第七章 加護の復活⑤


「二人ともちょっと来なさい」


 そう言って王女に連れて来られたのは寝室だ。


邪魔が入らないようにと、カーテンを閉めるように指示をされる。王女は寝台に腰かけ、グレンをその向かいに置いた椅子に座らせる。そして、王女はグレンに両手を差し出すように言った。


「貴方を元の時代に送り返すわ」


 ――とうとうその時が来たのだと思った。

 

 本来であれば、イヴァンジェリンと再会してすぐに行われても良かったことだ。しかし、聖女の能力をイヴァンジェリンが引き継いだため、その力を扱えるようになるまで時間が出来た。この五日間はただの猶予期間に過ぎなかった。


 差し出されたグレンの両手を王女は握り締めた。


「これから、未来のお前にやってもらうことを説明するわ」


 そう言って、イヴァンジェリンは事細かに指示を出していく。


 自身に謁見を求めること。その際に王女が聖女でないことを指摘し、未来に起きることを伝えること。王に魔女討伐に命令を下されたら、地図外アネクメネへ向かうこと。そして、その道中に印を残すこと。十四日目の襲撃の件は伏せておくこと。


 グレンは一語たりとも聞き逃さないように真剣に王女の言葉に耳を傾ける。


「今までよく努めてくれました。お前にとってはまだ十二年の間にやることは多いでしょうが――お前の働きに期待していますよ」

「はい、分かりました」


 グレンの言葉を聞いて、王女は目を閉じる。グレンもそれに倣う。呪文を唱えたり、光ったりというような分かりやすい変化はなかった。一分近く、沈黙が流れる。


 イヴァンジェリンが目を開けた。


「……終わったんですか?」


 傍目には終わったかどうかが分からない。確認をすると、王女は険しい表情を浮かべる。


「いえ、駄目ね」


 リタはグレンを見た。同じように目を開けた彼は――表情を見る限り、子供のグレンだ。「リタ」と、不安そうにこちらを見上げてきた。


 王女はグレンの手を離す。


「失敗したんですか?」

「いいえ、わたくしの術はきちんと成功しています。問題は別にあるわね」


 王女は灰色の瞳をグレンに向ける。何か探るような目だ。食い入るように見つめられ、グレンが怯む。イヴァンジェリンは視線を外し、ポツリと呟いた。


「因果が繋がっていないわ」

「……因果?」

「今、グレンを帰しても、わたくしたちが今いるこの未来に辿り着けないということよ。まだ足りないものがある。だからまだ帰せない。帰れない。術は成功しているから、因果さえ繋がれば戻せるはずなのだけれど」


 足りないものとは何だろう。抽象的な説明だ。イヴァンジェリンに訊ねたが、本人も具体的に何が必要かは分かっていないようだった。王女は立ち上がり、考え出す。


 この状況に誰もが困惑した。その中で一番不安を抱いたのは当事者であるグレンだったのだろう。


「……俺のせい、なのか?」


 そう、不安そうに口を開く。


「それさえも分からない。ただ、一つ言えることは貴方の本来の体の持ち主は、きちんと過去に帰還出来ている。わたくしたちはグレンの指示通りに動いたし、今のところ彼の記憶から外れるような行動もしていないわ。わたくしたちが目指していた未来と、この現在は大きく乖離はしていないはずよ」


 王女は一呼吸置く。


「でも、そうね。何か見落としがあるのかもしれない」


 結局、その日はグレンを元に戻すことが出来ず一日が終わった。


 グレンは不安を抱えたままだが、「もうちょっとみんなと一緒にいられるのは嬉しい」と言った。彼の心情を慮って、リタはグレンに家事を手伝わなくていいと伝えた。残りの時間好きなように過ごしていいと。



 ❈



 翌日。イヴァンジェリンは居間の椅子に座り、朝から全く動かなかった。


 リタが洗濯物を洗いに家を出て戻って来たときも、まるで時間が経っていないかのように王女は同じ姿勢で座っていた。さすがに少し心配になって来る。


「あのー、よろしければお茶でもご用意いたしましょうか?」


 声をかけると、視線がこちらに向く。反応があったことに安堵する。しかし、彼女が口にしたのはリタの質問への解答ではなかった。


「何故、お前を旅に加えたのかしら」

「……はい?」


 それは一体どういう意味だ。リタを誘ったのは王女当人ではないか。困惑していると王女は真面目な顔で言葉を続ける。


「何故、グレンはお前を旅に同行させるように言ったのかしら」

「……それは、グレンの記憶で、私も旅に同行していたからじゃないですか?」


 同じ未来に行きつくためには出来る限り同じ条件を揃えた方がいい。未来が流動的と言ったのは王女だ。――もっとも、それを口にした当時、彼女は聖女ではなかったため、どれほど信ぴょう性があるかは分からない。ただ、前世の記憶を含めて考えると、そこまで間違ったことを言ってはいないと思う。


