第11話
しゅるさんの家をどうやって退出してきたか、正直、春奈はあんまり思い出せない。
しゅるさんの家にいたあの「灰色たち」に見送られて出たんだろうけれど、仕事を探す云々の話が終わると恐怖が蘇ってきて、みんなでバタバタと出てきた気がする。
結局「灰色たち」がしゅるさんとどういう関係なのか、しゅるさんも灰色たちと同じ仲間なのか、今もってわからないままだ。
もちろん、翌日からもしゅるさんとは顔を合わせ、いっしょに仕事をしている。相変わらずしゅるさんの仕事ぶりは完璧だ。
涼くんが、
「決まりましたよ!」
と、みんなに発表したのは、しゅるさんの家に行ってから二週間少し経ったあとだった。
季節は夏の盛りを過ぎて、吹く風にちょっとだけ秋の気配を感じるようになった。といっても、毎日の暑さときたら、殺人級だ。もし、冷房で冷やされた職場じゃなかったら、冗談じゃなく暑さに殺されると思う。
「雇ってくれるって」
しゅるさんの家で「灰色たち」に約束した、映画出演の仕事だ。
「よかったわねえー!」
根本さんは手放しで喜んだけれど、春奈は釈然としなかった。雇うってことは、履歴書なんかも書くはずで、「灰色たち」にそんなもの書けるんだろうか。いや、書くことがあるんだろうか。
「なんていう映画なの?」
昼休憩でいつものようにお弁当を囲みながら、春奈は訊いた。
「呪いの家―血まみれの復讐」
「怖そうですね」
チュンさんが顔をしかめて言い、根本さんは、
「ホラーっぽくていいじゃない?」
と言う。
「ホラーなんだ」
幽霊が出る場面があるからと涼くんは言っていたが、幽霊が出るからといってホラーとは限らない。春奈はそう思っていた。つい最近、夫のマルがネットで映画を見て、おだやかなホームドラマだったのに、途中幽霊が出てきてマルは怖がっていた。マルは春奈と同様、怖いのとか、グロいのがほんとに苦手だから。
「結構、出演シーンが多いんですよ」
映画の舞台は、片田舎の大きな屋敷。そこにたまたまやって来た観光客が急な嵐を避けるために泊まり、そして屋敷にとり憑いている幽霊に襲われるというストーリーらしい。
「よくある話だね」
思わず言ってしまった。だって、ほんとにどっかで聞いたような話なんだもん。
「そうですけどね、ホラーなんて、ストーリーは単純でいいんですよ」
そうかな。ま、単純なストーリーであれば、あんまり怖くないからいいけど。
「案外、いい時給なんですよねー」
水をがぶ飲みしたあと、涼くんは続けた。
「いくら?」
すかさずチュンさんが、訊く。
「千円!」
「わ、いいなあ」
チュンさんと同時に春奈も叫んでしまった。紅八馬より断然いい。ここらあたりで、そんな時給で働けるところはまずないはずだ。
「しかも、セリフはなし!」
それから涼くんは、その映画についてひとしきり講釈をした。いつかは自分で映画を撮ってみたい涼くんとしては、いろいろと言いたいことがあるみたいだ。
思っていたよりも、映画について詳しい涼くんの話は専門的で、徐々に言葉が耳を素通りし始めたとき、それまではただ、ほーとか、へえとかしか言わなかった真坂さんが、
「ちょっと時給が低すぎるかなあ」
と、ぽそりと呟いた。
真坂さんも、根本さんに言われて「灰色たち」の職場を探していたのだ。
「いくら?」
根本さんが、ちょっと責めるような目で言った。
「八百五十円」
「あー、安いわ。安すぎる」
根本さんは嘆いたが、紅八馬と十円しか違わないんですけど。
「なんの仕事ですか」
チュンさんが訊いた。
「居酒屋」
「ホールスタッフ?」
涼くんが驚いた。
「個人でやってる店でね、ちょうど人が辞めちゃって困ってるところでさ」
「やれるのかなあ」
春奈も疑問に思う。ふわふわしてビールを運ばれたら、なんか嫌だ。せっかく飲みに来ていて、陰気な顔でうろうろされるのも
どうなんだろう。
「ま、会ってからだよ。会ってみないことにはね」
「そうですよねー」
二人は頷き合ったが、普通に話が進んでいることがそもそも奇妙だ。
だけど、その奇妙さを、全員が気づかないふりをしている。
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