第16話 吸血鬼しかいない!


 倒れたヴァーツァの身体をトラドがひょいと抱き上げ、部屋へ運び込んだ。すぐにバタイユが呼ばれ、俺たちは部屋から締め出された。


 いつの間にかトラドの姿は消えていた。具合が悪い主を置いて、「狩り」に出かけてしまったのだろうか。


 逃げ出すには絶好の機会だった。それなのに俺は留まった。

 ヴァーツァが心配だったから。

 一応彼は人間だ。アンリ陛下を守って大怪我をした英雄でもある。その彼が倒れたというのに、自分だけ帰ってしまうことが、どうしてもできなかった。


 ドアが開いた。中からバタイユが出て来る。当座、脱走の機会は失われたなと、他人事のように考えた。


 「熱がある。かなりの高熱だ」

 ドアを後ろ手に閉め、バタイユが言った。

「あの廃村からここへ運ぶだけでも、兄さんには大きな負担だったようだ。まだまだ無理は禁物だね」


 昼間はなんともなさそうだったのに。心配でたまらない。


「大丈夫なの?」

「薬湯を飲ませたから、間もなく解熱するだろう」

「そうか。それはよかった」


 心からそう思った。大したことがなくて、本当によかった。


「良くないよ」

バタイユはむくれた。

「僕はこれから薬草探しの旅に出るんだ。この時期にしか咲かない貴重な花があるんでね。館は今、深刻な人手不足だというのに」


 人手不足か。ヴァーツァもそんなことを言っていたような気がする。


「執事のトラドさんがいるじゃないか」

「吸血鬼しかいない!」


 バタイユがさらっと恐ろしいことを口走った。


「きゅ、吸血鬼だって?」

「そうだよ。トラドは吸血鬼だ」


 そうすると、ゆうべのあれは、トラドは俺の血を吸おうとしていた?

 吸血鬼の存在は、否定されているわけではない。しかし、近年、その生存、というか、存在は全く報告されていない。

 こんな離れ小島でひっそり暮らしていたのかと思うと、感慨深いものがある。

 俺を襲おうとしたのだけれど。


 ネクロマンサーであるヴァーツァには、死者を操る能力がある。吸血鬼も死霊の亜種だから、トラドに対してもその支配力は発揮される。

 ということは、ゆうべヴァーツァは、俺を救ってくれた?


 バタイユはまだ、愚痴をこぼしている。


「元々この館には、大勢の使用人がいたんだ。だが今、かろうじて自分で動けるのは、吸血鬼一族だけだ。彼らは調から」


 何を言っているのかいまいち、理解できない。とにかく人手不足なようだ。吸血鬼だけが動き回れるらしい。


「吸血鬼は血を吸うから、動き回れるんだね?」

恐る恐る尋ねる。なんだか凄い会話を交わしている。


「そうだよ」

「人間の血?」

答えを聞くのが怖い。


「この島には僕らの他に人はいない。トラドは動物や鳥の血で満足しているんだろう。時々は、本土へ渡っているようだが、くれぐれも仲間を増やし過ぎないように言ってある」


 吸血鬼に血を吸われたら、その人も吸血鬼になる。


「良かったじゃないか、バタイユ。不死の友達が増えて」


 言い負かされてばかりだったけど、一本取ったと思った。

 むきになってバタイユが言い返してきた。


「吸血鬼は不死なんかじゃないぞ。やつらは案外、弱点が多い。知らないのか?」

 十字架とか日光とか銀の弾丸とか?


 その時、窓からばさばさと大きな音がした。


「あ、迎えが来ちゃった。フクロウは厳格なんだ。約束を破ったら、薬草の在処へつれていってもらえない。僕はもう、行かなきゃ。兄さんが無理をしないように、シグ、しっかり見張ってろよ」


「だから、なぜ俺が!」

せいいっぱいの抗議をする。


「君がガラスの蓋を開けからだろ。空気穴を塞いで、魔法を解除したからだ。全ては君のせいだ。君が……」

 俺を見据え、にたりと笑った。

「君が兄さんにキスしようとしたからだ」







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