第20話 sleeping beauty


 ……うっ。食われる。


 眠っているヴァーツァの顔を間近に見た時、まず最初に思ったのはそれだった。文字通り、頭からバリバリ食われる恐怖を感じた。


 幸いヴァーツァはぐっすりと眠っている。

 太陽の光は大分斜めに傾いていた。それでもまだ、顔の造形がはっきりと見て取れる。


 相変わらず美しい男だ。目を閉じた今は、まつ毛が濃い影を落とし、高い鼻梁がすうっと通った彫りの深い顔立ちをしている。

 眠っている彼は、それこそ、sleeping beauty そのものだ。


 でも、もう騙されない。

 死んだフクロモモンガの従僕だの。吸血鬼の執事だの。

 おまけに、食事をあーんで食わせろだの、眠るまで歌を歌え(本にしたけど!)だの!


 うかうか近づいた俺が愚かだった。美しさという餌に、つい、罠にかかってしまった愚かな獲物。

 それが俺だ。


 肩に掛かった重い腕を外そうと試みる。目を覚ましたらまずいから、そうーっとそうーっと。

 時間をかけてじりじりと動かし、とうとう外すことに成功した。


「うーん」


 唸り声が聞こえた。次の瞬間、腕は再び俺の肩に乗せられていた。むしろさっきよりがっちり抑え込まれた気がする。


 ゆっくりやったから失敗したのだ。

 息を詰め、様子を窺う。相変わらず規則正しい寝息が聞こえてくる。こんな健康そうな男を、一瞬でも死体と誤解した自分が信じられない。


 1、2、3で飛び起きよう。

 心の中で間を計る。


「1、2、……」

「ダメだよ、シグ。逃がさないからね」


 声が聞こえた。

 ぬめりを帯びた瞳が視線を絡めて来る。

 胸に強く封じ込まれてしまった。


「怪我人より先に眠っちゃったのは悪いと思っています。でも、ずいぶん手荒い扱いじゃないですか」

 胸に顔を押し付けられたまま文句を言う。眠そうな声が返ってきた。

「そんなことないさ。俺と同衾なんて、こんな栄誉なことはないだろ?」

「ど、同衾?」

 心臓に悪いことを言わないで欲しい。

「そ、同衾」


 下の方からもう一本の腕が伸びてきて、腰に回された。二つの身体が、ぴったりと密着する。


「カルダンヌ公、」

「ヴァーツァでいい」

「いや、けじめは大切です」

 名前呼びなんてしたら、どういう目にあうか……。


「俺は君をシグと呼んでるぞ」

「できたらボルティネと呼んで欲しいものです。大抵の人はそう呼びます」

 友人のジョアン以外は。


「いいや、シグと呼ぶ。君も俺をヴァーツァと呼べ」

「それに何の利点が?」

「俺が嬉しい」


「……カルダンヌ公、」

「ヴァーツァ」

「ヴァーツァ・カルダンヌ公、」

「爵位はいらない。ヴァーツァだけでいい」


 俺はため息をついた。

「では、ヴァーツァ」

「なんだ、シグ」

 気のせいか嬉しそうだ。


「当たってます」

「当たってる? 何が?」

「あなたの、その……」


 ヴァーツァは、上掛けに隠れている部分にも何も身に着けていなかった。密着した腰の辺りに、何かがごりごり押し付けられている。


 少し、間が空いた。


「残念だな、シグ」

「は?」

「今はしない」

「……」

「バタイユに命じられたからな。あの子は旅に出たが、俺は彼の管理下にある。すっ飛んで帰ってくる。今、俺の波動はあの子に筒抜けなんだ」


 少なくとも俺の貞操は守られるわけだ。バタイユが兄を監視している間は。

 だが一向に安心できない。


「だったら、普通にして下さい」

「普通? 何を?」

「……サイズ」


 小さい声で告げた。

 だってこれ、大きすぎない? こんなの押し付けられてたら、落ち着かないし、身の危険を感じすぎる。


 しばらく考えてから、ヴァーツァは笑い出した。

「じゃ、シグがやってくれる?」

「えっ!」

「手でいいよ?」

「い、いやだ!」


 恐怖を感じた。むちゃくちゃに暴れ、逃げようとする。


「嘘だよ。そんなことはさせない。言ったろ。今、俺の意識はバタイユに筒抜けだ。療養指示を破ると、大変なことになる」


 俺はぐったりと彼の腕の中に沈んだ。大きな手が、背すじに沿ってすうーっと動いた。思わずぞくっとした。


「なんにもできないから、少し話をしよう。何の話がいい?」

 恋人同士なら、貴方の、と答えるところだ。

「ネクロマンサーの話」

ためらいなく答えた。


 エクソシストと対極の存在について、詳しく知りたい。








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