Cパート

 事件の捜査は長引きそうだ・・・そう思っていた矢先、意外なことが起きた。次の日、授里愛じゅりあが一人で署に出頭したのだ。彼女はもううつむいていない。自分の言葉で真実を話す気になったのだ。

 早速、私は取調室で話を聞いた。


「ホテルラウンジで男を刺したのは私です・・・」


 彼女はいきなり話を切り出した。


「あの日、無理やり合コンに誘われてかなり酔っぱらってしまいました。足元が危ういほど・・・。そんな私をあの男がホテルに連れ込んだのです。男は私に乱暴しようとしました。私は必死に抵抗しました。するとあの男はナイフを取り出したのです。『言うことを聞かないと痛い目にあうぞ!』と。でも私は逃げ出そうとドアの方に向かいました。そこでもみあいになって倒れたところで、そのナイフが男の胸に刺さっていたのです・・・」


 彼女は震えながらもその時の話をしてくれていた。


「血がどくどくと流れて男は動かなくなりました。私は恐ろしくて声も出せずにそこで震えていました。そこにドアの鍵が開いてあのおばさんが飛び込んできたのです」

「そのおばさんは昨日、ここの廊下で会った人ですね」

「ええ。大森食堂のおばさんです。私もよく行くので知っていました。そのおばさんが私を見て言うのです。『ここからすぐに逃げなさい。あとのことは何も心配しなくていいから・・・』と。私は急いでそこからタクシーで家に帰りました。それからずっと部屋に閉じこもって震えていました。両親にも言えない・・・」


 彼女はその時の恐怖がトラウマになっていたのだ。だがどうして今日になって・・・私は疑問だった。


「勇気を出して話してくれましたね。でもどうして?」

「昨日、おばさんからあの言葉を聞いたからです。『さかもげ』って。そのひどく荒れた手とともに・・・。遠い過去の思い出がよみがえってきました。だけど暖かい手・・・懐かしくて涙が出てきました。私は何か守られているようで少し元気が出てきたんです・・・」


 彼女は少し涙ぐみながらそう話した。南野を刺したのは授里愛じゅりあだった。これで事件は解決した。だが大きな疑問が残った。英子がなぜ授里愛じゅりあをあれほど必死にかばおうとしたのか。いくら顔なじみの学生とはいってもその行動は説明がつかない。

 

 私はその謎を解くため、もう一度、英子を取調室に入れた。


「何度聞いても同じです。私が刺したんです!」


 英子はそう言い張っていた。私は優しく彼女に告げた。


「もういいのです。授里愛じゅりあさんがさっき出頭されました。そこですべてを話したのです。あの男を刺したのは自分だと・・・」

「そんなことはありません。それは嘘です。私が刺したんです! 彼女は・・・」


 英子は必死になっていた。


「落ち着いてください。あの男がナイフで脅そうとしてもみ合いになって刺した・・・その状況から正当防衛になると思います。たいした罪にならないはずです」


 それを聞いて英子は安心したようで椅子に深くもたれかかった。


「私はてっきり痴情のもつれか何かであの男を刺したのかと思いました。彼女のことは以前から知っていました。あの夜、酔って男に抱えられてホテルの部屋に入るのを見ました。私は心配になってドアの前にいると中から悲鳴が聞こえた。私は合いカギを取りに行ってすぐに部屋を開けました。すると男が刺されて死んでいて、彼女が震えていた。私はすぐに彼女をそこから逃しました。そして私は部屋に残ってナイフを抜いて指紋をふき取り、ドアノブもきれいにしました。でも防犯カメラまでは消せなかった。このままでは彼女に捜査の手が伸びる。だから私が犯人だと名乗り出たのです」


