第六章 彼からの言伝②


 見送りのため、リタも後を追う。その後をグレンもついてきた。


「どちらへ行かれるんですか?」

「東の洞穴へ」


 リタやグレンにとって柵の外は危険でも、アメーリアにとってはそうではないのだろう。行き先を訊ねられたアメーリアはそう答えた。


「ハロルド様のところへ行ってきます」

「ハロルド様?」

「貴方達も昨日会っているはずですよ。白い竜を見ませんでしたか?」


 覚えている。昨日、リタ達を連れ去ろうとした黒竜を襲った魔獣だ。


「あの竜――えっと、ハロルド様はアメーリア様のお知り合いなのですか?」

「ええ。私にとって地図外アネクメネについて教えてくださった師匠にあたります。とても親切な方で、昨日も黒竜が貴方達を棲み処に連れ去ろうとしているのを見つけて助けてくださったのですよ。黒竜との戦いで怪我を負っていて、静養が必要なのです。傷の具合を見に行ってこようと思いまして」


 では、白竜――いや、ハロルドが黒竜を襲ったのはリタ達を助けるためだったのか。納得はいったが、逆に疑問も増える。


 地図外アネクメネについて教えてくれたとはどういうことだ。人語を話せると思えない白竜とどうやってコミュニケーションをとっているのだ。しかし、それも訊ねるのも野暮なのだろう。全て、アメーリアが聖女だからという言葉で片付けられる気がする。そのため、リタは別のことを口にした。


「そうだったんですね。ハロルド様に『助けてくださってありがとうございます』とお礼を伝えていただけないでしょうか」


 相手が魔獣であったとしても、助けてくれたことは事実だ。直接会いに行く度胸はないが、感謝は伝えたい。


 リタが伝言を頼むと、アメーリアは「分かりました。伝えておきます」と言って家を出て行ってしまった。



 残されたリタは居間に戻り、元の席に腰かける。グレンも同じように座り、黙ったまま机を見つめている。何とも気まずい空気が流れる。


(何を話せばいいんだろう)


 起きてからアメーリアに教えてもらった真実を、リタはまだ受け入れきれていない。そもそもイヴァンジェリンが聖女でなかったこと。そして、グレンが記憶喪失ではなく、十二歳の自身と精神が入れ替わっている状態であること。


 昨夜にその話を一足先に聞いているグレンもまだ、気持ちの整理がついていないのだろう。リタは朝起きてから一度も視線を合わせようとしないグレンに微笑みかける。


「ビックリしたね。まさか、記憶喪失じゃなかったなんて」

「…………うん」

「じゃあ、私とグレンはこないだが初めましてだったんだね」


 グレンはリタのことを忘れたわけではない。そもそも、本当に知らなかったのだ。リタがアークライト家に忍び込んだあの日。アレが本当のグレンにとっての初対面だったのだ。


 リタは一年前にグレンに出会った頃のことを思い出す。


「……グレンは私のこと元々知ってたんだね」


 アメーリアの話では、二十四歳のグレンは過去に自身が体験したことを再現しようとしていたそうだ。グレンの経験上では、聖女に非礼を働いた国王の血を引くイヴァンジェリンが危険を冒し、地図外アネクメネの奥地へ向かうことで神の許しを得ることに繋がるらしい。その結果、国の加護が復活し、王女の望みが叶う。その為に出来うる限り、十二歳の時に見聞きしたことを再現するように努めた。そして、自身が未来の記憶を持っていることを決して気取られないようにした。


 はじめて出会ってからずっと、グレンはリタに何も言わなかった。まるで本当に初対面のようにリタに接していた。だから、リタは何も気づかなかった。一体、今までグレンは何を思っていたのだろう。その答えは、今目の前にいる十二歳のグレンもまだ持っていない。そして、また別の疑問が頭をよぎる。


(何で、グレンは私と付き合ってくれたんだろう)


 それは付き合った当初から抱いている疑問だった。異性からモテそうなグレンがリタの告白に応えてくれた理由をリタは知らない。でも、今回の件で一つ明らかになったことがある。


 グレンは十二歳のときに経験した旅を再現しようとした。その中には当然、リタのことも含まれるはずだ。そして、十二歳のグレンはリタが未来の恋人であることを知っている。それを再現することも、国を救うために必要だったはずだ。


「ねえ、グレンは私のこと好き?」


 突然の質問に、グレンは明らかに狼狽えた。「は!?」「な!」と、顔を赤くして単語にならない言葉を口にする。


 あまり考えなしに思ったことを訊ねるのはリタの良くない癖だろう。リタは苦笑いを浮かべる。


「いや、何でグレンは私と付き合ってくれたんだろうって、前から不思議だったの。……今回のことで分かった。私が、私たちがそのことを貴方に教えたからなんだね」


 グレンがあんな庶民向けの酒場に出入りするようになった理由。自分を知っている人間がいないからと言っていたが、本当は違ったのではないだろうか。


 グレンはリタのことを探していた。だから、リタの働くあの酒場に通い出したのではないだろうか。なら、グレンがリタと付き合った理由は、そういう未来にしなければいけなかったからではないだろうか。ふと、そんなことを思ってしまったのだ。


「……グレンが私の告白を受けてくれたのは、本当に私のことが好きだったのかなって思って」


 きっと、この話を十二歳のグレンにするべきでもないのだろう。今のリタの話で、グレンはリタから告白されたという彼にとっての未来を知ってしまった。こういう一つ一つの積み重ねが、彼の未来を縛ることになる。それは良くないことだと、口にしてから気づいた。


 リタは項垂れる。


「ごめん。余計なこと言ったね。今のは気にしないで」


 今までの行動一つ一つを思い返す。


 自身の不用意な発言が何か、十二歳のグレンの未来に影響を与えていないだろうか。元々今のグレンのことを思って行動してきた色んなことが、逆に彼のためにならないのではないかと不安になってくる。その不安を拭ってくれたのは――そのグレン自身だった。


「俺、リタのこと嫌いじゃないよ」


 その言葉にリタは顔をあげた。


 グレンは拳を握り締め、机を見つめている。その頬は先ほど同様、紅く染まっている。


「未来の俺が何を考えてたかはまだ分からないけど……好きじゃない相手と付き合おうとはしないと思う。多分」


 今のグレンが、リタに抱く好意がどういう種類のものかは分からない。でも、今のグレンは嘘をついてはいないだろう。そして、先ほどのリタの発言は未来のグレンも疑う失礼なものだった。リタは自嘲する。


「うん、そうだね。グレンの言うとおりだね」


 そもそもリタはグレンが付き合ってくれたキッカケについては疑問を持っていたが――最終的に、グレンがリタを愛してくれていたことは疑っていない。別れの晩、リタに告げてくれた言葉は全て真実だったと思っている。


 それでも、リタは今回のことで納得がいく部分も出てきた。リタは優しげな視線をグレンに送る。


(……だから、あのとき、あんなことを言ったんだね)

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