第七章 加護の復活①


 イヴァンジェリンたちが姿を現したのはアメーリアの話通り、一週間後のことだった。



 それは夕方のこと。


 リタはアメーリアと一緒に繕いものをしていた。他に仕事がないため、グレンも見よう見まねで手伝ってくれる。アメーリアの厳しい指導を受けながらグレンはひと針ひと針慎重に縫っていく。リタは穏やかな眼差しでそれを見守っていた。


 アメーリアが突然立ち上がったのはその最中だ。


 いい加減この程度のことではリタもグレンも驚かない。また何か思い出したのか、気づいたかでどこかへ行くと思いきや――彼女は玄関の方を黙って見つめる。


「来ました」


 その言葉で、リタもすぐにイヴァンジェリン達が到着したことを悟る。


 玄関に向かったアメーリアをリタとグレンも急いで追った。


 空は日が傾き赤く染まる。夕日の反対側の空は夜の色に近づいている。リタはアメーリアの視線先――家の前に広がる庭のその向こうを見つめる。


 薄暗い森の奥から近づいて来る影があった。大小四つ。そのうちの一つがこちらに気づくと元気よく手を振って来た。


「リタ―! グレンー! 久しぶりー!!」


 嬉しそうに笑うのは間違いなくエリスだ。


 笑顔は輝かんばかりだが、服はボロボロで肌も汚れ切っている。一緒にいるのはイヴァンジェリンとルーカス、ラルフ。全員揃っている。


 他の三人もエリスと同じように薄汚れている。手助けとなるものも殆どない中、地図外アネクメネを進んできたのだ。その様相から、四人が如何に苦労したかが分かる。


「みんな!」


 グレンが歩んだ通りに未来が進めば、イヴァンジェリン達がここに到着するのは確定事項だった。それでも、もしかしたらという不安を完全にぬぐうことは出来ない。


 リタとグレンは四人に駆け寄る。その勢いのまま、リタはイヴァンジェリンに抱き着く。


 不敬という考えはすっぽり頭から抜けていた。イヴァンジェリンに抱き着いたリタにエリスが抱き着いてきた。二人に抱き着かれた王女は何とも複雑そうな表情を浮かべる。


「無事でよかった」

「いやー、大変だったよ! ご飯も凝ったもの作れなくて、全然美味しくないし! 王女様は料理下手だし!」

「今はその話はいいでしょう」


 イヴァンジェリンが迷惑そうに「離れてちょうだい」と二人の体を突き放す。それから彼女は家の入口に佇むアメーリアに視線を向けた。


 ゆっくりと彼女は歩き出す。その足取りはどこか覚束ない。


 イヴァンジェリンはアメーリアの目前まで近づくと、その場に足を折った。


「――お初にお目にかかります。聖女アメーリア様」


 王女は頭を垂れたまま、挨拶の口上を口にする。


「わたくしは第二十四代アウディティオ国王ブレンドンの娘。第一王女イヴァンジェリンと申します。厚顔にも拝顔を得ることをお許しください。此度は主と聖女アメーリア様に御慈悲を願いたく馳せ参上いたしました」


 アメーリアはただイヴァンジェリンを見下ろす。感情表現に乏しい聖女の顔からは考えていることは読み取れない。


「十九年前に我が父は主の寵愛を受けたアメーリア様を偽物と断じ、あまつさえ国外追放に処すという罪を犯しました。それ以降、我が国は主の御加護を失って久しく、それによるわざわいも起こり始めております。それにも関わらず、我が父は自らの罪を認めることもなく、償おうという心持ちもございません。その故、お二方におかれましては気分を害するばかりでしょう。お怒りはごもっともなものと存じます」


 リタが知る限りイヴァンジェリンは常に人の上に立つ者の態度を変えなかった。彼女が膝を折り、首を垂れる光景はどこか痛々しさを感じる。だが、ここにいる誰もが二人の様子を黙って見守るしか出来なかった。


「ですが、このままでは我が国は完全に主のお力を失い、人の住めぬ土地へと戻ってしまいます。さすればアウディティオに暮らす何十万という民が行き場を失うことになりましょう。主とアメーリア様に彼らへの情けがあるのであれば、お怒りを鎮め、再び民に慈愛を向けてはいただけませんでしょうか。――もちろん、贖う覚悟は決めて参りました。我が両親の罪は、その血を引くわたくしの罪そのもの。わたくし自身も長きに渡り、恐れ多くも自身を聖女であると偽称しておりました。わたくしも罪人の一人です。罰を受ける覚悟も出来ております」


 イヴァンジェリンの言葉にルーカスが反応した。しかし、すぐ傍のエリスに制止される。彼女は黙って首を横に振る。


「このような矮小な小娘の命一つで全ての罪を贖えるとも思いませんが、主とアメーリア様に御慈悲あれば、我が国に再びの御加護を。どうぞ、我が父の罪をお許しいただけませんでしょうか」


 長く沈黙が流れた。


 イヴァンジェリンは頭を下げたまま動かない。ただ、ひたすらに聖女の許しを待つ。


 アメーリアは許しを待つ王女から、空へと視線を移す。どこか遠く、虚空を見つめる。


「――主のお言葉を伝えます」


 それからやっとのことで言葉を発した。無機質な話し方をする聖女の声はいつも以上に荘厳に響く。


「王女イヴァンジェリン殿下。日々の信仰心、また此度の努力に免じ、そなたの罪を許しましょう。そなたの顔に免じ、アウディティオが平穏な国であり続けるよう再び加護を授けましょう」


 緊張していた空気が一気に解ける。


「身に余るお言葉。恐悦至極に存じます」


 イヴァンジェリンはより深く頭を下げた。


 リタたちも肩を撫でおろし、エリスだけが「やったー!」と両手をあげて喜んでいる。


 アメーリアはイヴァンジェリンを立ち上がらせる。


「皆さん、長旅ご苦労様でした。お疲れでしょう。お腹はすいていますか?」

「はいはーい! すいてます! 昨日から何も食べてないです!」

「では、食事にしましょう。――グレン。リタ。手伝ってください」

「あ、はい!」


 呼ばれたリタとグレンは慌ててアメーリアに駆け寄る。


 今日来るだろうということで事前に食日の準備はしてある。朝のうちにリタがパンを焼き、スープと幾つかの主菜を作っておいた。スープを温め直せばすぐに料理は出せる状態だ。


「アメーリア様」


 竈の火を魔法でつけたアメーリアにリタは声をかける。彼女はどこか不思議そうに「何でしょう」と答える。


「これで一件落着、なんですよね」


 王女の謝罪を受け、神は国に再び加護を与えることを約束してくれた。しかし、加護は目に見えないし、神の言っていることはリタには聞こえない。本当に全てが解決したのか、実感が伴わないのだ。アメーリアから直接、解決したという言葉を聞きたかった。


「さあ、どうでしょうか」


 しかし、返って来た返事は望んだものではなかった。


「主はお言葉を違える方ではありません。既に国の加護が戻っているのは間違いありません。――ただ、ここから先のことは私にも分かりませんから。想像を口にするのは憚られます」


 なんとも不安に駆られる言葉だ。しかし、リタがそれ以上を問う前に「お皿を出してもらえますか」と指示を出され、リタは大人しく食事の準備を始めるしかなかった。

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