第六章 彼からの言伝③
前世の話は全て酔った嘘で、全て忘れてほしい。その言葉にグレンはこう返した。
「忘れないよ」
それはリタにとって絶望的な言葉だった。
誤魔化しが通用しなかった。彼の中でリタは前世のことを覚えている頭のおかしい人間になった。そして、そのことを誰かに話すかもしれない。――でも、そんなリタの絶望を払拭してくれたのも、グレンだった。
こちらを見る緑の瞳はどこまでも優しかった。
「だって、それはリタさんにとって本当にあったことなんだろう? ……作り話だなんて、嘘をつかなくていいんだよ。俺はリタさんの昔の話を教えてもらえて嬉しかったよ」
リタは目を見開いた。
――故郷の話をしてくれてありがとう。
グレンが別れ際、確かにそう言った。だから、きっと、今の彼の言葉は本心なのかもしれない。それでも、リタはまだその言葉に頷けない。
「だって」
リタは唇を噛む。
「だって、おかしいじゃない。前世のことを覚えているだなんて」
生まれる前の記憶があるなんておかしい。普通じゃない。――そうだ、リタはおかしいのだ。
この世界で生まれ育ちながら、別の世界の常識に引きずられている。皆と同じように生きられない。リタは異端者なのだ。それでも、そのことを完全に受け入れることも出来ず、誤魔化しながら生きている。きっと、割り切れれば楽なのに。このときのリタはまだ、そこまで達観出来ていなかった。
「おかしくなんてないさ」
穏やかだけど、ハッキリとした口調だった。
「例えどんなに不思議な話でも、君にとっては本当のことなんだから。――いいんだよ。君以外は誰も知らなくても、覚えていなくても……自分自身でそのことを否定しなくていいんだ」
そうだ。リタはずっと、前世の記憶を否定的に感じていた。
思い出したことで故郷を離れることになった。家族と離れることになった。あの頃のリタにとって、前世の記憶なんて忌まわしいものでしかない。
でも、リタは覚えている。
前世の自分にも家族がいた。友達がいた。人生百年と言われていたあの世界では短い人生だったけど、あのときのリタは人生を楽しんでいた。なのに、その前世の記憶があることを自分自身で疎んでいるのは、自身を否定するだ。リタが苦しかったのは、ずっと自分を否定していたせい。
でも、グレンは全てを認めてくれた。
リタはこの時のグレンの言葉に救われた。自身を否定しなくていいんだと言われて、本当にリタは救われたのだ。
知らず、涙が零れた。グレンが袋を差し出してきたのはそのときだ。
「この間渡せなかった誕生日プレゼント。お誕生日おめでとう、リタさん」
袋の中身を取り出す。
中に入っていたのは小瓶だ。中には白い軟膏のようなものが入っている。グレンは「水仕事もするだろう? 手が荒れない塗り薬だよ」と説明してくれた。
そのプレゼントに彼の優しさがつまっているようだった。同じように彼の言葉にも。リタは我慢しきれず俯く。顔もあげられないまま、感謝の言葉を伝える。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
どこか困ったような優しい声が降って来た。
❈
(例えどんな不思議な話でも、君にとっては本当のこと――か)
今思えば、あの話はきっとグレンにも当てはまることだったのだろう。
この先、グレンの身に何が起きて、どう感じたのかは分からない。それでも、彼はこの国の呪いを解くために、未来で自身が体験したことを実際に再現しようとした。
何も知らないイヴァンジェリンに接触し、北部の大噴火と
(グレンは今、何を思っているんだろう)
グレンは過去の自分と精神を入れ替えた。つまり、今の彼は十二年前の過去にタイムリープしていることになる。今も――いや、時間軸としては過去ではあるが――どこかに存在しているはずなのだ。十二歳のグレンの環境を考えれば、十二年前のアークライト邸にいるのだろうか。彼が今、一旦どんな心境でいるのか、気になってしかたがなかった。
❈
それから、リタとグレンは信じられないほど穏やかな日々を過ごした。
アメーリアの住む場所は
「この辺り一帯はハロルド様の縄張りですから」
そう、アメーリアは言った。
「
黒竜はおそらくリタ達を巣に連れ帰ろうとしていたと思われる。そのため、
「ハロルド様はお強いですが、それ以上に平和を愛するお方です。いくら弱肉強食が自然の営みであるとはいえ、無用な殺生は嫌います。凶暴な性質の魔獣を排除され、この辺りに住む魔獣たちは比較的温厚な者達ばかりなのです」
リタはあまりにやることがなさ過ぎて、日々アメーリアの手伝いを申し出ている。グレンもそうだ。
一人で二十年近く生活しているアメーリアは最初手伝いを遠慮したが、人に頼るのが楽ということに気づくとそれ以降積極的に物を頼んでくるようになった。今もグレンは家の裏手で薪を割り、リタはアメーリアと洗濯物を干している。よっぽど人手が多いことに助かったのか、時折アメーリアは「たまには人を雇うのもいいかもしれません」と大真面目な顔をして悩んでいる姿を何度か見かけた。
「おかげで私は平穏な日々を過ごせています。全て、ハロルド様のおかげです」
アメーリアは毎日ハロルドの棲み処だという東の洞穴に出かけていく。ハロルドの容態はしばらく治療に時間はかかるか命に関わるものではないらしい。彼女は、ハロルドはリタ達が無事だったことを喜んでいるとも教えてくれた。
「アメーリア様は何故、ずっと
リタはずっと抱いていた疑問を彼女に投げかけた。
いくら神の寵愛を受け、危険を予知することが出来るとはいえ、人間社会から離れた生活をし続ける感覚がリタにはよく分からない。アメーリアは洋服の皴を伸ばしながら答えた。
「ここに移り住んで分かりました。私は他人に合わせて生活するというものが向いていません」
それは協調性がない、という意味だろうか。アメーリアの下で生活をし始めて、数日。彼女が自由気ままな人間ということはリタ達も実感している。
アメーリアは思いついたことをすぐさま行動に移そうとする。
それこそ三人で食事中も「森の様子が気になります」と家を出ていき、夜遅くまで返ってこなかったこともあった。アメーリアが聖女であることを知っているからこそ、リタ達は彼女の行動を温かく見守るだけだが、これが素性を隠して暮らすとなったら確かに難しいかもしれない。
「聖女であった頃は私の振舞いは許容されていましたが、普通に生活するには些か問題があるようです。ここであれば、周囲に合わせる必要もありません。寂しくなったらハロルド様が話し相手になってくださいますし、必要な物資もその都度街で買えばいいだけです。全てを自分でしなければいけない、というのが最近気づいた不便な点ですが、それ以外は特に不満もありません。国外追放されたことは、私にとっては結果的に良かったのではないかと思っています」
彼女の話しぶりは特に現状を嘆いた様子はない。むしろ現在の暮らしを好意的に受け止めている。そうなると、一体彼女は国王のことをどう思っているのだろうかと気になった。
「その、国王陛下がアメーリア様を追放したことに、怒っていらっしゃらないのですか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます