第7話

 しゅるさんの家にしゅるさんがいても、なんの不思議もない。

 

 それなのに全員が戦慄してしまったのは、しゅるさんの佇まいだった。

 天井から吊り下げられたかのような所在ない立ち方。着ている服が壁と同じ茶色のせいかもしれない。まるで、壁と一体化しているように見えた。

 しかもしゅるさんの表情ときたら。

 普段からお化粧しているところを見たことはないが、こんなに顔色の悪い人だっただろうか。土気色とでもいおうか。とにかく淀んでいる。そのうえ、今日は職場と違って衛生帽子をかぶっていないから、わかめのような真っ黒で長い髪がだらりと胸の前に下がっている。

 

 普段、工場で見かけるしゅるさんと、同じ雰囲気だと言えばそうだが、薄暗い部屋の隅だからか、いつもより不気味さが際立つ。

 そもそもずっとここにいたんだろうか。それなら気づかないはずはない。それに、しゅるさんは留守だと涼くんは言っていた。


「お、おじゃましてます」

 真坂さんが意を決したふうに挨拶すると、しゅるさんはゆっくりと頭を下げた。

「いらっしゃい」

 しゅるさんは無表情だった。突然自宅へやって来た職場の同僚たちを迷惑だと思っているのか、それとも、歓迎しているのか。


「あのね」

 ガサゴソと紙の音をさせて、根本さんが、手土産の袋からきれいに包装された箱を取り出した。

「これ、おいしいからよかったら食べて」

「ありがとうございます」

 おかげで少し場が和んだ。根本さん、すごい。


「それじゃ」

と、真坂さんがみんなを振り返って、

「これで失礼しような」

 職場にいるとき、年長者風を吹かす人ではないが、真坂さんのリーダーシップには助かった。みんな、ほっとしたように頷き合い、部屋の出口へ体を向ける。

 と、かぼそい声が響いた。


「ゆっくりしてってください」

 全員が顔を見合わせた。どの顔にも、遠慮したいと書いてある。だが、しゅるさんは職場の同僚なのだ。しかも、勝手に押しかけて来たのはこちらのほう。いてくれと言われているのに帰るのはどうなんだろう。

「じゃ、もうちょっとだけ」

 誰も言い出さないから、仕方なく春奈は言った。しゅるさんの表情がちょっと緩んだように見える。


 春奈から順番にテーブルに戻り、全員が席に着くと、しゅるさんはすぐそばに佇んだ。

 涼くんはしゅるさんを避けるように、反対側に回る。


 沈黙が流れた。


 きまずい。


 誰か何か話せばいいのに。


 黙っているみんながうらめしかったが、春奈自身、何も思いつかなった。


 と、この家のもう一人の住人らしき男が突然、涼くんに向かっていった。


「な、なんですか!」

 涼くんは顔を引き攣らせて後ずさりする。

 男は無表情のまま、涼くんの目の前に立った。固唾を呑んで見据えてしまう。

「それ、ください」

 男が言った。

「へ?」

 鳩が豆鉄砲を食らった顔というのは、こういうのを言うんだろう。

「それ、ください」

 男は涼くんの反応など意に介さない様子で、単調に繰り返した。

「これのこと?」

 涼くんは震えながら、左手を持ち上げた。

 男は涼くんの腕時計を指差している。


 あ、


 モノをねだってる!


 そこに気づいたのは、春奈だけではなかったらしい。みんな、真坂さんも根本さんもチュンさんも、一様に目を丸くしそして震え出した。

 この林にはモノをねだる幽霊が出ると噂されている。今、まさに、その現場を目にしているのではないか?

 涼くんの怯え方は、見ていて気の毒なほどだった。口から泡が出るんじゃないかと思うほど、

「あわあわあわあわ」

 ただ繰り返している。

 あげなよ。とは言えない。見たところ、涼くんの時計は安物ではなさそうだし、そもそもあげる理由がない。

 子どもの頃聞いたこの林の幽霊話を、春奈は懸命に思い出そうとした。

 もし、モノをねだられてあげなかったら、どうなるんだっけ?

 食べられる? 違う。相手は怪物じゃないんだから。

 殺される? 違う、ニュアンスが合わない。

 とりつかれる? あ、これかも。


 ぞっとしたとき、しゅるさんが男の横へ移った。

 移ったなんて言い方はおかしいが、そうとしか言いようのない動きだった。すううーっと、滑るみたいに移動して、男のそばへ立った。

「もらえません」

 弱弱しい声だったが、男には響いたようだ。






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