第六章 彼からの言伝④


 返答には間があった。少し悩む素振りを見せてから、淡々とした口調で彼女は答えた。


「そうですね。おそらく興味がない、というのが正しいでしょうね」

「興味がない?」

「怒りを抱き続けるというのはエネルギーが必要です。それほどの感情を私はあの方に持っていませんでしたから」


 国王と彼女は婚約関係にあったはずだ。その割にアメーリアの言葉は冷淡なものだった。


「私から見て、皇太子殿下は非常に変わった方でした。今思えば、変わっているのは私の方だったのかもしれませんが――思いもよらない言動をされて非常に面白いとは思っていました。ただ、それは好意から来るものではなく、単純に好奇心から来るものです。それでも私なりに上手く付き合っていこうとは思っていたのですが、殿下はよっぽど私のことが気に入らなかったようですね。私を偽物の聖女と大勢の前で断罪してきたのは呆れもしましたが、今はもう何も思っていません」


 今の彼女を形容する言葉は厭世的――というよりは無関心なのだろう。彼女は幼い頃に両親を亡くし、教会に引き取られたそうだ。その際に聖女であることが判明し、それからずっと聖女として王都で生活をしていたらしい。周りにいるのは自分に仕える人間だけ。家族はおろか、友人さえいない彼女は故郷に思い入れもないのだろう。


 「ただ」と、彼女は続ける。


「国から聖女が失われたことについては心配をしていました。その件について主にお伺いを立てたことがあります」

「主――って、神様にですか?」

「ええ」


 アメーリア曰く、聖女は神と交信をすることも出来るらしい。ここまで来ると前世であっても、今世であっても、非常識に思えてくる。しかし、彼女はとても真面目だった。


「ですが、『気にする事はない』と言われてしまいました。『可愛い可愛いアメーリアちゃんに酷いことをしたあのバカ王太子にはお灸が必要じゃ! 最終的には儂が上手いことどうにかするから、アメーリアちゃんは今の生活を楽しんでおくんじゃぞ!』とのことです」


 だからこそ、おそらく神の口調をそのまま真似たであろう、ふざけているとしか思えない物言いにリタは気が遠くなるのを感じた。「え? それがウチの国の神様なの? 冗談ではなく?」と本気で訊ねたくなった。聞かなかったが。


 前世を含めればリタは色んな神様を知っている。確かギリシャ神話あたりの神様は人間味に溢れていた気がする。でも、それは前世のリタにとっては遠い異国の話で、信仰している神のことではなかった。それがまさか、自国の神が威厳も何もないとは思いもしなかった。これならまだハロルド様を神と崇めたいぐらいだ。


「今回の件も、成り行きに任せろと仰せでした。王女殿下には決して手を貸してはならないと」

「……それは、王女殿下が国王陛下の娘で、聖女を騙っていたからですか?」


 イヴァンジェリンは横暴な人間だが、国を思う気持ちは本物だった。聖女を騙っていたのも、やむにやまれぬ事情があってのことではないと信じている。リタとしては国の加護を取り戻すうんぬん以前に、彼女のことを許してほしいと思う。


「いえ。主も量っているのでしょう」


 彼女のまなざしはどこか遠く、虚空を映す。偽物の聖女であるイヴァンジェリンが時折意味ありげに遠くを見つめていたのはただの雰囲気づくりだった。しかし、本物の彼女の目には本当に何かが映っているのだろう。


 リタがその横顔を見つめていると、突然アメーリアがこちらを振り向いた。


「そういえば、大事なことを忘れていました」


 先ほどまでの厳かな雰囲気はどこへやら。リタは「何がですか?」と苦笑いを浮かべて訊ねる。


「グレンから貴方に言伝を預かっておりました」


 その言葉にリタは持っていたタオルを落としてしまった。地面に落ちたタオルは土まみれになるが、そんなことを気にしていられなかった。無礼であることも忘れて、リタはアメーリアの両腕を掴む。アメーリアは驚く素振りもなく、リタを受け止めた。


「言伝ってなんですか。グレンは何て言ってたんですか」

「『出発前夜のことは覚えているか?』」


 アメーリアは先ほど神の口調を真似たように、グレンの口調を真似て言う。


 出発の晩とは、グレンが地図外アネクメネへ向かった前の晩のことだろう。あの時のやり取りはリタも覚えている。リタは相手がグレン本人ではなく、伝言を頼まれただけの聖女であることを忘れて「もちろん覚えてる」と答える。


「『約束を忘れないでくれ』」


 しかし、続く言葉はとても短かった。彼女はそれだけ言うと、「以上です」と言葉を切った。


 リタは呆然とする。


「…………それだけ、ですか?」

「それだけです」


 固まったままのリタの腕に力は籠っていない。アメーリアはその手を引き剥がすと、地面に落ちたタオルを拾い上げる。彼女は「これだけ洗ってきます。残りの洗濯物を干しておいてください」とだけ言うと、井戸の方へ姿を消した。


 リタは一人、先ほどのアメーリアの言葉を反芻する。


(……約束を、忘れないで?)


