第八章 彼との約束⑤


 リタ達は無事、国境近くの街に帰りついた。


 街で有名人だったルーカスたちが王女と共に地図外アネクメネに向かったことは既に街中に知れ渡っていた。王女の凱旋を誰もが歓声をあげて迎え入れた。


「全ては主のお導きあればこそ。無事、国にかかる呪いの解呪に成功しました」


 美しい笑顔を浮かべ、大勢の前の高らかに宣言する姿はまさに聖女そのものだ。誰もがあの中身が暴君とは思わないだろう。


「再びアウディティオには安寧の時代が訪れました。これからも皆が心安らかに過ごしていけること、それだけがわたくしの願いです。どうか、主への感謝を忘れずに、日々お暮らしください」


 演説を終えると、イヴァンジェリンは早々に宿屋に引っ込んだ。泊まるのは前回と同じ三階の部屋。室内に入るなり、王女は外套を脱ぎ捨て、ソファに身を沈ませる。


「ああ、本当に疲れたわ」


 本当に嫌そうに彼女は呟く。今の彼女の姿を見たら、きっと先ほどの王女の言葉に感動していた街の人々は失望するかもしれない。


 リタは床に落ちている外套を拾い上げ、上着掛けにかける。それからイヴァンジェリンに近づいた。


「これからどうなさるんですか?」

「もちろん、王都に戻るわ。騎士たちも大勢来ていることだしね」


 国境近くの街には国王が派遣した騎士が多く駐在していた。彼らはイヴァンジェリンを追っていたらしい。王女の生還に彼らは安堵すると同時に「国王陛下はお怒りですよ」と諫言した。


 リタやラルフ、グレンは元々王都から来ている。当然彼女と一緒に王都へ向かうことになるだろう。しかし、ルーカスとエリスは別だ。彼らとはここでお別れになるのだろう。


(寂しいなぁ)


 せっかく仲良くなれたのに。王都と国境近くの街では距離も離れている。また顔を合わせるとなるとしばらくは難しいだろう。


 物思いにふけっていると、イヴァンジェリンが足を差し出してきた。


「リタ。疲れたわ。足を揉みなさい」


 そういえば、リタが王女の下僕になるのは『アメーリアの下へたどり着くまで』という話だったはずだ。それからも結局、使用人のような真似事をさせられている。その点についてはイヴァンジェリンはどう考えているのだろうか。盾突かれたと思われるのも怖いし、彼女の身の周りの世話をすることに異論はないが。


 言われるままにリタがマッサージをしていると、部屋の扉がノックされた。


「グレンです。よろしいでしょうか」

「ええ。入りなさい」


 扉が開き、部屋に入ってきたのは残りの四人の旅の仲間だ。彼らは王都から来た騎士への対応や、町の様子の確認をしてきてもらったところだ。イヴァンジェリンは部下たちの報告に耳を傾ける。


「そう。じゃあ、明日にも出発ということね」

「ええ。国王陛下からそのような指示を受けていると」

「まったく。わたくしのことを何だと思っているのかしら。――まあ、でもいいわ。これがお父様の最後の命令になるのだから、従ってあげましょう」


 イヴァンジェリンの言葉にグレンは首をひねる。


「最後ですか?」


 グレンが訊ね返すと、王女はニコリと微笑んだ。


「ええ。王都に戻り次第、お父様には国王の座を退いていただくわ」


 反逆罪にも問われかねない発言だ。この発言には王宮勤めの二人が戸惑いを見せる。


「それはさすがに」

「お前たちはアメーリア様のお言葉を忘れたの? 主がお許しになったのはわたくしのことだけよ。お父様とお母様はお許しになっていらっしゃらないの」


 確かに、アメーリアが口にしたのは『イヴァンジェリンを許す』というものだ。国王と王妃については言及していない。


「これは主の御意志です。わたくしたちがお父様とお母様の血を引いていることは大目に見ていただけることになりました。このまま、お父様を国王にし続ければ、また国の加護を失いかねない。必要な措置よ」

