第24話

 もう一度父親に怒鳴られて、元太郎もとたろうは仕方なく階下へ降りていった。階下の部屋で、父親は床に這いつくばって何やら格闘している。


「何やってんだよ」

「ひどくなってるんだ」

「あん?」

 元太郎は父親の横にしゃがみこんだ。


 床のビニールクロスが剥がれている。剥がれ始めて修理するために、父親はいつだったか接着剤を買ってきた。それなのに、一向に修理にとりかからなかった。それを、突然始めたってわけだ。


「おまえ、知らないか? この間買った――」

「ボンドね。知らないよ」

 父親がどこかへ片付けたはず。元太郎は果里奈のことで忙しかったから、まったく関知してないのだ。


「このまんまじゃあなあ、床がボロボロになっちまう」

 ぶつぶつと呟きながら、父親は掌でクロスを押し付ける。そんなことしたってどうにもならないのに。

「ほら、おまえも抑えろ」

「抑えたってどうにもなんないよ。ちゃんと張りつけなきゃ」

 人の髪を切るときはめちゃくちゃ几帳面なくせに、どうしてほかのことは、こう、いい加減なんだろう。


「どこにあるの、ボンド」

 すると父親は、立ち上がった元太郎を不安気ふあんげな目で見上げた。

「それがなぁ、思い出せないんだよ」

「ったく!」

 父親に当たったって仕方ないとはわかっている。だが、今はそれどころじゃないというのに。


「大体、どの辺だよ」

 期待せずに言いながら、元太郎は父親がボンドを置きそうなところを探し回った。  

 部屋の中にはなかった。

 じゃ、キッチンか?

 床のクロスを貼るボンドを、キッチンに置くとは考えにくいが、一応見てみよう。

 

 流しの上の棚を開け、抽斗を見る。

 ない。

 我慢が限界になってきた。こんなことをしている間にも、果里奈は苦しんでいるかもしれない。もしかしたら、そう、こんなふうに思っていたら――。

 どうして元太郎は助けにきてくれないの?

 

 腹立ちまぎれに、足先で流しの下の扉を開けた。

 と、あった。ビニールクロス用と書かれたチューブの接着剤が、使わなくなった古い鍋といっしょに転がっている。

 母親がいなくなってから、家の中には、この古い鍋のように存在意義のなくなったものが、そこかしこにある。使い方がわからなかったり、捨てるには忍びなくて、ただ、うっちゃっているのだ。


「ん?」

 古い鍋の横で何かが光った。

 元太郎はしゃがみこんで、それをつまみ上げた。小さな長方形のそれは、ピッピッと、間を置いて光る。

 なんだろう。

 顔に近づけてみて、元太郎は呟いた。


「スマホ?」

 多分、間違いない。人間の持っているスマホだ。怪獣が持つスマホとほぼ見た目がおんなじだ。光っているのは、着信があったかららしい。


 誰のだ?

 立ちすくんで、考えた。


 そんなの決まってる。この家にいた人間といえば、果里奈以外にいない。

「か、果里奈!」

 元太郎は思わず叫んでいた。叫べば、電話の向こうで果里奈が返事をするかのように。

「おい! 元太郎!」

 父親が呼んでいる。

「あったのか?」

 ドキリとして思わずスマホを落としそうになってしまったが、かろうじて尻尾で受け止める。


「あった、あったよ」

 返事をしたつもりだったが、ちゃんとした声にならなかったみたいだ。父親がふたたび、あったのかと叫んでいる。

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