第6話

 父親は黙々と店を片付け始めた。元太郎もいっしょに硝子の欠片を集める。

 

 その間、人間の女はシャンプー台の脚のうしろに隠れたままだった。

 なんとか父親にみつからないうちに逃がさなくては。

 そう思うが、いい案が浮かばない。

 難しい話ではないと思う。なんといっても、相手は小さいのだ。だが、なかなかタイミングが掴めない。


「お荷物でーす」

と、宅配業者が来た。

 そうだ。今日はカラー剤の定期便が来る日だ。二十日に一度、問屋からカラー剤が届く。

「ゴクローサン」

 父親が受け取り、カラー剤の入った段ボールを持ち上げた。

 慌てて走り寄り、箱に手をかける。カラーストックは、シャンプー台の奥の棚に入れる決まりになっている。シャンプー台に近寄られるのは困る。

「俺が、俺が運ぶよ」

 訝しげに、父親が元太郎を見た。

「なんだ? 重くないぞ」

「わかってるけどさ」

 大きな箱で配達されるが、中身はたいして入っていない。ほとんどは梱包材が占めている。

 強引に箱を奪い取った。そこである考えが思い浮かんだ。

 

 カラー剤のシャンプー台に向かい、足元を覗き込んだ。

 いる。

 こちらを見上げる表情が不安そうだ。

 だいじょうぶ。

 目で伝えて、箱を足元に置き、カラー剤をしまい始めた。

 

 空になった箱を、そっと足元に寄せる。

「入って」

 小声で言うと、人間の女はえっと驚いた。

「いいから。あとで箱を運び出して逃がしてやるから」

「なんだ?」

 父親が声を上げた。

「何をぶつぶつ言ってる」

「なんでもないよ」

 叫び返して、ふたたび女に顔を向ける。


「早く!」

 すると女は箱に飛び上がって中に入った。

 中に入ると、人間の女はいっそう頼りなげで心細く見えた。カラー剤の箱は一メートル四方。女が入ると何もない部屋に置き去りにされているみたいに見える。

 軽く蓋を閉めた。


「捨ててくるよ」

 声を上げて、箱を持ち上げた。用心に、梱包材を上に載せる。段ボールと梱包材は同じ日に捨てられないから、分けているのは不自然じゃない。

「おう」

と、父親の声が返ってきた。


 店の裏は細い通路になっている。怪獣の町でも商店街は店がひしめきあっている。隣同士は、もたれ合うみたいにくっついているのだ。

 薄暗い通路には、分別ゴミのプラスチックケースや、大きくて捨てきれないモノが、雑然と置かれている。ここを通る者は、そんなガラクタを避けて進み、ときには裏口からほかの店に行ったりする。

 

 元太郎は箱を地面にそっと下ろし、蓋を開けた。

「さあ、いいよ」

 女は箱の中でうずくまっていた。元太郎の声に弾かれたように立ち上がり、駆け登ってきた。


 女は通路の欠けたレンガの上に飛び下りた。

「早く行ったほうがいい、ここも案外怪獣たちが通るんだ」

 だが、女は動かなかった。レンガの上で立ちすくんだまま、じっと元太郎を見上げる。

「あ、そうか、邪魔だね」

 箱が女の前に立ちふさがっているのだ。

 箱を持ち上げて畳んだ。それから家の壁に寄せて立てかける。

「さあ、行けよ」

 やっぱり、女は動かなった。

「どうしたの?」

 すると女は、首を振ってみせた。左右にはっきりと。

「どういう意味?」

「――行かない」

 ささやくようだが、しっかり聞き取れた。

「行かないって、意味がわかんないんだけど」

「お願い。追い出さないで」

「え」

 追い出すも何も。

 元太郎は呆然と人間の女を見つめた。




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