第七章 加護の復活②


 元々アメーリアの家は一人暮らし用のものだ。一般的な家よりは広く、二、三人ぐらいは暮らせそうな広さはあるが、七人もいると居間はかなり手狭になる。


 テーブルは四人用で、寝室から椅子を持ってきたが座れるのは五人まで。そのため、無作法ではあるが、リタとエリスが床にトレイを置いてその上に食器を並べて食事にすることになった。床で食べるのがリタとグレンではなく、リタとエリスなのはグレンがルーカスと話がしたい様子だったからだ。エリスは特にこだわりがなく、「食べれるならなんでもいいよ」ということだったのでグレンはエリスの言葉に甘えた。


 こんな大人数で食事をすることもなかなかない。旅の道中は六人で何度も食事をしたが、危険な地図外アネクメネのど真ん中だ。食事とお喋りに熱中することは出来なかった。


 グレンはルーカスに旅の話をねだった。しかし、未来に戻ったグレンがこの一週間の話を知らないため、「辻褄が合わなくなる」と王女によって道中の話をすることが禁止された。代わりにグレンは「十二年後に教えてほしい」と約束を交わし、今はルーカスたちの昔の武勇伝を聞いている。


 イヴァンジェリンはラルフと共にアメーリアと話をしている。彼らが話すのは王宮の話だったり、教会の話だったり、魔法の話だったり、とにかく難しい単語が並ぶ。他の人々に比べると食事の仕方も上品で、育ちの違いを感じさせる。


 一方のリタはひたすらエリスの話を聞いていた。彼女は思ったままに喋っていくので話題がどんどん変わっていく。前世の同級生の女の子にもこんなタイプの子がいたな、と思いながら、リタは聞き手に回っていた。


 腹ごなしがすむと、今度はアメーリアが「体を清めましょう」と女性陣を連れ出した。ランプを片手に向かう先は東の洞穴へ向かう道の途中にあるという温泉だ。家から離れているため、今までリタは使ったことがない。家の方で万が一何かあってもルーカスとラルフが対応できるだろうということで、リタは三週間ぶりに温かいお湯に浸かることが出来た。



「いやー、ごくらくごくらく」


 エリスは両手を伸ばし、全身から力を抜く。すっかりリラックスモードだ。一方のイヴァンジェリンは緊張が解けた反動か、眠そうにうとうとしている。


「王女殿下。お疲れですか?」


 心配になって声をかけると、一瞬イヴァンジェリンはハッとする。しかし、またすぐうとうととしだした。


「大丈夫よ」


 帰ってきたのは眠たそうな声だ。リタは「戻ったらもう休みましょうね」と苦笑いをした。


「せっかくです。明日以降もしばらくここで休養していくことをお薦めします」


 そう言ったのはアメーリアだ。彼女は単純に付き添いで来ただけらしく、温泉に浸からず一人で近くの岩場に腰かけている。リタはイヴァンジェリンを見る。


「どうなさいますか?」

「……そうね。この三週間、皆気を張り詰めてばかりでしたから、そうさせてもらいましょう」


 それはそうと、イヴァンジェリンが到着したことで目的を達成したつもりでいたが、帰りはどうするのだろうか。


 そのことも確認したかったが、あまりにも王女が眠たそうなのでやめておいた。聞くことはいつでもできるだろう。結局、イヴァンジェリンは温泉に浸かっている最中に眠り出してしまい、帰りはエリスが負ぶって戻ることになった。


 入れ違いで今度は男性陣が温泉に向かう。アメーリアがまた同伴しに行ったため、残ったリタは皆がいつでも休めるように寝床の準備を始める。女性陣は寝室で、男性陣は書斎で眠ってもらう予定だ。


 既にイヴァンジェリンは寝室の寝台ベッドで眠っている。エリスも「もうくたくただよー。先に寝るねー」と言って、リタが寝床を準備し終えた瞬間に眠り始めてしまった。


 それが終わると、食器の片付けを始める。七人分の食器だ。量があって、なかなか骨が折れる。


 有難いのはアメーリアが使っている石鹸が特性のものということだろうか。この世界の石鹸はあまり洗浄力が高くない。頑固な汚れを落とすのには時間がかかる。しかし、アメーリア特性の洗剤は地図外アネクメネにしか生えていない植物の実を使っているらしい。魔法も併用して作られたというそれは、前世の中性洗剤顔負けの洗浄力だ。洗濯ものにも使えるし、手荒れもない優れものだ。


