第13話
仕事の間中、しゅるさんとは接点がなかった。代わりに、今日、隣り合わせで作業したのは根本さんだった。
終業間際に、仕事前にしゅるさんからお礼を言われたことを告げると、根本さんはまるで自分がひと肌脱いだみたいな言い方をした。
「同じ職場で働いてるんだもの、当り前よねえ」
根本さんは春奈同様、灰色たちの仕事を探してきてないのに。ま、根本さんがしゅるさんの相談に乗り始めたから話が進んだのは確か。根本さんがいなかったら、ただただ気味悪がって逃げ出していただろう。
「決まってよかったですよね、ほんと」
そう言ったとき、終業合図のチャイムが鳴って、春奈はピタリと手を止めた。自分でもせこいなあと思うが、時給で働いている以上、一分たりとも時間外労働はしたくない。
その点、根本さんはえらい。時間に関係なく、きっちりするところまでやる。ときには、時間オーバーになっても、誰かがやり残したところをツツンと収めてから帰るのだ。
「春ちゃん、今夜、暇?」
衛星帽子を脱ごうとすると、根本さんが言ってきた。もうチャイムが鳴ったから、声が大きい。
「どうしてですか?」
「今夜、しゅるさんの人たち、初仕事なんだって」
根本さんは、灰色たちを「しゅるさんの人たち」と言う。みんなそれぞれ呼び方が違うのだ。チュンさんは「林の人たち」と言うし、真坂さんは「あの人たち」と呼ぶ。涼くんははっきり「幽霊たち」。多分、紹介した仕事が幽霊の役だからそう呼ぶのが自然なんだろう。
「どの仕事?」
「涼くんの、ほら、映画出演の」
「わーっ」
馬鹿みたいだが、テンションが上がってしまった。有名な映画じゃなくても、主役じゃなくても、知り合いが映画出演するなんてすごい。
「でね、突然なんだけど誘ってくれたの。見に来ませんかって」
「行きたい」
即答した。こんなことでもなかったら、映画の撮影現場を見ることなんかないだろう。
春奈はロッカールームへ急ぐと、マルにラインした。
――今夜は根本さんと夕ご飯を食べて帰るね
マルと二人の間で、こういう事態になっても咎め立てはしないと決めてある。お互い束縛し合わないとか、そういうかっこいい話ではなくて、ゆるりとこうなっている。
いつだったか実家の母に話したら、驚かれたけれど。
そういえば子どもの頃、母が出かけるとなると、何日も前から予定を組んで、当日は家族の食事を作って出かけていたっけ。
マルも仕事が終わったのか、すぐに返信があった。
――わかった。楽しんできてね
むふふと笑いが込み上げたところで、ハタと気づいた。
「やだ、根本さん、聞いてなかった。場所どこ?」
映画の撮影となると、大きな街だろう。夕方から遠くまで行けば帰りがかなり遅くなる。明日も仕事だから、それは避けたい。
「本庄中学校」
「え? そんな近く?」
本庄中学校は町の中心部にある。ここから歩いては行けないが、バスで数分の距離。
「結構、出演場面が多いみたいよ」
ロッカールームを出てから、根本さんは首にスカーフを巻いた。
オレンジ色!
いつも決まって深緑色のスカーフを巻いているのに、今日はオレンジ色だ。
ということは、突然誘われたなんて言ってたけれど、今夜行くのは決まってたんだ。
ほんとは一人で行くつもりだったのに、なんで誘ってくれたんだろう。
「楽しみだわー」
バスを待ちながら、根本さんははしゃいでいる。
「そうですよねー。でも怖かったらやだな。わたし、ホラーとか苦手で」
「そうなのよ。真に迫ってたりしたら悲鳴上げちゃうかも」
本気で顔をしかめた根本さんを見て、一人で行くのが怖くなったんだとわかった。
なんといっても、灰色たちが本物かもしれないと知っているのは、自分たちだけなのだ。怖くなって隣の誰かに抱きつきたくなるかもしれない。まさか涼くんに抱きつくわけにはいかないし。
「だいじょうぶですよ。多分、そんなに怖くないと思います。だって、本気でやったら、仕事を辞めさせられちゃう」
「――そうよね」
上目使いにこちらを見た根本さんの目は、ちょっと怯えていた。
紅い夕焼けの道をバスは進み、数分で町の中心部に着いた。
本庄中学校前という名のバス停で降りる。
「目の前なんだ」
校舎を見るのは初めてだった。だが、本庄中学校はこの町で有名な中学校で、この町の出身ではない春奈も名前だけは知っていた。
古い校舎なのだ。昭和のはじめから残っている建物らしく、この町に来る観光客も見物に来るらしい。
木造の二階建て。窓は昔風の硝子がはめ込まれ、正面らしき入り口の上には、これもまた時代がかった時計塔がある。
たしかに幽霊が出演するにはぴったりの建物だ。
「なるほどねー、ここなら映画を撮れそうねえ」
根本さんはそう言いながら、門の脇に鬱蒼と茂る木々を仰いだ。樹木は学校の前庭に置かれたライトに照らされ、あたかもライトアップされているかのようだ。
校舎のほうから、撮影スタッフか、人のざわめきが聞こえてくる。
もし、光や音がなかったら。
夜には絶対来たくない場所だ。
そう思ったとき、
「根本さーん」
と、涼くんの声がした。
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