第21話

「あれ? いない」

 店のキッチンの脇のある裏口に来ると、店員は立ち止った。

「おかしいなあ、ここで待つって言われたんだけど」

 

 裏口から表に出て、店員は左右を見回す。そして元太郎を振り返ると、

「いなくなっちゃいました。なんでかわかんないですけど」


「どんなやつ?」

「雄の恵比寿怪獣。かなり若い怪獣」

「ふーん」

 としか応えようがなかった。誰か、自分の知り合いがこのビーチにいて、声をかけたくなったのかもしれない。それならなんで直接言わないでこんなところに呼び出したのか。

 

 果里奈といるとこを見られちゃったのかな。それで声がかけにくくて――。

 

 そう思ったとき、テラス席のほうで、かすかな叫び声がした。顔を向けると、果里奈がいるはずのテーブルの前に、見知らぬ怪獣が立ちはだかっている。

 

 なんだ?


 瞬間、呼び出された怪獣かと思ったが、立ちはだかっているのはバッタに似た野蛮怪獣だ。呼び出したのは恵比寿怪獣だったというから、また別のやつだ。


 と、バッタは、果里奈が座っていたグラスを掴み取って走り出した。


「お、おい!」

 すぐさま元太郎は走り出した。焦って走ったものだから、尻尾で砂をまき散らしてしまった。

 何やってんだ!

 気をつけてよ!

 ほかの客に怒鳴られたが、構っていられない。

 バッタはすごい勢いで砂浜を駆け、海へ向かって行く。


「待てー!」

 バッタは振り向かずひたすら海に向かう。

「ど、どいてくれー!」

 ビーチで遊ぶ怪獣たちが、元太郎の怒鳴り声に怪訝な表情を向け、ある者はサッと避け、ある者は呆然と立ち尽くす。


 バッタの足は速かった。どんどん距離が離されていく。


 どういうつもりだ? このまま水の中に入るつもりか?


 そのとき、頭上からパラパラと小雨のような音が響き始めた。走りながら空を仰ぐと、小さなヘリコプターが見える。


 人間だ。


 元太郎は絶望的な気持ちになった。


 果里奈を取り返しに来たのだ。いや、果里奈をこの場で殺そうと狙っているのかもしれない。


「やめろー!」

 訳も分からず喚きながら、元太郎は走った。だが、バッタはもう、水の中に足の半分を突っ込んでいる。

 ババババッと音を立てて、ヘリコプターはバッタに近づいていく。

 

 バッタは体半分を水につけて、片手を大きく掲げた。手の先にはグラスが見える。縁にぶら下がっている果里奈も。


「果里奈ぁ―ッ」

 叫び声も虚しく、グラスごと果里奈はヘリコプターに吸い上げられていった。


「やめろーッ、やめろってば―ッ」

 ようやく元太郎が水際まで来たとき、ヘリコプターは向きを変えた。

 そして、そのまま勢いよく遠ざかっていく。


 元太郎は、ぺしゃりと砂の上に膝をついた。

「果里奈、ごめん」

 小さくなるヘリコプターを見つめながら、元太郎は呟いていた。



「どうした、そんなびしょぬれになって」

 家に戻ると、父親が呆れた声を上げた。

「どこで転んだんだ?」

 返事をする気になれない。子どもじゃあるまいし、砂遊びでもしたっていうのかよ。


 出かけたときと同じように、父親は寝転がってテレビを見ていた。テーブルの上には空のトレーがあるから、コンビニで総菜を買ってきて食べたんだろう。


「夕飯はどうする」

 部屋を横切って二階へ行こうとすると、声をかけてきた。

「なんでもいい」

「家には何にもないぞ」

「だったら、食べないよ」

 すると、むっくり起き上がって、まじまじと元太郎を見つめる。


「なんだ、そんな深刻な顔して」

 さすが父親だ。息子の変化にすぐ気づく。

「なんでもない」

「なんでもないってことはないだろ」

 ほっといてくれ。そう言いそうになってぐっと我慢した。老いた父親に当たっても仕方がない。


 果里奈がさらわれたのは、自分のせいだ。

 もっと注意していれば。

 騙されて、店の裏口へ行き、果里奈から目を離した自分が全面的に悪い。


「そういやあな」

 二階に上がる階段に足をかけたとき、父親が叫んだ。

「今日な、警察が来てたぞ」

 思わず足を止めて、振り返った。




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