「リタ」


 リタが食器を洗っていると、アメーリアたちが戻って来た。


 ルーカスたちは各々くつろぎ始めたが、グレンだけが台所にやって来た。「俺も手伝う」と言って、リタが洗い終えた食器を拭き始めてくれた。リタは微笑む。


「温泉、気持ち良かった?」

「ああ」


 ある程度は拭いてきたのだろうが、まだ髪は水気が残る。常より艶っぽさを感じるが、その顔に浮かぶのはなんとも無邪気な笑顔だ。こういう顔を見ると、やはり中身は子供なのだと思ってしまう。


「皆無事に到着して良かったわね」


 当初、リタは自分たちだけが先に到着したことに罪悪感を感じもした。しかし、考えてみれば、あのままリタ達が同伴していたら危険度はもっと上がっただろう。離れ離れになったのは逆に良かったのかもしれないと今は思っている。だからこそ、今この場に全員が揃っていることを何よりも嬉しく感じる。


「うん」


 リタの言葉にグレンも同調してくれた。しかし、その表情は返事と裏腹にどこか暗い。


 リタは手を止め、「グレン?」と呼びかけた。


「…………もうすぐ、リタ達とはお別れだね」


 そう言われて、ようやくリタは気づいた。


 イヴァンジェリンたちと合流した。それはすなわち、入れ替わっているグレンの精神を元に戻すのが近いということだ。今のグレンにとっては、それはリタ達との別れを示す。


 イヴァンジェリンの言伝を受け取ったグレンは十二年前の過去に戻る。そして、十二年の歳月をかけて、再びここに至る。


 十二年。長い年月だ。子供が大人になるだけの時間。また再び会えるとはいえ、グレンにとっては再会までに長い時間を要するのだ。リタ達は今のグレンと別れても、すぐに二十四歳のグレンと再会できる。でも、彼はそうじゃないのだ。


 リタは呟く。


「寂しいね」

「……リタもそう思ってくれる?」


 こちらを見つめる瞳はとても不安げだ。まるで見捨てられた子犬みたいだと、思わずリタは笑う。


「ええ、もちろん。弟が出来たみたいで嬉しかったから、もうさよならするのは寂しいわ」


 前世でも今世でもリタは一人っ子だ。昔から兄弟が欲しいと思っていた。


 この三週間、今のグレンと接していてようやく分かった。今のグレンはリタにとって弟のような存在だ。時折外見や声に惑わされることはあるけど、子供のグレンには恋愛感情は抱いていない。持っているのは親愛だけだ。


「弟」


 リタの言葉にどこかショックを受けたようにグレンが呟く。


 その様子を見て、気づく。十二歳といえば複雑なお年頃だ。弟扱いというのは矜持を傷つけかねない発言だった。どうフォローしようかと考えていると、グレンが先に口を開いた。


「前に、俺にリタのこと好きかって聞いたよな」


 それは一週間前、アメーリアの家に着いた翌日の話だろう。リタは頷く。


「リタは俺のこと、好き? 大人の俺じゃなくて、今の俺のこと」


 その言葉についリタは吹き出してしまった。まるで子供が母親に愛情を確認するかのような言葉だ。もしかしたら、今のグレンにとって、リタは母親に近い存在なのかもしれない。道中、ルーカスにも「恋人ってよりは母親だな」と言われたことを思い出す。