「ええ、そうね。でも、この旅自体はお前がいなくても成立したと思わない?」


 瞬間的にひどいことを言われていると感じてしまったが、――確かにイヴァンジェリンの言うとおりだ。リタは黙り込む。


「まず必須条件はわたくしとがアメーリア様に会うこと。次にラルフ、ルーカス、エリスの三人の同行よ。最後の一週間はあの三人なしでは乗りきれなかった。それと当然ながらグレンも必要よ。彼が旅に同行し、その経験を持ち帰らなければ、そもそもわたくしが旅に出ることもなかったのだから」


 ――そして、残るはリタ。


 旅の道中、リタは少しでも役に立とうと出来ることは何でも引き受けた。それは逆を言えば、そうしなければ役割がなかったからだ。戦うことも出来ず、特殊な能力も持たないリタは旅の間完全なお荷物だった。黒竜に連れ攫われたのもグレンのオマケ。今は家事、雑用を頑張ってはいるが、これもリタでなければ出来ないことではない。


「グレンの経験では全員無事だったかもしれないけれど、下手をすれば全員命を落とす可能性もある。そんな危険な旅に、『自分の経験した旅には同行していた』という理由だけで愛する恋人を同伴させるものなの? わたくしが知るグレンはそういう男ではなかったように思えたけれど」


 リタは何も言えなかった。


 確かにグレンはどちらかというと心配性なほうだ。一緒に逢引をしていても、リタに対し必要以上に気を回していた。ちょっと急な坂道でも手を貸してくれたし、少しでも距離をとると「はぐれるよ」と言って手を繋いでくれた。その度にリタは「グレンは心配性なんだから」と笑ったものだ。そのグレンが危険な旅にリタを同行させた。


 イヴァンジェリンは溜息をつくと、立ち上がる。


「気が進みませんが、少し主にお伺いをたててきます」


 そう言ってイヴァンジェリンは寝室へ向かった。完全に聖女の能力を使いこなせれば、神との交信は自由自在らしいが、今のところまだイヴァンジェリンは夢の中でしか神と会えない。リタはその背中を見送った。


 ルーカスが玄関から入って来たのはそれから少ししてのことだった。


「王女はどうした?」


 確かルーカスはエリスとグレンと一緒に訓練中だったはずだ。「王女殿下は夢の中で神様とお話し中です」と伝えると、顔を顰められた。


「マジか」

「何か王女殿下に御用ですか?」


 旅の道中ではよく言い合いをしていたルーカスとイヴァンジェリンだが、アメーリアの家に到着してからはそういった姿をほとんど見なくなった。正確に言えば、ルーカスがイヴァンジェリンに噛みつかなくなったのだ。王女に何かを命令されても大体は大人しく言うことに従う。時折王女の発言にツッコむことはあるが、以前ほどの険悪さはない。おそらく、一週間の過酷な旅を乗り越えた経験が二人の関係にいい影響を与えたのだろう。


「手元が狂ってな。腕を切っちまった」

 

 そう言って、見せてきた左腕には大きな切り傷が出来ていた。布を当てて止血しているようだが、どんどん血が溢れて来る。リタは「まずいじゃないの!」と叫ぶ。


 運が悪いことに他に治癒魔法が使えるアメーリアとラルフも不在だ。アメーリアが聖女の能力を失ったため、代わりにラルフが家の周囲に感知魔法を張ることを提案したのだ。今二人は魔法陣を仕込みに出かけている。


 二人を呼び戻すか、イヴァンジェリンを叩き起こすか提案したが、「すぐ死ぬような血の量じゃねえよ」とルーカスに断られた。代わりにリタが応急処置をすることになる。アメーリアの家にはそのための布や包帯、薬は豊富に揃っている。


「ほら、出来たわよ。本当に気をつけてね」


 応急処置を終え、リタは使わなかった治療道具を棚に戻し始める。あくまで一時的な処置だ。後で改めて治癒魔法をかけてもらった方がいいだろう。


(……それにしても)


 リタは椅子に座り、自身の左腕の調子を確認するルーカスを見る。薬を塗っている最中も、彼は一切痛がる様子を見せなかった。


「結構傷深かったけど、痛くないの?」

「これぐらい大したことねえよ。今までにもっと大怪我したことだって何度もある。治癒魔法なんて使える奴もいねえから、一週間近く激痛にのたうち回ったりな。それに比べりゃな」


 エリスもだが、傭兵を生業としているルーカスには無数の傷がある。今回の旅は治癒魔法が使える人間が二人も同行しているため、すぐに治療を受けられているが、本来はそうではない。


 多くの魔導士は国やお金持ちが抱えている。野良の魔導士もいなくはないが、大量の金銭を巻き上げて治療を行うと聞く。治癒魔法の恩恵に預かれる人間はごく僅かなのだ。


 だから、本当にルーカスは大怪我を負うことに慣れているのだろう。リタはそれ以上言うべき言葉を失う。リタは包帯、布をしまい、最後に薬の入った瓶をしまう。ルーカスが「なあ」と声をかけてきたのはそのときだ。

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