第八章 彼との約束②


 その姿を見間違えようはずがなかった。真っ黒な身体。破壊を体現したかのような姿。二週間前、グレンとリタを攫った黒竜そのものだ。


 ルーカスが叫ぶ。


「何でアイツがいるんだ! しばらく動けないって話だったろ!!」

「知らないわよ。でも、怪我は治りきってはいないようね」


 確かに、その体にいくつも大きな傷が残っている。動いたせいか、傷口から血が流れだしている。本当は動いてはいけない大怪我というのは間違いなさそうだ。エリスが「すっごーい」と感心したような声をあげる。


「ってか、魔獣は近寄ってこないって話じゃなかったのか!」

「アメーリア様は大半の魔獣は、とおっしゃってたでしょう。あそこまで規格外だと、主のお力に怖れをなすこともないようね」

「――クソッ。俺らでどうにかするしかないってことか」


 ルーカスとエリスは武器を構える。ラルフが詠唱を始める。グレンとリタは木の影に隠れる。ただ一人、イヴァンジェリンだけが吼える黒竜を呆然と見上げていた。


 戦闘態勢に入ろうとしない彼女に業を煮やしたルーカスが叫ぶ。


「おい、王女!」

「――え、ええ。分かっているわ」


 ハッと気づいたようにイヴァンジェリンも詠唱を始める。強化魔法の詠唱だ。仲間の身体能力をあげる作用がある。


黒竜アイツの肌は厚くて固いわ。お前の剣でも通用しない。でも、ハロルド様に噛まれた場所なら刃も通る。傷口を狙いなさい」


 大きな傷があるのは首と腹、足の三か所。そこからは桃色の肉のようなものが見える。確かにあそこなら攻撃が通用するかもしれない。


「あんな飛ばれてたら攻撃なんて出来ねえだろ」

「だから、近寄った瞬間を狙うのよ」


 イヴァンジェリンは一瞬、視線を伏せる。


「アイツはまたグレンを狙ってくるわ」


 彼女の言葉の意味を確認する暇もない。


「来ます!」


 ラルフが声をあげる。


 周囲の木々もお構いなしに、黒い体躯が突っ込んできた。ラルフの風魔法が黒竜に向かっていく。かまいたちのような空気の刃が黒竜の傷口を裂く。しかし、突進の勢いが弱まることはなかった。


「てええええい!!」


 エリスが飛ぶ。今度は上手く竜の肩に飛び乗り、首の傷目掛けて槍を突きさす。槍は深々と傷口を抉るが、黒竜が怯んだ様子はない。すぐに体を揺らし、体に乗っている敵を振り落とそうとする。エリスはそのまま、振り落とされてしまうが、ラルフの魔法で怪我をすることなく着地できた。


 その様子をリタは遠くから見守ることしか出来なかった。今度こそは大丈夫、と自分自身に言い聞かせる。


 以前、黒竜と出会った時は絶対に勝てないと思った。しかし、今、黒竜は大怪我を負っているし、イヴァンジェリンは聖女の能力を持っている。今も前回と違い、四人はそれなりの戦いを見せている。十分、勝ち目はあるはず。そう信じたかった。



 おかしい、と思い始めたのは戦いが始まってしばらくしてからだ。


 四人の連携もあり、何度も彼らは竜の傷口からダメージを与えていく。それにも関わらず、黒竜が一切怯む気配がないのだ。時折咆哮をあげ、果敢に挑んでくる。違和感を覚えたのは、きっと戦っている四人が先だったはずだ。

 

 どれほど肉を裂かれようと、血が流れようと黒竜の攻撃は止まない。引くこともない。決して諦めることがない。まるで自分の命が尽きようと目的を果たそうという、妄執を感じる。アメーリアは黒竜に知能があると言った。なら、このままでは自身が死んでしまうかもしれないことは分かっているはずだ。なのに、諦める様子を全く見せない。


 黒竜が一際大きな咆哮をあげる。頭を大きく振りかぶったと思った瞬間、その口から炎を吐き始めた。まるで火炎放射器のような勢いだ。


 今、リタ達がいる周囲は一帯すべてが森だ。当然、そんなことをすれば、炎が燃え移ってしまう。


 無差別に放たれる炎が瞬く間に周囲をどんどん燃やしていく。しがみついた木に火が移ったことで、リタとグレンもその場にとどまり続けられなくなった。


「グレン、あっちに!」


 リタはグレンの手を引いて、別の岩陰に隠れようと走る。目ざとく獲物の姿に気づいた黒竜がこちらに突進してきた。


 だが、今回は前回と違い、グレンが攫われることはなかった。


 直前に前に飛び出してきたラルフの防御魔法が二人を庇う。しかし、黒竜の勢いは止まらない。黒竜は防御魔法ごと、ラルフを空に高く吹き飛ばした。


「ラルフ!」


 イヴァンジェリンの魔法で、ラルフが地面に叩きつけられる前に衝撃は緩和された。しかし、ラルフは倒れたまま、動かない。おそらく、黒竜の突進の衝撃で意識を失ったのだ。


 四人の戦闘時における役割は明確だ。ルーカスとエリスが前線で敵と戦い、イヴァンジェリンが強化魔法や治癒魔法で二人を補助する。その中でラルフの役割は多岐に渡る。イヴァンジェリン以上に多くの魔法を扱える彼は、時に魔法で敵の数を減らしたり、後方から敵の体力を削る。イヴァンジェリンだけでは手が回らない際に補助に回ることだってある。ラルフは縁の下の力持ちと呼べる存在だった。


