第八章 彼との約束④


 決着は想像以上にあっさりしたものだった。


 グレンの帰還を悟ったイヴァンジェリンは「待ちくたびれたわ」と文句を口にした。グレンを苦笑いをしながらも、魔法での援護を王女に依頼する。彼女は指示通り、強化魔法をグレンに掛けた。


 黒竜は標的が目の前に現れたことに咆哮をあげる。それが歓喜なのか、怒りなのかはリタには分からない。空高く飛翔する黒竜に向かって、グレンは高く――おそらく、自身で何かしらの魔法を使ったのだろう――跳んだ。そして、剣が赤く燃えたと思った瞬間、刃が黒竜の首を両断する。首を斬られ、流石の黒竜もそれ以上抗うことが出来なかった。大きな巨体は燃える火の海に落ち、大きく大地を揺らした。


 こうして敵は打ち倒された。しかし、残る問題は周囲の炎だ。先にルーカスの治療を終えた王女が今度はラルフに駆け寄り、治癒魔法を掛ける。全員の意識が回復したところで、イヴァンジェリンは両手を空に向かって広げる。すると、数秒もしないうちに空から雫が降り注ぎだした。


「これで火事も鎮火するわ。安心なさい」

「すごーい! すごーい!」


 両手をあげて大喜びしているのはエリスだ。


「王女様もだけど、グレンもすごいねえ! あんな大きな魔獣を一発で仕留めるなんて!」


 元々負傷していたのと、ある程度ルーカスたちが戦闘した後とはいえ、一撃で黒竜を倒すなんて只事ではない。噂の聞く通り、グレンの強さは尋常ではなかった。それをようやくリタは目の当たりにした。


 エリスの言葉にグレンは苦笑いを浮かべる。それから、こちらに歩いて来る。


「リタ」


 響く声は間違いようなく、愛する恋人のものだ。リタは子供のような泣き声をあげながら、グレンに抱き着く。グレンは優しく抱きしめてくれた。


「待たせてすまない。会いたかった」


 ――そんなことない。私も会いたかった。


 そう言いたかったけれど、嗚咽が零れるばかりで何も言葉が出ない。約束通り帰ってきてくれた。今、ここにグレンがいる。それだけで今はもう十分だった。


 仲間達が近づいて来る。イヴァンジェリンが咳払いをする。


「感動の再会のところ、申し訳ないのだけれど。――グレン」

「はい」


 グレンはリタを抱きしめたまま、顔だけ王女に向ける。イヴァンジェリンは厳かな笑みを浮かべる。


「よくぞ戻ってきましたね。大任、ご苦労様でした」

「とんでもありません。すべて、イヴァンジェリン殿下のお力があったが故です」


 その言葉の多くには謙遜が含まれているだろう。ただ、この旅を成功させられたのには王女の力も大きい。


「今回の件については、お前にもそれ相応の褒美を用意しないといけませんね。望むものを考えておきなさい」

「勿体ないお言葉です」


 それからグレンはエリスとルーカスに視線を向ける。


「ルーカス、エリス。久しぶりだな」


 ルーカスたちにとっては子供のグレンとは今さっきまで一緒にいたわけだが、グレンにとっては十二年ぶりの再会だ。どこか子供っぽい、嬉しそうな笑みを浮かべる。


「うん、えーっと、久しぶりぃ? さっきまで会ってたから、私たちは全然そんなことないんだけど! ねー、ルーカス」

「……まあ、随分立派になったことで。助かったぜ」


 エリスは喜んでいるが、ルーカスは戸惑いが強い。外見は変わらないので当然かもしれない。グレンは今度はラルフに視線を向ける。


「ラルフも。王宮ではよく顔を合わせていたが、こうしてちゃんと話せるのは久しぶりだな。また、今度ゆっくり君の研究について話をする時間を取ってもらえると嬉しい」

「こ、こちらこそ。グレンさんには以前から後押しをしていただいていたそうで、ありがとうございます」

「いや。俺は君が優秀な魔導士だってことを元から知ってただけだよ。特別なことは何もしていない」


 ラルフがどこか緊張した様子で、頭を下げる。こうして、全員グレンと再会の挨拶を終えたところで、「それにしても」とルーカスが口を開いた。


「結局、アイツは何で襲ってきたんだ? さっきの王女サマの話じゃ、グレンを狙ってるって話だったが」

「俺を?」


 グレンは怪訝そうな表情を浮かべる。


「確かにアイツは最初俺たちを連れ去ろうとしたが」

「……グレンは悪くないわ」


 どこか悲しそうに呟いたのはイヴァンジェリンだ。


地図外アネクメネは弱肉強食の世界。弱い者が悪いのよ」


 ルーカスとグレンが同時に訊ねる。


「おい、どういう意味だ」

「殿下、それはどういうことでしょうか?」


 珍しく逡巡しながら、王女は口を開いた。


「……グレンが倒した魔獣の中に黒竜のツガイがいたのよ」

ツガイ?」

「妻、と言うべきなのかしらね。実際にどういう魔獣かは分からないけど……とっても怒っていたわ。『とうとうツガイが死んだ。あんな大怪我を負わせたお前をツガイの前で引き裂くつもりだったが、それも叶わなくなった。お前を殺す。絶対に生きて帰さないぞ』」


 周囲の沈黙が落ちた。


 アメーリアは白竜ハロルド様と意思疎通が出来る。そして、イヴァンジェリンも黒竜の咆哮を聞き、立ち尽くしていた。彼女は黒竜の叫びを聞いたのだろう。まさか、黒竜にも家族がいて、その復讐のために狙われていたとは思いもしなかったのだ。


 グレンは沈痛な面持ちで目を閉じる。


「つまり、皆が危険に陥ったのは俺が原因だったわけですね」

「それを言うなら、元を辿ればお前を地図外アネクメネへ向かわせる原因を作ったのはお父様よ。お前は役目を全うしようとしただけ。お前に責任はないわ」


 イヴァンジェリンの言うように、グレンは何も知らなかった。彼が悪いわけではない。しかし、当人はそうは思えないのだろう。思いつめた顔で黙り込む。エリスが「まあまあ」と明るい声をあげる。


「結局、グレンが皆を助けてくれたんだから結果オーライって奴だよ! 黒竜も倒せて、もう襲ってくる奴もいないんでしょう? 後は帰るだけじゃん。よかった、よかった!」


 明るい言葉で周囲の空気が和らぐ。


 ルーカスは「お前なあ」と呆れたように溜息を吐き、イヴァンジェリンは苦笑を浮かべる。


 でも、本当にエリスの言うとおりだ。黒竜は倒された。グレンも戻った。地図外アネクメネにおいてもこれ以上の危険はもうないだろう。


「もう大丈夫」


 精神的に落ち着いてきたリタはグレンから体を離す。泣きすぎて目が痛い。どこかで顔を洗いたい気分だ。グレンが笑いかける。


「『家に帰るまでが遠足』だっけ」


 それは以前、リタが教えた前世の話だ。学校の先生は『家に帰るまでが遠足』といつも口酸っぱく言われたものだ。前世ではそんな先生の言うことを「めんどくさいなあ」と聞いていたものだ。


 リタは苦笑して、「そうだね」と返す。


 空から落ちる雨粒は燃え盛る火を鎮火させていく。燃え広がった火が消えると、雨は止み、再び空を青空が包む。


 六人は祖国を目指し、再び歩き出す。リタは二ヶ月ぶりに再会した恋人の手を掴んで離さなかった。 

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