第13話 ネクロマンサー
ぐしゃ。
嫌な音がした。
壁に血の跡を残し、ずるずるとメルルの身体が滑って床に落ちた。
「メルル!」
思わず駆け寄った。
気の毒な小さな体を拾い上げる。
子どものとは思えない、凄い力だった。いや、子どもだから容赦がないのか。壁に叩きつけられ、メルルの骨は粉々に砕けていた。
「……ひどい」
「全く、兄さんって人は! 僕の見ていないところで羽を伸ばそうなんて!」
壁にぶつかってひしゃげたメルルなど見向きもせず、バタイユが憤慨している。
「心外な。俺はただ、いかなるチャンスも逃したくなかっただけだ」
ヴァーツァが応じる。
「またそういうことを言う。ますます兄さんには、安静でいてもらわないと。一切の外出は禁止だからね!」
「厳しすぎる。断固抗議する!」
「却下。本当は部屋から一歩も出したくないくらいだけど、新鮮な外の空気を吸うことは必要だ。庭の散歩くらいは許してあげる」
「庭から先は?」
「ダメに決まってる! いい、兄さん。しばらくの間僕は留守をする。今しか採れない薬草を探しに行かなくちゃいけないからね。その間、兄さんは絶対安静、しっかり養生すること。ふしだら厳禁だからね!」
メルルの死などなかったかのように、兄弟は、バタイユが留守中のヴァーツァの療養について話し合っている。
俺は死んだメルルの身体を手に、部屋を出て行こうとした。
「どこへ行くんだ、シグモント」
目ざとく見つけ、ヴァーツァが声を掛けて来た。
「メルルを葬りに」
平坦な声で答えた。本当はもう、一言だって彼らと話したくない。
「葬る? 土に埋めるの?」
面白がっているようなバタイユの声。
「そうだよ」
俺の感情は凪いでいた。
あんなに一生懸命だったメルルを。ヴァーツァの柩にずっと寄り添って、主を守っていたメルルを。
バタイユは、まるでゴミか何かのように壁に叩きつけて殺してしまった。そんな弟に対し、何も言わないヴァーツァもヴァーツァだ。
しょせん、この人たちは人ではない。
悪霊ではなくとも、人の心を持っていない。
「土に埋めるのは止めた方がいいな」
ヴァーツァが声を掛けて来た。
あまりの薄情さに、ついに俺は決壊した。
「埋葬は、死者に対する礼儀ってものです。ちゃんと葬ってやらなきゃ、メルルがかわいそうだ!」
「だが、土に埋めると、かえって手間だぞ」
意味不明のことをヴァーツァが口走った。まったくもって、理解できない。
「貴方がたにとっては取るに足らない命かもしれないけど、このネズミはたった今まで、生きていたんです。それなのにあんな風に壁に叩きつけて殺してしまうなんて……」
「ネズミじゃありませんです。フクロモモンガですます」
手の中の毛の塊が言った。
「うわっ!」
思わず俺は、そいつを放り出した。
ぺしゃ、っと嫌な音を立てて、毛の塊が床に落ちる。
「ふふふ。うぶな反応だなあ」
ヴァーツァがこちらを見て笑っている。
血塗れの毛玉がゆっくりと立ち上がった。
「わあーっ!」
恐怖に大きな悲鳴が迸る。
ヴァーツァとバタイユは顔を見合わせた。
「うん、愛らしいよね」
バタイユが含み笑いを漏らすと、途端にヴァーツァは不機嫌になった。
「シグに手を出すなよ、バタイユ」
「まさか。僕が兄さん一筋なのは知っているでしょ」
そこでバタイユは不気味に笑った。
「でも、つまみ食いくらいならするかもね」
もはや俺は、カルダンヌ公……カルダンヌ兄弟の黒い噂を疑わなかった。こんなところにいたら、わが身が危ない。とにかく逃げねば。
ドアめがけて走り出した時だった。
「俺の看病をする為に、シグにもしばらくはここにいて貰う。誰か彼をお止めしろ」
揶揄うような声でヴァーツァが命じた。
なんで俺がこの城に留まらなくちゃならない? 看病? 悪魔みたいなヴァーツァ・カルダンヌと一緒にいろっていうのか?
逃げたい。なのに、走り出した足がぴたりと止まってしまった。まるで金縛りにあったようだ。
強張った体を、何かが、たかたかと這い上ってくる。小さな圧力が4つ、足から腰、背中を伝ってよじ上っている。
メルルだ。
だがメルルは死んだはずじゃ……俺は確かに確認した。メルルの骨がぐしゃぐしゃになっているのを。
それなのにしゃべったり、今度は飛びついてくるなんて。半狂乱になって叩き落とそうとする。
「メルル、君は死んだんだ。しっかり自覚して、おとなしくあの世へ行け!」
「それはメルルではございませんです。わたくしめの眷属でございますですな」
後ろの方で声がする。
「わたくしどもは公爵様のしもべです」
耳元で違う声がした。何だかがたがたした……声帯が壊れているような声だ。
肩に上り着いたそいつに、恐る恐る目を向けると……今度こそ本物のネズミだった。
ひどいにおいがする。明らかに腐臭だ。よく見ると、肉がこそげ落ち、白い頭蓋骨が覗いていた。
「お留まり下さいませ、シグモント様。精一杯おもてなし致しますゆえ」
「つまり、埋めてしまうと、土から出て来るのに時間がかかるということだ。体中泥だらけになるし。そもそもメルルは最初から死骸だったんだよ。死骸を、俺が使役していたのだ。……シグ?」
膝の力が抜けた俺の身体を誰かが抱き留めた。
「そういえばまだ言ってなかったな。俺はネクロマンサーなのだ」
気絶する寸前、ヴァーツァが言うのを確かに聞いた。
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