【論考:歴史】大きいイベント、災害、戦争。これらに共通するのは変化、違和感の存在です。この三つが起こった後、世界は変わらざるを得なくなる。

──『いいか。変化を見つけたらそこに飛び込むんだ。

   変化、違和感、その類のものを見つけたら注視すること。

   変化の中にチャンスが眠っている。これは普遍の真理に近い』──

☆☆☆


 2024年4月12日(金)。21時14分。


 冒頭言から書いています。


 冒頭言は本当は、


──『ふとある日僕は 後ろを振り返る

   そして気付いたんだ 誰もいないことに(Seeka .)』──


 にしようかと思いましたが、どうしましょうか。


 この冒頭言はいつか使いましょう。使うというか、引用させて頂きますとしか言えません。


 統合失調症になってから、数年経ってとうおこを書き始めて、書き続けて、毎日書き続けていたら、振り返って見たら誰もいませんでした、というのが自分の本音ではあります。ずっと付いてきてくれる人も居ないという意味もあるし、同じことをやっている人もいない。ただ日記のような2000字くらいの文章を毎日書いている統合失調症患者は他にはいない。前だけ向いてただ書いていたら誰も後ろにはいませんでした、みたいな気分は持っています。


 いつか辞めるのでしょうけれども。いつ辞めるのでしょうか。


 こんにちは。井上和音です。


 ツイッターを見てみましょう。


☆☆☆


 「【報道1930メモ】

 オリンピックとか万博とか反対しまくる人が一定数いるけど、やってみたら国民の70%が「やって良かった」(東京2020)と回答する。五輪や万博を税金の無駄遣いと考えて、とりあえず反対する人は、何かとイチャモンを付けたいだけでは。五輪や万博に一切立候補しなくなると、その国が貧しくなると考えるし、何の変化もない日常に、子供たちに夢も希望も与えることが無くなると思うので、大阪万博は賛成派です。」


☆☆☆


 いや。今日は大阪万博の切手の発売日で、熊本駅の郵便局で買いました。希少価値とか無いと思いますが、まあ、販売日初日に買いました。


 「二枚でいいですか」「いえ、一シートください」「もしかして、コレクターの方ですか」「はい」


 みたいな会話をして買いました。熊本駅の切手に関する情報、豊富すぎて都会はいいなあと思いました。


 そこで、大阪万博の切手を手に入れるには、切手一枚+10円の寄付金を払わなければいけないのですね。大阪万博設営費とか管理費とか。泣く泣く100円分の寄付金を払って940円で手に入れました。寄付金払っているので大阪万博賛成派に回るしかないでしょう。


 これは冗談。愛・地球博とかの切手の時は+6円とかではなかったでしたっけ。寄付金も高くなっているのですね。切手は欲しかったから買えてよかったのですけれども。


 次は切手趣味週間ですよ。


 報道1930の話になりますと、大阪万博はイベント型資本主義という言葉が使われていました。夢洲ゆめしまの跡地はIRでカジノの街と化すらしいですが、別にいいんじゃないのでしょうか。


 イベント型資本主義ですよ。そこだけピックアップすると何のこっちゃという感じですが、要するに、イベントという変化を矯正するように開催して、その変化につけ込む形でインフラを整備したり、新たなる儲けというか、世界というか、法律というか、箱を造ったりするのがイベント型資本主義です。


 イベント型資本主義だけ見ると、へーそう。くらいの印象しかありませんが、番組では取り上げていませんでしたが、国や自治体によるイベントの他にも、災害型資本主義だったり、戦争型資本主義だったり、とにかく変化。変化があるところにビジネスチャンスは埋まっているという論調があると気が付きました。


 変化。違和感。


 イベント、災害、戦争。これが起こると、必ずぼろ儲けする会社が出てきます。または、東日本大震災のように、税制改正が行われる場合など、大きな変化が伴って起きることが確定します。復興特別所得税とか。東日本大震災がなければ存在しない新たな課税対象です。創造的復興とかガレキの撤去とかすれば、地元の大工は震災特需となって儲けを得ます。戦争が起これば、食料品の運搬など、とにかくあらゆる変化が起こります。戦争が起これば国境線も変わるかもしれませんね。考えてみれば、戦争が起こって国境線が変わる歴史というのは、世界史という長い目で見れば当たり前のことのように感じてしまいます。ところが、第二次世界大戦後。特に、今、この時、2024年4月12日の地球では、戦争によって国境線を変えてはいけないと主張していますが、考えてみれば、これはかなり無理難題な主張だと分かります。どこの国とは言いませんし、どこの国にも当てはまりそうな法則ですが、戦争をして国境線が変わりませんでしたという歴史は、かなり珍しいのではないのでしょうか。


 書いていいこと悪いこと。書いていい時悪い時。考えてみれば、戦争で国境線が変わるのが普通です。


 変化とか違和感とかがあれば、何かしらのチャンスが転がっていると思ったほうがいいですね。言ってしまえば、能登半島地震が起きた時のツイッターの閲覧数の増加は半端ではなかったです。これはある意味で震災特需であり、震災が起きたことによって利益やインプレッション、自己アピールなどに成功した人が大勢いるかと思われます。


 変化が起これば、知らない分野に飛び込むべきだと感じました。そこに需要があり、お金が動き、思想も生まれる。何もない平穏すぎる日々は存在しませんが、平穏でないからこそ、新たなる困難が生まれてこそ、人は生きる意味を持つのかなと感じました。大きいイベント、災害、戦争。これらを注視しながら生きていけば、新しい知識の扉や、変わっていく歴史を生で体感できるので、それが生きている証──生きている限りの、人生そのもの──と言えるのかもしれません。


 明日は休みなのでゆっくり勉強でもしようかなと思いました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る