 グレンが顔を赤くする。


「何で笑うんだよ!」

「ごめんなさい。つい。――もちろん、大好きよ」


 本心を伝えただけではあるが、その言葉はグレンにとっても望んだものだったはずだ。しかし、グレンはどこか不満そうな表情のままだった。


「……でも、それって、弟としてってことだよな。男としてではなくて」


 今もグレンの中には大人の自分への劣等感コンプレックスが残っているのだろう。リタはどう答えるべきか考える。


 リタが男性として好きなのは確かに今のグレンじゃない。二十四歳のグレンだ。グレンが言ったように、リタが今の彼に抱くのは姉弟愛に近い。しかし、それをストレートに伝えることは、いたずらにグレンを傷つけるだけになってしまうかもしれない。かと言って、嘘をつくのも違う気がする。


 リタは布巾で手を拭う。悩んだ末に口を開いた。


「そうね。私が恋したのは今の貴方じゃない。大人の貴方よ」


 あの晩。傷ついたリタを救ってくれたグレン。大人のグレンにリタは恋をした。


「でも、それは貴方と別の誰かじゃない。貴方自身がいずれ至る、大人になった貴方によ」


 リタはグレンの頬に手を伸ばす。こんなに背が高いのに、実際の彼は本当に子供だ。十二歳の頃なら、きっとリタより背は低いだろう。


 これから彼はどんな十二年を過ごすのだろう。リタは大人になってからのグレンしか知らないから、空白の期間に何が起きたのかは分からない。辛いこともあっただろう。悲しいこともあっただろう。そういったいくつもの苦難を乗り越え、きっと大人になったグレンがいるのだ。


 リタは背伸びをする。それでもグレンの顔の位置が高く、リタは彼を少し引き寄せる。互いの額を合わせる。


「十年後にまた、会いましょう。……待ってるから」


 彼にとっての約十年後。リタにとっての二年前、まだリタは何も知らない。酒場に姿を現すようになった見覚えのない青年が、未来のリタと出会ってたことを。だから、二年前のリタがグレンを待つことは本当の意味では出来ない。でも、今のグレンの先に、大人の彼がいることを伝えたかった。


 グレンの瞳が潤む。彼は堪えるように目を閉じた。


「分かった。……まだ、周りが言うような立派な騎士になる自信はないけど、そうなれるように頑張る」


 国境近くの街の宿屋ではあんなに打ちひしがれていた少年が、少しだけ前を向けるようになった。その成長を喜ぶべきだろう。こういった少し少しの積み重ねが、いずれ大きな成長へと繋がっていくのだ。


「信じてる」


 リタは微笑む。それから「よーし! 洗い物ももうちょっとだよ!」と気合を入れて、残りの食器洗いを片付ける。食器棚に全て戻し、これでやることは終わりと思っていると後ろからグレンが遠慮がちに声をかけてきた。


「リタ。その、ちょっとお願いがあるんだけど」

「なあに?」


 グレンは恥ずかしそうに口を開く。


「……抱きしめてもいい?」


 どんな頼みも聞くつもりだったのだが、そのお願いには動揺した。いや、さっき恥ずかしい行動をしたのはリタが先ではあったのだが。動揺したまま、思わず「ど、どうして?」と訊ねてしまった。その質問にグレンは黙り込んでしまった。

 

「嫌ならいい。もう寝る」

「待って!」


 拗ねた、というよりは傷ついた反応を示し、台所を出ていこうとするグレンをリタは慌てて止めた。


「嫌じゃないわよ。それぐらいならいくらでも。どうぞ」


 そう言って、リタは歓迎の意を示すために笑みを浮かべて、両手を広げた。


 元々恋人だったため、当然グレンと抱き合ったことなんて数えきれないほどある。今も抱きしめられることに多少の恥ずかしさはあるが、はじめて抱きしめられたときほど心臓が暴れることもない。グレンの意図は分からないが、これも愛情確認の一つなのかもしれない。グレンにしたいようにさせてあげるのが一番だろう。


 自分で言い出したものの、本人も恥ずかしさがあるのだろう。グレンはどこか躊躇いながらも、リタを抱きしめた。リタもグレンの背に腕を回す。最初は遠慮がちだったが、少しずつ腕の力が強くなっていく。


「俺、絶対にリタに好きになってもらえるよう頑張るから」


 ――それは一体、何のためになんだろう。


 グレンの真意は分からない。でも、訊ねるのも何か違う気がする。


 リタは目を閉じ、「うん」と頷いた。

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