第六章 彼からの言伝①
グレンが酒場に姿を現したのは、リタの誕生会の翌日――つまり、リタの非番の日だったらしい。
「リタに誕生日プレゼント渡すの忘れちゃったからって持って来てくれたんだよ。でも、リタが休みだったから、そのことを伝えたら『今日改めて来る』って言ってたよ」
そう教えてくれたのはダンだ。二日ぶりに顔を合わせてからはいつも通り人の良さそうな笑みを浮かべていて、リタの二日酔いの心配をしてくれた。他の同僚たちも今までと何も変わらない態度である。リタはおずおずと切り出す。
「あのさ、ダン。グレンさん、何か言ってなかった……?」
心配なのは、昨日来たというグレンが一昨日の妄言について言っていなかったかどうかだ。もし、グレンがそのことをダンに話していたら、ここで働くことも難しくなるかもしれない。
緊張のせいか、ダンの間が妙に長く感じる。彼はきょとんとこちらを見ていた。
「いや、何も。リタ、何かやらかしたの?」
その反応は本当に何も知らないようだった。
リタは安堵の息を漏らす。リタの反応にダンは酔った勢いでグレンに失礼なことをしたのだと思ったらしい。
「グレンさんが来たらちゃんと謝った方がいいよ」
「うん、そうする」
リタは苦笑いを浮かべて、着替えのため奥に引っ込んだ。
(良かった。誰にも話してないみたいね)
昨日グレンと話したのはダンだけらしい。酒場以外の知り合いの話した可能性はあるが、少なくとも共通の知人には知られていない。後は夜にグレンが来るのを待つだけだ。
開店の準備をし、開店に合わせてやって来た常連客の対応をする。グレンが姿を現すまでの数時間はいつもよりずっと長く感じた。
「こんばん――」
「いらっしゃいませ! グレンさん、ちょっとよろしいですか!!」
店に入って来たグレンを目ざとく発見したリタは、彼が挨拶をし終えるまでにそのまま店外へ連れ出した。突然の奇行に周囲は少しざわついたが、そんなのを気にする暇はない。
グレンの背を押し――彼は一切抵抗をしなかった――、店の裏口に連れていく。ここなら人通りも少なく、目立たない。ふう、とリタは額の汗をぬぐった。
リタの強引な行動にグレンは驚いたようだった。しかし、その事には触れなかった。
「一昨日は大丈夫だった?」
心配そうな表情で、とても優しい言葉をかけてくる。そんな彼にリタは勢いよく頭を下げた。
「この間は申し訳ございませんでした!!」
「え?」
頭を下げてままではグレンの顔は見えない。しかし、彼が狼狽えたような声は聞こえた。
「自分のお酒の許容量も弁えず、泥酔して、家まで送り届けてもらって――本当にすみませんでした! その上、変な話も聞かせてしまって、本当にごめんなさい!!」
「リ、リタ――さん。とりあえず顔をあげて」
今顔をあげるのは怖い。しかし、声を聞く限り、グレンはいつも通り穏やかな雰囲気だ。おそるおそるリタは顔をあげる。
目の前にいる彼は少し困ったように笑っていた。
「二日酔いは平気だった?」
「……次の日は一日頭が痛かったです」
「もうあんなに飲んじゃ駄目だよ。気をつけてね」
彼の態度を見ているとまるで一昨日のことが夢のように思える。リタの一昨日の記憶は酔って、グレンに送ってもらうまでが本当のことで――それ以降にリタが前世の話をしたのが妄想だったのではないか。そんな風に思えてくる。
リタは元々、グレンに口止めをするつもりだった。『一昨日話したことは酔った勢いで口にした嘘。他の人には恥ずかしいから話しちゃ駄目』と言うつもりだった。しかし、今のグレンを見る限り、一昨日の失態を口にするべきか悩んでしまう。グレンは大人だから、酔ったときのことを信じないでいてくれるのかもしれない。それなら、リタも何も言わず、なかったことにするべきなのだろうか。そんなことを考えていた。
しかし、リタの都合よく話は進まなかった。
