第4話

 暗い雑木の隙間から、一筋の光が見えた。

 電灯らしき輝きだ。


「家ですかね」

 涼くんが一歩前へ踏み出した。

「家じゃない?」

 平屋ではあるが、窓らしきものも見えるし、家と言えるんじゃないかと春奈は思う。電気の黄色い光は、その窓から漏れている。


「あれがしゅるさんの家?」

 チュンさんは、怖いのか真坂さんの後ろに下がる。

「そうよぉ」

 根本さんは知ってるみたいに言った。歩くのがいちばん辛そうだった根本さんだ。決めつけたいのかもしれない。


「行ってみよう」

 真坂さんが歩き出した。みんなも動き出そうとしたのだが、ざわりと風が吹いて、木立が揺れる。そのせいで、前方の家らしきものから漏れる光が点滅する。

 バサバサッと大きな羽音が聞こえた。


「わ、なんだ?」

 涼くんが怯えた声で立ちすくんだ。

「鳥だよ、カラスだろ?」

 真坂さんの声は落ち着いているが、張り詰めてもいる。

 辺りは漆黒の闇といってよかった。見上げても、今夜は月も出ていない。懐中電灯の光が届く場所だけがと感じる。


 闇の中に何かがうごめく。そんな想像をしてしまう。


「な、なんかちょっと」

 涼くんが下がってきた。

「なんか、何よ?」

 春奈も立ちすくむ。

「不気味な感じが……」

「きゃあぁ!」

 チュンさんが叫んだ。


「やめてください!」

 チュンさんが、真坂さんに懐中電灯を向けた。

「な、なんなんだよ」

「今、触った! わたしのお尻!」

「冗談じゃないよ!」

 真坂さんがガバと、チュンさんの懐中電灯を振り払った。

「そんなことするわけないだろ!」

「嘘じゃない! わたしのお尻、ほんとに触られた!」

 真坂さんの年齢はたしか六十代半ば。三十代のチュンさんのお尻を触りたいと思うこともあるかもしれない。

 春奈は瞬間そう思ってしまって、真坂さんに申し訳ない気がした。真坂さんにいやらしい噂なんかないし、いつだって過剰と言えるほどおじいさん風を装っているのに。


「まあまあチュンさん」

 根本さんがとりなそうとしたとき、ふわりと何かが春奈の首筋をかすめた。


「きゃあ!」

 春奈はとっさにしゃがみこんだ。

 真坂さんの手のはずはない。ほかの誰の手のはずもない。

 だって、誰からも距離がある。

 じゃ、何? 誰が触ったの?


「な、なに、なんだよ!みんなふざけて――」

 涼くんは最後まで言い切れなかった。

「ぎゃあああぁあああああ」

と断末魔のような叫び声を上げ、走り出す。

 ちょ、ちょっと涼くん! どうしたのよ。

 春奈の声は音にならなかった。息を呑んで立ち尽くす。

 

 見た! 涼くんのそのすぐ後ろを、追いかけるように付いていく物体!

 いや、物体というより、それは明らかに人の姿だ。正確にいえば、人の半分の姿!


 

 風がやんだ。

 

 涼くんが落としたスマホの画面の光が、真っ黒な地面の上で、宝石か何かのように輝いている。

 静かだった。それぞれの息遣いだけが聞こえる。


「――見た?」

 口を開いたのは、根本さんだった。驚きのあまりのけぞって落としたしゅるさんへの手土産を拾い、土を払う。

「見た、見たです」

 チュンさんが応える。

 春奈もうなずいた。

「僕の幻覚じゃないんだね」

 真坂さんの声は震えている。

「ほんとうなんだ、ここに幽霊が出るって話」

 ようやく、春奈の喉から声が出た。


「あれ、幽霊なの?」

 根本さんが小声で訊いてきた。

「幽霊じゃなかったら、なに?」

「だって、そんなもの、いるはずない……」

 根本さんの声はますます小さくなる。

「根本さん、信じてなかったんですか?」

 チュンさんが、根本さんに懐中電灯を向けた。

 やめて、まぶしいと両手で顔を覆ってから、根本さんは続けた。

「信じてるわけないでしょう?」

「じゃ、しゅるさんも幽霊のはずないと思っていましたか?」

 チュンさんの翻訳文みたいな言い方は、こんな状況だと妙に落ち着いて聞こえる。

「そんな馬鹿らしい」

 普段の声で言われたら、馬鹿にされているように聞こえたかもしれないが、そう言った根本さんの声は消え入りそうだった。


「とにかく」

 真坂さんが声を上げた。

「涼くんを探しに行かないと」

 みんな黙っている。

 真坂さんが、全員の顔に順番に懐中電灯の光を当てた。

「根本さん、チュンさん」

 二人はゆっくりとうなずく。

「春ちゃんも」

 行きたくなかったが、涼くんをほっとくわけにはいかない。

「行きましょう」

 まるで団子みたいにくっついて、全員で歩き出した。


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