第1章 最悪の出会い vol.2

「大変申し訳ございませんでした!」


紗希子は床に膝と指をつき、頭を下げた。いわゆる『土下座』。本気の土下座なんて、これが人生初だ。


が、すでにこの数分で4回目である。



これから生徒になる藤宮成世は腕を組み、足も組んで、椅子にふんぞり返っている。


確かに、大勢のファンが詰めかけている楽屋口前において、女が「藤宮成世の楽屋に入れてくれ」と懇願している図は混乱を招くほかないし、不審者呼ばわりでも致し方ないと思う。


とはいえ、どれだけ謝らせたら気が済むのか。お前は王様か。


…なんて、言えるはずもない。



自ら引き受けたのだから、それなりのお金をいただくのだから、やるしかない。


けれど、こんな奴隷のような扱いを受けながらこれから1年間指導するなんて、さすがの紗希子もめげそうだ。


というかその前に、この男の方から首を切られるかもしれない。それはそれで腹が立つ。


大体、平沼からこの楽屋口の状況や成世の性格等を全く聞かされていないこともおかしい。・・・まあ、自分も聞かなかったけれど。


兎にも角にも、最悪な出会いだった。





最悪な出会いとは、まさしくこのことだ。そう断言できるほどには最悪だった。


普通に考えればわかるはずだ。


こっちはポラリズの藤宮成世だぞ?仮に知らなかったにしても、失礼のないよう調べて来るのが筋だろ。


それが何?大勢のファンの前で大声で藤宮成世の名を出して、楽屋に入れろだと?非常識にもほどがある。



マラソンくらいハードなコンサート前に、こんな無駄な体力は使いたくなかった。


そう思うとまた怒りがぶり返してきて、目の前で土下座する永尾紗希子を怒鳴りつける。


さっきから同じことしか言ってないし、怒鳴れば怒鳴るほど体力が奪われるというのに、成世は自分を抑えることが出来なかった。


一体何がそうさせていたのか。


思うに、俺は多分どこか期待していた。


まるでこの状況を俯瞰しているもう1人の成世が言っているみたいに、そんな考えが降ってくる。


そう、大弥が言ったようなうっかりはともかく、成世は心のどこかで超絶美人で頭のキレる家庭教師がここへスマートにやって来ることを期待していたのだと考えた。


しかしそれは、この女には関係ないことだ。俺が勝手に期待していただけ。


それを、色んな意味で裏切られたからと言って、この女を責めるのは違う。


俺が今この女にやっていることは、俺のことなんか何も知らないくせに、大人の手によって勝手に構築された、“アイドルとしての俺”のイメージだけで“俺”という人間を判断し、『成世くんはそんな人じゃない』とか、『藤宮なんてどうせこの程度』とか、SNS上で好き勝手言ってる奴らと変わんねーじゃん。



そう1人反省した成世だったが、これほど派手にばら撒いた怒りはそう簡単に回収できそうにないし、今日はもう授業を受けられそうにはない。頭を冷やさなきゃならない。


それに…やはり今の俺には無理ではないだろうか、と成世は思う。


ポラリズのメジャーデビューがすぐそこまで近付いているというこの大事な時期に、本来ならばリハや打ち合わせに裂けたはずの時間を犠牲にして、俺は自分の将来のためだけにいい大学を目指す。そんなことが出来るのか?



「悪いけどあんた、今日はもう帰って。今後のことはマネージャーを通して連絡するんで」


永尾紗希子はしずしずと立ち上がり、足が痺れたのか妙な足取りで楽屋から出て行った。





これはもう、クビが決定したに等しい。


紗希子は藤宮成世の楽屋を後にした途端に肩を落とした。


まだ一度も授業をしていないのに。自業自得、明らかに勉強不足だ。


私としたことが、なぜこんな風に勢い1つで突っ込んでいってしまったのだろう。


思い返してみれば、紗希子は上京してから、いや、上京する前からずっと、どこか地に足がついていないような感覚で、妙に焦ってばかりいた。空回りしているのだ。


もう行かなきゃ。もし藤宮成世に見つかったら、早く帰れ、顔も見たくない、とまた怒鳴られるに決まっている。


そう思い、紗希子が顔を上げたその時、爽やかな笑顔をたたえた青年二人が通りかかった。


一人は制服のような恰好で、ネクタイを外しながら歩いている。もう一人は見事なまでの金髪で、一目で美形だとわかる綺麗な顔立ちをしていた。


「あ、お疲れ様です!成世くんの家庭教師さんですよね?」


制服の方が紗希子に声を掛ける。元気すぎてヒヤヒヤした。楽屋の中にいる藤宮成世に聞こえたらまずい。


するとすかさず金髪の方が、「いいから行くよ、マリオ」と制服に言ってから、すれ違いざま「どうも」と紗希子に小さく頭を下げ、二人は廊下の角を曲がっていった。


紗希子はホッと息を吐く。


彼らはポラリズのメンバーなのだろう。制服の方なんて随分若そうだったけれど、もう立派に仕事しているんだもんな。


そう思うと、紗希子の胸が少しだけチクリと痛んだ。

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