第9話

 夕方、今日のお客さんをすべてこなしてから、元太郎は父親に出かけると告げた。行先は、ホームセンターだ。女のために、小さな椅子やベッドを作る材料を買ってくるつもりだ。

 

 父親にはほんとうのことは言えないから、人間の突然の襲撃によってひびの入った鏡や穴の開いた椅子を直す道具を仕入れてくると説明した。

 もしやいっしょに行くと言われたらどうしようかと警戒したが、父親は商店街の集まりに行くと気もそぞろだった。

 どうやら今日の襲撃事件をみんなに話すつもりらしい。


「あんまり話を大きくしないほうがよくないかなあ」

 元太郎は言ってみた。襲撃された云々を話し合われると、襲撃前にバーバー・ゴジラに入っていった人間の女がいたとか、そんな目撃情報を誰かが拾ってくるかもしれない。

 そうなって、父親が女を探し始めたりなんかしたら面倒だ。まして、匿ってることがバレたら、どうなるやら。


「警察には言わないが、ここの商店街のみんなには話とかなきゃならない。大問題だからな」

 父親は慌てて店の制服を脱ぎ、出て行ってしまった。

 まあ、仕方ない。かなりの野次馬がいたのだ。何かしゃべらないとおさまらないだろう。


 父親がいなければ、堂々と女の様子を見に行ける。

 元太郎は急いて自分の部屋に向かった。

 なぜか、いつもより、階段が苦にならなかった。普段なら、一日の仕事の疲れが腰にきて、一段一段が辛いのに。


 自分の部屋に入ると、そこもまた、何かが違って見えた。

 特に飾り立てたり、かっこよくレイアウトしてある部屋じゃない。ただ、寝て、ゲームをするだけの部屋だ。

 散らかってもいる。母親が生きていたときはときどき掃除してくれたが、死んでからは滅多に掃除機もかけない。


 そんな部屋が、何か違って見える。

 特別な場所に見える。


 ベッドの下に押し込んだ箱は、変わりなく同じ場所にあった。

 ゆっくりと取り出す。

 蓋部分の段ボールを広げた。


 いた。

 女は敷いたタオルの上で、所在なげに座っている。


「大丈夫?」

 元太郎が声をかけると、女はまぶしそうにこちらを見た。

「これからさ、ホームセンターに行ってくるから」

「どうして?」

 表情が曇った。置いていかれるのが不安なんだろう。

「あんたのベッドやなんかを作るために、材料を買いに行くんだよ。心配いらない。親父も出かけたから、この家には誰もいない」

 女がこっくり頷いた。

「ついでにさ、なんか食べ物も買ってくるよ」

「ありがとう」 

 女の顔がぱっと輝いた。お腹が空いていたんだ。


「そろそろ夕飯の時間だ。何がいい?リクエストがあれば」

「なんでも構わない」

 遠慮している様子だ。

「じゃ、適当に見繕うよ」

「あ、できれば」

 女が喉に手をやった。

「すごく喉が渇いてるの。お水があれば」

「わかった」

 あの襲撃だ。ここに来るまでも、追われて逃げていたんだろう。


 蓋を閉めようとしたとき、女が、

「待って」

と、叫んだ。

「何?」

「あのーー、名前聞いてないから」

「あ」

 そういえばそうだった。

 お互い名前を知らない。


「俺、元太郎。あんたは?」

「香里奈」

 そっと蓋を閉め、階段を下りた。

 

 表に出て、店の上を振り返ったとき、元太郎は、ふと口の中で、

「香里奈」

と、呟いてみた。


 



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