 ――ラルフが戦闘不能になったことで、一気に三人の連携は崩れた。


 イヴァンジェリンが魔法で補助を続けるが、ラルフの魔法による牽制がなくなった今、黒竜の攻撃の勢いはどんどん増していく。更に黒竜は魔導士が倒れ、空への攻撃が収まったことを理解するや否や、戦法をヒットアンドアウェイに切り替えた。そのため、ルーカスとエリスはどんどん傷を増やしていき、イヴァンジェリンは治癒魔法を連発するのに手いっぱいになる。とてもではないが、ラルフを起こしに行けない。


「グレン、ここで待ってて!」


 リタはそう言い残すと、倒れているラルフの下へ駆け寄る。


 小柄な体を抱え起こすが、やはり気を失っているようで、全く反応がない。胸に耳を当て、心臓が動いていることにホッとする。


 その体を引きずって、岩陰へ運ぶ。身体を揺するが、全く目を覚ます気配がない。グレンはその間もずっと、ルーカスたちが黒竜と戦うのをただひたすら見つめていた。


「……このままじゃ……っ!」


 グレンが悲痛な声をあげる。そして、背中に背負っていた背嚢リュックを乱暴に下ろすと、背嚢リュックに紐で括りつけられている細い袋を外す。


 袋の中から出てきたのは一本の剣。それは前回グレンがアメーリアの家を来訪した際に置いていったものだ。グレンは鞘から剣を抜こうとする。


「駄目!」


 リタは思わず、グレンから剣を奪い取った。


 ルーカスたちの手助けをしたい、というグレンの気持ちは分かる。しかし、ルーカスは帰りの道もグレンが戦闘に加わることを許可していない。まだ、地図外アネクメネの魔獣と戦える段階にないと判断されているのだ。


「リタ、剣を返してくれ!」

「駄目よ! ルーカスに戦っては駄目と言われているでしょう!」

「でも、このままじゃ、皆死ぬんだぞ!」


 リタは固く目を閉じた。


 その時、遠くから「ルーカス!」と王女の悲鳴が聞こえた。弾かれたようにそちらを見ると、ルーカスが地面に叩きつけられるところだった。その手足から血が流れる。


 ――状況は絶望的だ。


 気づけば周囲は一面火の海。逃れる先はどこにもない。魔導士ラルフ傭兵ルーカスも戦闘不能になった。残るイヴァンジェリンとエリスだけで黒竜を倒せるとは思えない。


 このまま、リタ達は死ぬしかないのだろうか。活路はない。あと出来るのはジリ貧であることを承知の上で足掻くだけだ。


 グレンが声を上げる。


「リタ、剣を返して。俺も戦う」


 それまでリタはなるべく、子供のグレンを否定するような発言は極力避けてきた。しかし、このときばかりは言葉を選んでいる余裕はなかった。


「無理よ! 今のグレンに勝てるわけがないじゃない!!」


 その言葉にグレンは息を呑んだ。ショックを受けたように、呆然とこちらを見つめる。リタも自身の発言を後悔する。グレンを傷つけたかったわけではない。


 でも、グレンではこの状況を打開することは出来ないのは事実だ。


 今、相対する黒竜は地図外アネクメネの魔獣でも最も強い一体だ。グレンが戦闘に加わったとしても、戦況が変わるとは思えない。逆に足手まといになる可能性の方が高い。


 ――今度こそ、終わりなのだろうか。


 ここまでの旅で危ない目に遭ってきた。もう終わりだと覚悟をしたこともある。でも、リタは死なないですんだ。皆も無事だった。そんな幸運はもうここで終わりだというのだろうか。やっと、国の呪いは解け、聖女を取り戻したというのに。


 ――終わりになんてしたくない。


 でも、リタに出来ることはない。グレンに剣を返したところで、彼が黒竜を倒すことも不可能だ。だって、今のグレンのは未だ十二年前の子供のままなのだから。


 リタは剣を強く握りしめたまま、ぎゅっと目を閉じる。


 この状況を打開できる方法。何かないか。考えろ。考えろ。


『因果が繋がっていないわ』


 そうして、リタはようやく気付いた。


 目を見開き、リタはグレンを見る。多分、今の自分もグレンと同じ顔をしているはずだ。


(――そうか)


 すべてが符合する。リタはやっと、なぜ自分がここにいるのかを理解した。

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