第12話

 怪獣のペットボトルからは蓋に水を注ぐことはできないから、一旦コップに移し、それからこぼさないよう細心の注意を払って蓋を満たす。


 果里奈はごくごくと喉を鳴らして、水を飲み続けた。


「だいじょうぶ? そんなに飲んで」

 いくら薬瓶の小さな蓋とはいえ、こう何度もおかわりをしたら、溺れてしまうんじゃないかと思ってしまう。まくり上げたワンピースの袖口から覗く腕が白い。


「ずっと走ってたから」

 七杯目を飲んでから、果里奈は二の腕で口元を拭った。ちょっと彼女のイメージとは違うしぐさだったが、引き付けられた。


「訊いていいかな」

「なに?」

 果里奈は蓋を持った手を、こちらに伸ばした。

「なんで追われてるわけ?」

 最初に訊いたとき、捕まったら殺されると呟いていた。きっと、深い理由があるはずだ。


「一言じゃ言えない」

「一言じゃなくていいよ」

「悪いことをしたわけじゃないから」

「だけど、銃で狙われたんだ」

「ひどいでしょ」

「あいつらは誰?」

 じっとこちらを見据えたままだ。


 訊かれたくないんだな。

 そう思った。それなら、訊かなくてもいいや。

 

 弁当を分け入れたママゴト皿を、果里奈の横へ置いた。

「わあ、おいしそう」

「気に入るといいけど。あんまり種類がなくってさ」

 総菜を買うなら、ホームセンターなんかじゃなく、ちゃんとしたスーパーへ行くべきだったが、父親が帰る前にと思い、あそこで済ませてしまった。


「あ、あの、手づかみ?」

 果里奈が顔を上げた。

「あ、ごめん」

 箸のことなんて忘れていた。

 慌てて階下へ戻った元太郎は、キッチンの棚から爪楊枝を一本取り出し、それを折って二本にした。

 階段を駆け上がり、果里奈に渡した。


「これでいいかな」

「ありがとう。じゅうぶんよ」

 それから果里奈はしばらく、黙々と弁当に集中した。よほど空腹だったようだ。次から次へと箸をつけ、ものすごい勢いでたいらげていく。


「ねえ、もう一つだけ訊いていいかな」

 咀嚼を止めず、返事はない。

「どこから来たの?」

「?」

と、果里奈は目を丸くする。

「だから、人間の町のどこにいたのかってこと」

「言ってもわかんないと思う」

「そんなこと、言ってみなきゃわかんないでしょ」

「皇の内」

「えっ」

 くわしく知ってるわけじゃないが、皇の内は、人間の町の警察組織のあるところだ。

「なんの仕事をしてたの?」

「言えない」

 ふたたび果里奈は咀嚼を始めた。


 あまりあからさまではないように、元太郎は果里奈を観察した。

 元太郎に人間の女の知り合いはいないが、テレビではよく見る。

 その程度の知識でしかないが、手元の箱の中で弁当を食べている果里奈は、ごく普通の女に見えた。

 

 いくつなんだろう。さっきは人間年齢の二十五歳くらいだろうと予測したけれど、もっと若いかもしれないし、もっと老けているのかもしれない。

 訊きたかったが、できなかった。怪獣の町でも、女の人に年齢を訊くのはまずいことになっている。

 

 ふと、果里奈が顔を上げた。

「ねえ、食べたの?」

「あ、俺?」

 元太郎は首を振った。

「ごめんね、先に食べちゃって」

「そんなこといいんだ。いつも食事は一人でしてるから」


「一人暮らしなの?」

 そう言って、果里奈は段ボールの箱の中から部屋を見回す。

「いや、父親と暮らしてる」

「いっしょに食べないんだ」

「ああ、いつも別々」

 いつから自分と父親は、お互い好き勝手に食事をするようになったんだろう。母親がいなくなったあとなのは間違いないが、はっきりわからなかった。

 理由も時期も。



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