 それは出発の晩に彼とした約束のことだろう。『戻って来る』『信じてくれ』とグレンは言った。リタはその言葉を信じて、グレンが帰還するまでの一ヶ月彼を待ち続けた。そして、もうすぐアメーリアの下へイヴァンジェリンが辿り着く。そうすれば、グレンも元に戻せるようになる。それはそう遠くない未来のはずだ。


 それをなぜ、今更忘れないでと言ってくるのだろう。もうリタは長いこと二十四歳のグレンと会っていない。長く離れることになった恋人に伝える言葉がそれだけ、というのはどういうことなのだろう。グレンの真意が本当に分からない。


 リタは薪割りが終わったグレンがやって来るまでの間、ずっと立ち尽くしていた。



 ❈



「好きです。付き合ってください!」


 何の捻りもなく定型文そのまま、リタがグレンに告白したのはリタが誕生日を迎えた一ヶ月後のことだった。


 前世のことをグレンに認めてもらったあの晩以降、明らかにリタのグレンに対する態度は変わった。まともに顔も見れなくなった。話しかけられても声は上ずり、どもって、まともに会話も出来ない。すぐ顔を真っ赤にさせたこともあり、数日の間にリタがグレンに惚れたというのは酒場の誰もが知る常識となった。きっと、グレンもリタに好意を抱かれたことは気づいていただろう。


 しかし、彼はリタの態度の変化に何も言わなかった。騒がしかったのは外野だ。常連客やコリーンが「告白しろ」とけしかけてくる。いい加減野次に我慢できなくなったリタは当たって砕けろの覚悟で、店にやって来たグレンを裏口へ連れ出し、グレンが「どうかした?」と訊ね終わる前に気持ちを伝えたのだ。


 告白するまでもなくフラれるのは分かっている。普通、好きな相手があそこまであからさまに「意識しています」という言動を取れば、向こうからアクションを起こすはずだ。しかし、この一ヶ月グレンからそれらしいアプローチは何もなかった。以前と変わらない態度を取られ続けている。


 グレンは驚いたように目を見開いたまま、固まっていた。リタの好意は明らかだっただろうに、なぜそこまで驚くのかが分からない。


「……それはつまり、俺のことが異性として好き――ってこと?」


 その上、何故か再度確認をされる始末だ。まさか、この男はリタの好意に気づいていなかったとでも言うのだろうか。


 リタはやけっぱちに叫ぶ。


「そうです! 何度も言わせないでよ」


 前世では彼氏が出来たことが二度ほどあるが、それは全て告白をされてだ。自分から告白するのは前世を含めてもこれがはじめて。まさか、そのはじめての告白がこんな勢い任せになるとは思わなかった。


「答えは? 『はい』、『いいえ』、どっち!」


 そしてまさかこんな問い詰めるような言い方で告白の返事を要求することになるとも思わなかった。今の心境は死刑宣告前だ。フラれるのが分かっている以上、一分一秒でも早くさっさと断ってほしい。そして楽にさせてほしい。


「『はい』」


 だから、最初グレンの言葉が返答とは認識出来なかった。単純に相槌を打たれただけだと思った。だから、言葉を続けないグレンに違和感を覚える。


「…………それで、返事は?」


 リタの質問に今度はグレンが首を傾げる番だった。


「だから、『はい』。俺もリタさんが――いや、リタが好きだ。付き合いましょう」


 懇切丁寧な返しで、リタはようやく告白が受け入れられたことを知る。しかし、脳の処理は追いつかない。一体何故。リタにグレンに好意を抱かれる心当たりが全くない。


 困惑している間に腕を引かれた。気づけば、グレンに抱きしめられていた。一気に体温が上昇する。


「ずっと待ってた」


 それは何をだろうか。リタの告白をということか。だが、それだとグレンはこの一ヶ月リタから告白されるのを待っていたということだろうか。それはそれで先程驚いていたのがよく分からない。


 グレンは大きく息を吸ってから、リタを離してくれた。リタは「グレンさん」と名を呼ぶ。


「もう、俺たちは恋人だろ? さん付けはよそよそしくないか?」


 そう言われ、リタは「グレン」と呼び直す。グレンはどこか遠い目をして微笑む。


「やっと、ここまで来た」


 ――あの時のリタには、グレンの言葉の意味は全く分からなかった。


 彼が過去にどんな体験をし、どんな未来を目指していたのか知らなかった。だから、何と言葉を返せばいいのかが分からなかった。黙ってグレンを見つめるしかない。


 あの時の彼はどこか満足そうでありながら、――どこか悲しげな表情だったのをよく覚えている。

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