「では、次の国王は」

「もちろん、お兄様よ。ちょっと気弱なところはあるけれど、お父様よりはよっぽどいい君主になると思うわ」


 国王の長子、カルヴィン王太子は御年十八歳になる青年だ。王位継承権の順位で行けば順当だろう。エリスは瞬きをする。


「王女様は王様にならないの?」


 この国において、女王は存在しない。稀に王位を引き継げる男子がいない場合に女王が立つこともあるが、一時的なものだ。多くが数年で退位する。長期に渡って王位につく女性はいない。エリスの疑問はそういった慣習を知らないためだろう。


 イヴァンジェリンは顔をしかめる。


「王位に興味はないわ。ただでさえ、聖女の役目もあるというのに、それ以上の重責は担えないわ」


 「それに」と言葉を続ける。


「矢面に立つよりは、裏で糸を引く方が何かと都合が良いもの。ぜひ、わたくしの分もお兄様には頑張ってもらわなきゃ」


 ――本当にどこまでも恐ろしい王女だと思う。


 彼女の言葉に誰も何も言うことが出来なかった。

 


 ❈



 王都から来た騎士の要望どおり、イヴァンジェリン一行は翌日、国境近くの街をたった。そして、驚くべきことに王都へ向かう馬車の中にはルーカスとエリスの姿もあった。


「何で俺達も」

「褒美をとらせるためよ。国境近くの街ここまでわざわざ騎士に運ばせるのも手間だもの」


 王女はルーカスの妹アビーの静養できる環境以外に、金銭で報酬を支払うことを約束している。しかし、今王女の手元には最低限の資金しかない。二人に報酬を払うことが出来ないのだ。


「王都なんて行ったこともないでしょう? 王宮にだって入れるんだもの。めったにない貴重な経験よ。喜びなさい」

「やったー!」

「……誰も王宮に行きたいなんて言ってねえだろ」


 エリスとルーカスの反応は対照的だ。ルーカスは嫌々であるが、リタとしてはまだしばらく顔を合わせられるのは喜ばしい。そして、リタ以上に二人の――というより、ルーカスの同行を喜んでいるのはグレンだった。


「まだまだ話し足りないと思っていたんだ」


 昨晩、ルーカスとグレンは夜遅くまで話をしていたらしい。主にグレンが十二年間の思い出を語る会になっていたらしいが、ルーカスは面倒見よく夜まで付き合ってくれたそうだ。そのせいか、ルーカスは多少眠そうである。


「王都に着いたら、見せたいものも色々あるんだ。我が家にも一回来てほしい」


 グレンにとって、ルーカスは幼い頃の恩師のような存在なのだろう。十二年ぶりの再会を喜ぶ気持ちは分からなくもない。しかし、一方のルーカスは困惑の方が強そうだ。外見だけでなく、中身も大人になったのだ。しかも、名実ともに国の英雄と呼ばれる実力者。そんな相手に慕われる構図は複雑なのだろう。その感情がありありと表情に現われていた。


 そして、その状況を複雑に思うのはリタも同様である。ルーカスほどではないが、リタだってグレンとは久しぶりの再会なのだ。その上、リタはグレンにとって恋人である。その恋人をおいて、ルーカスにばかりかまけるとはどういう了見なのだろう。


 リタはグレンの袖をひく。こちらを見たグレンは不思議そうだ。瞬きをしてから、笑う。


「どうした、リタ?」


 その表情は何も気づいていないようだった。


「……何でもない」


 グレンは『未来ではリタに好かれる、告白される』というのを知っていても、告白されるまでリタの好意に全く気付いていなかった。多分、こういうことには鈍感なのだろう。諦めたリタは代わりに、正面に座るエリスに話しかける。


 王都に着くまでの四日間。リタ達は賑やかな道中を送った。 

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