第51話 乳白色の霧
蛮族との戦闘が行われたのは、村の西側だった。戦闘開始前は、霧の為、見通しが悪かった。
敵はなかなか姿を現さず、軍の維持費を気にしたアンリ殿下は、ヴァーツァの軍を分遣した。
そして、蛮族に襲われた。そこへ、アンリ殿下の危機を悟ったヴァーツァが、単身、戻ってくる。
ヴァーツァは戦闘で死んだ兵士らのゾンビ軍を率いて防戦、その背後で、残りの軍が再編を始めた
そして……。
「この辺りでいいだろう」
ヴァーツァが立ち止った。草原の真ん中だ。草の匂いでわかる。辺りは一面に濃い乳白色の霧で覆われていて、伸ばした手の先も見えないけれど。
「いいか。何があっても、驚かないでくれ。それから、絶対に俺から離れるな」
「はい」
この霧では、すぐにお互いを見失ってしまう。
「俺は、俺を殺した兵士を召喚しよう」
「兵士は……死んだんですね?」
ヴァーツァは、自分を斬りつけた兵士を、倒れる間際に殺したのだろう。あるいは、味方のゾンビ兵士が殺したか。
口寄せをするのだと思った。内務大臣の霊を、ヴァーツァはそうやって呼び出した。
「でも、依り代がいません」
内務大臣の時は、通りかかった護衛兵を依り代にしたのだが。
「僕が依り代になりましょうか?」
ここには、俺とヴァーツァしかいない。
ヴァーツァは笑い出した。
「依り代になっちまったら、肝心の君が話を聞けないじゃないか。いいや。依り代は必要ない。彼はまだ、その辺りにいるだろう」
死んだ兵士の魂が辺りを彷徨っているというのか?
思わずぞっとした。
いずれにしろ、魂とコミュニケートするには、「器」が必要なんだが……。
ヴァーツァは両手を広げ、静かに念を込め始めた。少しずつ、霧の色が変わっていった。乳の白さが、グレーの重い色味を帯びる。次第に光を纏い、乱反射して銀色に輝き始めた。
突然、それまで生温かかった風が、氷のような冷気を孕んだ。湿った冷たい風が、耳を切るように痛い。
「来たか」
ぽつんとヴァーツァがつぶやいた。
霧を突き抜け、馬に乗った兵士が現れた。鎧兜に身を固め、美々しく着飾っている。
これは、敵方の兵士だ。
壊滅しかけたアンリ殿下の軍が再編するまでの間、ヴァーツァは、ゾンビの兵士達を率いて前衛に出、囮となった。一人でも多くの兵を得る為、敵味方問わずゾンビ化したのだと言っていた。
そうか。ゾンビの召喚だから、依り代は要らないんだな。今ここにいるゾンビ兵は、ヴァーツァがアンリ殿下の軍に戻ってきた時点で、すでに戦死していた兵士だ。
ヴァーツァが彼を殺したのではないとわかり、理不尽にもほっとする自分がいた。わかってる。戦争はそんな甘いもんじゃない。殺さなければ、殺される。けれど、この兵士を殺したのがヴァーツァでなくて、本当に良かった。
紫の瞳が赤味を帯びている。
「ただいまお前を召喚したのはこの俺だ。お前は、俺の命令に服従するか?」
ヴァーツァが問う。
「御意」
兵士は
「お前はゾンビだ。ゾンビは、自分を蘇らせたネクロマンサーの命令に完全に従う。つまりお前は、俺に逆らうことができない」
冷酷な言い方だった。紫の瞳はすっかり赤に変わってしまっている。
「最初に問う。戦闘当時、俺は、馬を召喚しなかった。その馬は、どうした」
「生きた馬を」
「なるほど、そういうことか」
ヴァーツァがつぶやいた。
「俺は、馬はゾンビ化しなかった。けれど、ゾンビの中には賢い奴がいて……単なる偶然だったのかもしれないが……生きた馬に騎乗した奴がいたのだ。馬は、恐らく騎手を失い、その辺を彷徨っていたのだろう。気の毒に、この馬も結局は戦死したようだが」
今ここに、召喚されたのだから。
「君は生前、騎兵だったのだろう?」
ヴァーツァの声から厳めしさが消えた。代わって、幽かな哀愁が感じられる。身を切るような哀しみと、そして共感。
「騎兵はわが誇り、一族の
言葉になまりがある。敵の蛮族は、騎馬軍団で有名だった。
ヴァーツァが振り返った。
「シグ、君の疑問は解けたろう? 騎兵は、アンリの兵士だけではなかったということだ」
ヴァーツァの背中の傷の形状から、彼が上方もしくは同じ高さから斬りつけられたことは間違いない。当時彼は、馬に乗っていた。そして、彼の周囲にいた騎馬兵は、アンリ殿下の兵士だけ。
そう思っていた。
まさか、ヴァーツァのゾンビが、生きた馬を調達しようとは。
だが、まだ納得できない。
「戦闘で、彼は貴方を斬りつけた。彼は貴方に召喚されたゾンビでした。貴方に絶対服従だったはずです」
苦い微笑みを、ヴァーツァが浮かべた。
「ゾンビ達の中には、戦闘に不慣れな者もいる。また、蘇ったばかりで、体を意のままに動かせなかった者もいた。そうした兵士たちは、自分で自分の身体をうまく操ることができず、予想もつかない行動をとってしまう。この兵士も、その一人だろう」
なんてことだ。
味方のゾンビが誤って襲った、なんて。
俺のヴァーツァを。
ふとヴァーツァが瞳をそらせた。
「俺にも油断はあった。それで、背後からの奇襲を許してしまった」
やはり、背中を斬られたことを気にしている。
「普段なら、そういうことは織り込み済みだ。ゾンビ共の習性はよく理解している。だがあの時は、アンリの軍の再編がなかなか進まず、切羽詰まっていた。俺には余裕がなかった」
「貴方は何も悪くない。貴方は最初から最後まで勇敢でした」
彼の勇気を褒め称えたいと思った。その為なら、なんだってする。
少しだけ、彼の瞳の赤が薄らいだ気がする。
「ありがとう、シグ。この兵士は生前から、馬に執着していた。ゾンビとして蘇った彼は、戦場を彷徨っていた生きた馬を捕まえ、跨った。そのことが、君の推理を誤った方向に導いてしまったのだ」
たとえ味方であっても、それが故意でなかったとしても、そして時間と訓練の不足からくる必然であったとしても。
俺は、ヴァーツァを傷つけた者を許すことができない。
けれど、それがアンリ陛下の命令じゃなくてよかった。だってヴァーツァは陛下を心から信頼し、深い友情を抱いている。彼が傷つくことがなくて、本当によかった。
そこまで考えて、全身が震えた。
「僕はなんてことを……。ずっと、アンリ陛下に疑いをかけていたなんて! しかもあなたの忠誠心に水を差すことまでしてしまった!」
「気にすることはない、君はただ、論理を組み立てただけだから。冷静に推理しただけだ」
「でも……」
俺の推理は誤りだった。それどころか、あろうことか、ヴァーツァ殺害未遂の疑いを国王陛下に……。
その時だった。
不穏な気配を感じた。普通、ゾンビから悪意を感じることはない。彼らはすでに死んでいるのだから。
「ヴァーツァ、危ない!」
俺は彼を突き飛ばした。
面頬を被ったゾンビが襲い掛かって来る。
右肩の辺りに、熱い痛みを感じた。
「シグ!」
ヴァーツァが叫んでいるのが聞こえる。彼を、安心させなきゃ。
「だいじょ……」
激痛に、俺は意識を手放した。
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