第9話 浄霊


 「アイン イーヒィ アン アジン!」

銀の杭を振り上げた時だった。


「おっと。そんなこと、許しはしないよ」


 揶揄うような声が聞こえた。

 いつの間にか、俺とヴァーツァの間には、少年が立ちふさがっていた。


「兄さんも兄さんだ。こんなやつ、捻ってやればいいのに」


 ヴァーツァとよく似た顔立ちだが、ヴァーツァの黒髪に対し、この少年の髪は金色だった。10歳前後だろうか。可愛い顔で、とんでもないことを口走っている。


「一般人を捻り潰す趣味は俺にはないよ。それにこのは俺のことを好いてくれている。しもべは大切に扱わなくちゃな」


 可愛くてたまらないという風に、ヴァーツァは弟の髪をなでた。

 このってさ? つか、しもべ?

 誰それ。まさか、俺?


「まぁーったく、兄さんは優しいんだから」

「俺がいちばん優しいのはお前に対してだ、バタイユ」


 蕩けそうなヴァーツァの目。俺を見る目と全然違う。ちょっと妬ける。いや、今の、なし! 怨霊に、蕩けそうな眼差しで見られたくなんかない!


 少年がむくれた。


「兄さんも兄さんだよ。意識を取り戻したのなら、なんで真っ先に僕を呼んでくれないの?」

「それはまあ、ちょっとやることがあったのだ」

「この人とヤろうとしてたね?」


 うわっ。可愛い顔してなんてことを……。


「バレてたか。バタイユ、お前には叶わないな」

 ははは、とヴァーツァが笑った。悪霊のくせに疚しそうだ。って、ヴァーツァのあれは本気だったのか?

「ダメじゃん。兄さんはまだ、全快したわけじゃないんだよ? もう少しガラスの中で寝てなくちゃいけなかったのに。そんなにこの人が欲しかったの?」

「まあな」


 無茶苦茶な会話だ。

 それに、棺の中で療養してた?

 俺が欲しくて生き返った?


 じりじりと俺は後じさった。

 カルダンヌ公に弟がいたとは聞いていない。だとしたらこいつもあやかしの可能性がある。

 よかろう。二人まとめて浄化してやる。


「アイン イーヒィ アン アジン」

念を込めて唱えた。


「うるさい」

「ダメだぞ、バタイユ。そんな口の利き方をしたら」

 少年がぎろりと睨み、ヴァーツァがたしなめる。浄化されそうになっているくせに行儀をあれこれ言うとは、大した度胸だ。


「だって僕、この呪文、嫌いなんだもん」

「確かにきれいな言葉だと言い難いな」

勝手なことをほざいている。


「アイン イーヒィ アン アジン、アイン イーヒィ アン アジン!」

 俺は必死で繰り返す。この二つの悪霊を祓わなければならない。


「ああ、うるさい。ねえ、兄さん。カルダンヌ家の別荘へ行こうよ。誰も知らない隠れ家で、ゆっくりと養生するがいいよ」

「それは魅力的な提案だねえ」


 くくく、と、ヴァーツァが笑う。

 うっとりと兄を見上げ、少年が微笑んだ。


「じゃ、行こうか。ここはあまりにも……人間臭い」


 二人の周りをゆっくりと閃光が飛び交った。光は輪の形になり、どんどん半径を縮めていく。

 ヴァーツァがこちらに目を向けた。

「彼も連れて行かなくちゃ」

「え?」

 唖然とした。


 甲高い声で少年が何か叫んだが、聞き取れなかった。耳がきーんと痛む。

 光の中心から軍服の腕が伸びてきて、俺は、あっという間に引きずり込まれた。








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