下の感情は、友情とはちょっと違う気がする。けど、イメルダ妃がいる以上、それ以上発展することはないだろう。

 ヴァーツァに関していえば、彼は俺とのことを、生涯最後の恋、と言ってくれた……。


「手」

「は?」

「俺の手。離してください」

耳まで赤く染まりながら言った。


 紅茶茶碗に添えられた俺の手を、大きな手でしっかりとくるみながら、彼は微笑んだ。


「てっきり俺は、君が嫉妬に狂ったのだと思ったのだ」

「嫉妬に……狂った?」

「君は、アンリ陛下に妬いていたのだろう?」


 全くこの男は!

 どうしてこんなに自信を持っていられるのだろう。正々堂々と、俺から愛されていると確信できるのか。


 そして、悔しいけど、彼の確信は正しい。どうしようもなく俺は、彼を愛している。

 友情を裏切られた彼を、悲しみのどん底から掬い上げたいと思った。愛する人が嘆き悲しむのに耐えられなかった。


 でも、どうやらそんな必要はなかったようだ。


「アンリのことは信じている」

 恥知らずな男は、けろりとして言い放った。

「全てを俺の霊障に仕立てて、気候変動の不安を紛らわせようとしたのは、いかにもあいつらしい。おかげで民は、迫りくる自然の脅威から目をそらせることができたわけだ。気候の方はそのうち落ち着くだろう」


 顔を上げ、にやりと笑った。


「君の気持がわかってよかった。君は俺を愛しているって知ることができて、本当に嬉しい」


大事にしていた気持を見透かされ、俺は慌てた。


「な、なにを根拠にそんなこと……」


 思わず俺は、自分の手を紅茶茶碗から引っぺがした。柔らかいクッションの上に落ちたティーカップが、中身をぶちまける。辺りにブランデーの馥郁とした香りが漂った。

 泰然とヴァーツァは笑った。余裕ありげで、いっそ憎らしいくらいだ。


「嫉妬って、そういうもんだろう? まず、相手を好きだという感情がある。だから妬くんだ。それにしても国王にまで嫉妬してくれるとはな! 俺は今、幸せだよ、シグ」


 耳の中で血管を流れる血がどくどく言い始めた。どうして俺はこう、自分から想いを打ち明けてしまうんだ? 恋には駆け引きが必要だと、愛読している恋愛小説に書いてあったというのに。


「さあおいで、シグ」

 ソファーに座ったままの自分の膝を、ぽんぽんと叩く。

「君は言った。全てが終わったら俺のものになると」


「あ……、うぅ……」


 心当たりがありすぎる。

 次々と謎を解いて、要人たちの死は誰の仕業でもないと証明していくヴァーツァが眩しかった。彼が欲しい。その気持ちは今も変わっていない。


「ほら、早く! 君はじらせすぎだ」


 手を引かれ、よろめいた。心ならずもヴァーツァの上に倒れ込む。


「でも、アンリ陛下は……」


 貴方のことが好きなんだ。

 王城の廊下で俺を見据えた時に、恐ろしいほど真っすぐに向けられてきた悪意。ヴァーツァが俺を恋人認定した時の、たとえようもないほど不快そうな顔。

 間違いない。


「陛下は貴方を愛しておられます」


 辛い。でも、言わなければフェアじゃない気がする。


「友達としてね」

さらりとヴァーツァは答える。

「あるいは幼馴染み、学友、腹心の部下ってとこかな?」


「違います、殿下は……」

「少なくとも俺の方はそうだ。それで十分じゃないか?」


 ぴしゃりと言い放った。思わず口を噤んでしまったほどの、強い口調で。


「俺の想いは、全て君に向けられている。君だ。アンリではなく」


 胸が早鐘のように打ち始めた。

 本当に?

 信じていいのだろうか。


「俺と君は、両想いなんだ。好きあった者同士は、時間を惜しんでヤるものだ」

「ちょっと、待って、」


 百歩譲ってヴァーツァの気持ちが真実だとしたら、結果俺は、国王を敵に回すことになる。そしてヴァーツァは、陛下の忠実なしもべだ。

 今はまだ駄目だ。考える時間が欲しい。


「待たない。問題は全て解決した」

 仰向けにさせられ、岩のようなキスが所狭しと落ちて来る。

「じらされた分、覚悟しろよ」


「全て解決したわけじゃない!」

 涎でべたべたになった顔を勢いよく持ち上げた。


「痛っ!」


 おでこがヴァーツァの唇の端を直撃する。

 乱暴だが、こうでもしなければ言いたいことも言えやしない。


「貴方の背中の傷です! アンリ陛下の命令でなかったら、一体誰が、貴方を斬りつけたというんです?」


 しかも背後から。

 馬に乗って。


「そんなの、どうでもいいじゃないか」

「よくありません!」

「君が嫉妬してくれたから、俺は充分報われた」

「何を言うんです! 貴方、死ぬところだったんですよ?」


 バタイユ……ヴァーツァの弟がいなかったら。恐ろしさに震えた。


「もし貴方が死んだら……、それを思うと……」


 自分でも思いがけないことに、涙が溢れた。


「シグ……」


 ヴァーツァが手を伸ばした。頬に流れる涙に触れ、火傷したようにその手を引っ込めた。


「わかった。今はまだ我慢する。エシェク村へ行こう」

「エシェク村?」

「戦闘があった村だよ。俺と君が、初めて出会った村だ」


 藤色の、とても優しい瞳で彼は微笑んだ。








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