第9話
相談があると言われたら、捨て置けないのが根本さんだ。優しい人であるのは間違いないが、ちょっとおせっかいでもある。
春奈は人の相談事にうまく対処できる性格ではないし、チュンさんには込み入った話は無理。涼くんは、春奈が思うに、社会の根っこというか何かがわかってなくて論外だし、真坂さんは人間関係に深入りしない人だ。
さすがにこの状況で、「相談」という言葉に反応しないだろう。
ところがというかやっぱりというか、根本さんが姿勢を変えた。前のめりにドアに傾いていた身体がトトッとまっすぐに戻った。
「悩み事?」
そう言った根本さんの顔からは、恐怖心は消えていた。
「ちょ、ちょっと根本さん!」
いくら大好物が目の前に差し出されたからって、この状況だよ?
「わたしではないんですが」
と、しゅるさん。
いい加減悪い顔色が、ますます翳る。
「あら、誰?」
根本さんは全く普段と変わりないリアクションだ。信じられない。嬉々として輝き出した瞳は、春奈に実家の母親を思い出させる。母親は罪の意識なく、人のプライバシーにドカドカ踏み込んじゃう人だ。
すると――。
すうっと、灰色たちが集まってきた。灰色たち――この部屋にふいに出現した者たちだ。この家に入れてくれた男を含め、計五人。人と呼べるのならばだが。
さあ、と言うように、しゅるさんが五人を促した。
では、わたしがという合図なのか、一人の灰色が前へ進み出た。いや、流れてきたと言ったほうが当っている。
「仕事をください」
灰色はゆっくりと言った。
は?
多分、春奈たち全員が同じ表情をしていただろう。灰色の言葉は聞き取れた。だが……。
真坂さんが根本さんに顔を向けた。
「聞いた?」
根本さんは返事をしない。
「聞き間違いかな」
今度は春奈に尋ねる。
「――仕事をくださいって」
そう聞こえた。
「だよな」
狐につままれたような気分だ。真坂さんも同じ気持ちなんだろう。リアクションに困ったのか、咳払いする。
「わたしは紅八馬で仕事がありますが、みんなにはありません」
しゅるさんがお芝居の台本でも読むように言った。
「そりゃないよ、だって――」
涼くんが呟いた。チュンさんも頷き、春奈はその先を言わなかった涼くんにホッとする。
ところが、根本さんはあくまでも平常の悩み相談として答えるつもりのようだ。
「どんな仕事がいいの?」
どんな仕事も何も…。どこに彼らを雇う会社があるというのか。
そもそも、彼らは働けるのか?
春奈の疑問をよそに、話は進んだ。
「どんな仕事でもいいと言ってます。わたしのような仕事ならなおいいんでしょうが」
「紅八馬は、今、募集してないしねえ」
募集していたって、雇えるはずない。
「どこかに、彼らを雇ってくれる会社はないでしょうか」
「そうねえ。紅八馬と同じような仕事っていうんなら、なくもないと思うけど」
「根本さん!」
我慢しきれなくなって、春奈は根本さんを制した。
適当なことを言っちゃいけない。そもそも、彼らがどうやって働くのだ?
ゆ・う・れ・い、なんだから!
シフトの時間になるとふわっと出現して、終わったらすーっと消えるだろう。
いや、たとえば紅八馬の工場で働いたとして、饅頭を箱に詰められるのか? 規定どおりの個数を丁寧に並べ、蓋をしたら包装紙をかける。
簡単そうに見えて案外神経を使うのだ。しかも、素早く行わなくてはならない。
その上、工場は寒いのだ。食品を扱っているから、いつだって冷房が入っている。足元は特に冷えるし、仕事の間中立ちっぱなしだ。
ま、それは、いいか。
幽霊ならなんとなく寒くても平気な気がする。立ちっぱなしも気にならないのでは?
春奈ははたと気づいた。
しゅるさんが工場で一番仕事が早いと。ともすると、春奈たちよりしゅるさんのほうが、紅八馬において優秀だと。
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