第七章 加護の復活③
その晩、リタは物音で目を覚ました。何事かと体を起こし、目を擦る。寝台を見ると、イヴァンジェリンが起き上がっていた。寝台の隣にはアメーリアが立っている。
「王女殿下……?」
彼女はこちらに気づくと、唇に指を当てる。
リタの隣ではいびきをかきながらエリスが眠っている。アメーリアが小声で「起こしてしまいましたね。すみません」と詫びをしてきた。リタも小さな声で訊ねる。
「どうしたんですか、こんな夜更けに」
周囲はまだ暗い。朝方というわけでもないだろう。
「少し所用がありまして。出かけて参ります」
「こんな時間にですか?」
とてもではないが、人が活動するような時間じゃない。しかも、イヴァンジェリンも立ち上がった様子を見ると、二人でどこかに行くらしい。リタも同行しようと思い、「私も行きます」と立ち上がろうとする。それをアメーリアに止められた。
「それには及びません。二人だけで十分です。すぐ戻ります」
リタは助けを求めるようにイヴァンジェリンを見る。王女も「寝ていてもらって構わないわ」と言う。
結局、リタは二人が寝室を出ていくのを黙って見送るしかなかった。扉の向こうでまた別の扉が開く音がする。どうやら、本当に家の外に出かけたらしい。
(一体、何なのかしら)
眠っていていいと言われたが、気になって寝つけない。落ち着かないまま何度も寝返りを打っていると、しばらくして二人が戻って来た。正確な時間は分からないが、一時間は経っていないだろう。
リタは寝たふりをして、二人の様子を窺う。しかし、二人は何事もなかったかのように寝台に横になる。少しすると二人分の寝息がエリスのいびきの合間に聞こえるようになった。リタはもやもやを抱えたまま、再び眠りにつくのであった。
❈
翌朝。リタは一番に目を覚ました。
アメーリアの家での生活にも大分慣れ始めた。彼女の代わりに井戸から水を汲み、朝食の準備を始める。遅れてグレンとルーカスが起き、二人一緒に家の裏で鍛錬を始める。続いてアメーリアがやって来て目玉焼きを焼き始める。ラルフも起き、「ちょっと周りを見て来ていいですか?」と家を出ていった。イヴァンジェリンとエリスは寝室から出てくる気配がない。
朝食の用意が出来、リタは二人を起こしにいくことにした。出来ればもう少しゆっくり眠らせてやりたいところだが、食事が冷めてしまう。申し訳なさを感じながら、リタは寝室をノックした。
「王女殿下。エリス。朝ご飯が出来ましたよ」
「んー」
リタの言葉に反応したのはエリスだ。もぞもぞと起き上がる。
「あー、よく寝たあ」
彼女は野営の間はいつも見張りをしていた。ゆっくり眠れたのはきっと久しぶりのことだろう。エリスが伸びをしているのを見ながら、リタは今度はイヴァンジェリンに声をかけた。
「王女殿下。起きてください」
リタの知る限り、イヴァンジェリンは寝起きは良い。少なくとも声をかければすぐに目を開ける。それなのに、この日は声をかけてもピクリとも動かなかった。よくよく見ると、心なしか顔色も悪い。
リタは不安を覚え、非礼は承知で王女の肩を揺すった。
「王女殿下。――イヴァンジェリン様!」
体を思いっきり揺すられ、やっとイヴァンジェリンは目を開けた。死んでいたわけではないことにホッとする。
「おはようございます。ごはんが出来ましたよ」
声をかけるが、反応がない。ゆっくりした動作で王女が起き上がる。
「……どうなさったんですか?」
明らかにイヴァンジェリンの様子がおかしい。心ここにあらずと言うべきなのだろうか。顔色も真っ青なままだ。どこか体調を崩してしまったのだろうか。
リタが顔を覗き込むと、虚ろな焦点が合い、こちらを見た。どこか不安げに瞳が揺れる。
「わたくし、眠っていたの……?」
「ええ、そうですよ。ゆっくり休めましたか?」
昨晩一度目を覚ましているとはいえ、イヴァンジェリンは誰よりも早く眠りについた。熟睡出来ただろうと思ってそう訊ねたのだが、彼女はどこか上の空だった。
「眠っていた。わたくしは眠っていた。間違いないわよね?」
「はい。そうですよ。……本当に、どうかなさったんですか?」
何度も確認をし、やっとのことでイヴァンジェリンは安堵したように息を吐いた。ようやく表情に生気が戻る。
「――よかった。アレは夢だったのね」
「夢?」
「ええ。それはそれは怖ろしい悪夢を見たの。きっと、疲れていたのね」
そう言って、イヴァンジェリンは立ち上がる。
怖いもの知らずを絵に描いたような王女が恐ろしいと思う悪夢は一体どんなものなのだろう。気になるが、聞くのも恐ろしい。ホラー耐性はそれほどない。
「朝食が出来ています。お召し上がりになりますか?」
「ええ、勿論。その前に身支度だけ整えるわ」
そう言って、イヴァンジェリンは当然のように支度をリタに要求した。彼女の髪を梳き、要望通り髪をまとめる。
準備を終えた二人が居間に向かうと、そこには既にラルフ以外が揃っていた。しかし、アメーリア以外は席に座っていない。
「ねえねえ、ラルフがいないんだけど!」
不満げに声をあげたのはエリスだ。リタは首を傾げる。
「ラルフなら確か周りを見て来るって、……家の近くにいないの?」
「柵の中を一周したけどいなかったぜ」
何とも困ったことになった。アメーリア基準ではこの周辺は安全と言うが、実際はどうなのかリタには分からない。捜しに行きたいが、手がかりもなく探すのは危険な気がする。
思わぬ騒動にルーカスは険しい表情を浮かべ、グレンは不安そうだ。その中でイヴァンジェリンだけはいつも通り、落ち着いた態度だった。
「ラルフは
部下が行方不明だと言うのに彼女は冷静だ。イヴァンジェリンだって、
淡々と王女は言葉を続ける。
「ラルフなら家の裏手で植物観察に夢中よ。あの様子だと時間を忘れているわね。呼んでこないと一生帰ってこないわよ、あの子」
今に奇妙な沈黙が落ちる。
――既にイヴァンジェリンが聖女でないことは周知の事実だ。未来視どころか、人知を超えた能力も一切持ち合わせない。なのに、彼女は今、知るはずのない事柄を口にした。
沈黙を破ったのはルーカスだった。
「……それもグレンに聞いたのか?」
ラルフがどこにいるのか。それを知りえる術があるとすれば、事前にグレンに教えてもらっていたというものだけだろう。しかし、王女は「いいえ」と否定した。
「そんなことグレンに教わってないわ。……何で、わたくしラルフがいる場所が分かったのかしら」
口にした張本人のイヴァンジェリンも困惑している様子だ。何故、自身がその事を知っているのか理解出来ていないようだった。
誰もが顔を見合わせる中、一番落ち着いていたのはアメーリアだった。
「イヴァンジェリン殿下」
「はい」
名を呼ばれ、王女は答える。
「ラルフを迎えに行ってもらえますか。このままでは食事が冷めてしまいます」
「……分かりました」
イヴァンジェリンはどこか腑に落ちない様子ながらも、アメーリアの指示通り裏口へと向かう。その後を黙ってルーカスが追う。
残されたリタ達は王女たちが戻って来るのを待つしかなかった。
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