「…………あのさ、一昨日してくれた話なんだけど」
どこか躊躇いがちに、グレンからその話題を出されたからだ。
一瞬、心臓が止まったかと思った。この話題になったときどうするかは事前に考えていた。何度も何度も脳内シミュレーションをした。なのに、頭が真っ白になってしまった。
「あんな話信じないで!」
だから、リタは反射で叫んでいた。自分でも信じられないぐらいに冷たい声だ。
グレンが息を呑む。驚いた様子の彼に、リタは取り繕った笑みを浮かべる。
「大分、――大分、酔ってたでしょう? 私。だから、変なことを言っちゃったんだと思うのよね。あれ、全部冗談、作り話なの。グレンさん、信じちゃった?」
それ以上グレンの顔を見ていられなくて、リタは後ろを向く。努めて明るい口調で続ける。
「自分でもびっくりしたのよ。私、空想の才能があるんだって。あんな妄言がどんどん口から出るんだもの。朝起きてからそのことを思い出して、本当にびっくりしたの」
「……妄言?」
「ええ、だって、有り得ないでしょう? ――前世のことを覚えてるなんて」
日本では前世を覚えているという発言は頭がおかしい人だと思われる。たまにテレビで前世を覚えているという人が出てきたりはしたが、あんなの皆面白がって見ているだけだ。実際に知り合いでそういうことを言う人がいたら、誰もが距離を置こうと思うだろう。
それはこの世界でだって同じだ。
この世界には神がいる。魔法がある。それでも、前世の記憶があるという人はいない。生まれる前の記憶があることがおかしいことだっていうのはリタにだって分かっている。
「だから、全部忘れてください。酔って変なこと言ってただけだって」
そう言ったリタに、彼は――。
❈
翌朝目が覚めたリタは驚いた。自分たちが
そして改めて、魔女――アメーリアは昨晩グレンにしたという説明を、リタにももう一度してくれた。
「精神の入れ替え」
「ええ。そこにいるのは記憶を失った二十四歳のグレン・アークライトではなく、正真正銘十二歳のグレン・アークライトです。中身を入れ替えたんです」
「えっと、そんなことが可能なんですか」
この世界には魔法がある。しかし、アメーリアが口にしている事象は普通の魔法の域を越えている気がする。少なくとも、リタは過去に精神の入れ替えをしたという話を聞いたことがない。
アメーリアは頷く。
「聖女であれば。だから、グレンも私に頼みに来たのです」
――そうだ。この人は聖女だったのだ。
聖女の能力は人知を超えている。神の寵愛を受けた存在だ。神に等しい力を振るうことも可能ということらしい。にわかには信じがたいが。
リタはグレンを見る。すぐに顔を背けられた。
彼も困惑をしているのだろう。その気持ちはリタも同じだ。リタはアメーリアが淹れてくれたお茶のカップを見つめる。先ほどの説明を反芻する。
「……つまり、タイムリープってことですか」
前世で見た映画にタイムリープを扱った作品があった。
未来を変えるために子供の頃の自分に戻る話。友人が好きな俳優が出るというので、一緒に見に行ったことがある。あの話はあくまで未来の自分が過去の自分にまき戻っただけで、完全に入れ替わったわけではないが――アレと近いことが今のグレンに起きているということなのだろう。
「それは何ですか?」
「いえ、なんでもないです」
慌ててリタは誤魔化す。アメーリアはそれほど興味がなかったのか、特に追及をしてくることはなかった。
「グレンの話では王女殿下がいらっしゃるまで、一週間ほどかかるそうです。それまではお二人ともごゆっくりとお過ごしください。ただし、家の周りにある柵を越えないようにお願いします」
そう言って、アメーリアは立ち上がる。壁に掛けてあった外套を羽織ると、「少し出かけます」と扉に向かった。
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