 英子はそう話した。


「あなたは心配していたのですね。授里愛じゅりあさんが大きな罪に問われると。だから自分が刺したと名乗り出た。でもどうしてです? なぜそんなに彼女をかばうのです」


 私は尋ねた。それが一番の謎だったからだ。英子は静かに話し出した。


「私は徳島の田舎で育ちました。18の時、そこで知り合った人と恋に落ち、やがて妊娠した。だがその人は姿を消してしまった。でも私は一人でも育てる気で生んだのです。それが授里愛じゅりあです。私が名付けました・・・」


 私は驚いた。授里愛じゅりあが英子の実の娘だったとは・・・。でも授里愛じゅりあには藤堂の両親がいたが・・・。


「でも貧しくて育てられなかった。私の両親はその時、亡くなっていたから・・・。だからその子を近所の子供のない夫婦の子供としました。戸籍でもそうなっているはずです」


 確かにそれで英子との関係はわからなかったのだ。


「でも毎日でも会いに行けた。その夫婦は嫌な顔をせず、毎日その子を抱かせてくれた。手荒れがひどいこの手で・・・。でも3歳の時でした。その夫婦が仕事の都合で東京に行くと・・・。私は会えなくなると悲しみました。でも2年で戻ってくるはずと言われて待ちました。でもその夫婦と子供は帰ってこなかった」


 英子はため息をついた。


「その夫婦が交通事故で無くなり、授里愛じゅりあは施設に引き取られたようです。そして藤堂の家の養子になった・・・それは後で知ったことですが・・・。私は上京して食堂で働きながら必死に授里愛じゅりあを探した。でもわからなかった・・・」

「それが最近、わかったのですね」


 私の言葉に英子はうなずいた。


「ええ、食堂で働いているときに女の学生さんが声をかけてくれたのです。『いつもありがとう』って。そして私の手を見て言うのです。『ができているわ。このクリームを塗ってね』ってハンドクリームを渡してくれたんです。私はうれしかった。でも私はという言葉が気になっていた。ささくれのことですが、この辺では使わない言葉だったから。しかも友達からその学生さんは『じゅりあ』と呼ばれていた。名前も年も同じ。しかも振り向いたときに彼女の右耳の前の小さなほくろがあった。私は驚きました。彼女はあれほど探していた私の娘・・・授里愛じゅりあだったのです」

「どうして授里愛じゅりあさんには言わなかったのですか? 自分が母親であることを」


 英子は大きく首を横に振った。


「言えなかった・・・。授里愛じゅりあは裕福な家に引き取られ、幸せに暮らしています。いまさらこんなだらけの手をした貧乏な女が名乗り出ても困るでしょう。私は授里愛じゅりあのそばにいて彼女と顔を合わせるだけでよかったのです・・・」


 そこまで言ったとき、急に取調室のドアが開いた。そこには授里愛じゅりあが立っていた。彼女は取調室の横の部屋で倉田班長とともにすべてを聞いていたのだ。それでたまらなくなってその部屋を飛び出し、この取調室のドアを開けたのだった。

 授里愛じゅりあは目に涙をためながら言った。


「お母さんなんですね。私の本当の・・・」


 英子は顔を背けた。


「私はあなたに母だと名乗る資格はないのよ。ずっと放っておいたのだから・・・」

「ううん。覚えている。そのの手を。ガサガサだったけどあたたかかった。あれはお母さんの手だったのですね。お母さん!」


 そう言われて英子の目から涙が流れた。私は彼女に言った。


「英子さん。授里愛じゅりあさんは覚えていたのです。あなたを。その手のぬくもりとともに」


 私はそっと英子の背中を押した。


授里愛じゅりあ!」

「お母さん!」


 2人は駆け寄って抱き合った。涙を流しながら・・・。私はその光景をじっと眺めていた。倉田班長もいつの間にかその場に来ていた。その目には感激のあまり涙が光っていた。


「よかったですね!」


 私がそう言うと倉田班長は大きくうなずいた。


「ああ。よかった。あのささくれの手はこれからも娘を守っていくだろう・・・」


 取調室の窓から明るい日が差し、抱き合う2人を照らしていた。

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さかもげの手 広之新 @hironosin

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