第五章 聖女と魔女とその呪い④
「挑発?」
「ルーカス。まさか、お前襲撃の話を教えなかったのはグレンの意地悪だと思っているの?」
イヴァンジェリンは呆れたように息を吐く。
「あの真面目で誠実な男が、主である私にそんな真似をするわけないじゃない。どう考えてもわたくしが黙っているように指示したに決まっているでしょう」
「アンタが?」
何故そんなことをするのか。いまいち理解が出来ていないルーカスに王女は冷たい視線を送った。
「わたくしの性格の悪さはお前もよく理解していると思ったのだけど、違うようね」
「なっ」
何とも底意地の悪い言い方だ。そして、どうやら王女は自分の性格が悪いことを自覚していたようだ。自覚してなお、暴君のような振舞いをしているのであれば、本当に性格が悪い。
「『この程度のことで狼狽えているようではお前にアメーリア様の下へたどり着くことは出来ない。本当に国の危機を乗り越えたいなら、この程度の出来事どうとでも出来るでしょう?』」
王女は不遜な笑みを浮かべ、どこか芝居がかった口調で言う。それから目を瞑り、「未来のわたくしはそう言いたいのよ」と言葉を続けた。
どうやら、王女は過去の自分にも手厳しいらしい。――いや、過去だけでなく、自分自身にも厳しいのだろう。今まで王女の辛辣さは周囲にしか向いていなかったの気づいていなかったけれど。
ルーカスは王女の手に視線を落とす。
元々王宮で他者に傅かれる生活をしていた彼女の手は細く白い。しかし、過酷な旅の中で土や埃で汚れ、小さな傷が幾つも出来ている。靴で隠れているが、その足は一体どうなっているのだろう。
彼女は
他の女性陣であるエリスは元々男顔負けの体力と膂力がある。リタも田舎育ちで親が猟師だと言っていた。一般的な女性の中ではかなり体力はある方だろうし、山道を歩くことも慣れていた。その二人と、王女は決して同列で語っていいわけがない。だが、今の今までルーカスはそんなことも忘れていた。
ふと、視線をあげるとイヴァンジェリンがこちらを見ていた。不躾な視線を向けたことを責められるかと思ったが、彼女が口にしたのは別のことだった。
「ルーカス、エリス。お前達には本当に悪いことをしたわ」
王女は本当に申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「命を賭けた危険な仕事なのに、わたくしは嘘を吐いていました。本当にごめんなさい」
あくまで王女とルーカスたちの関係は金銭で結ばれた雇い主と傭兵だ。王女とラルフ――或いは王女とグレンのような純粋な主従関係にはない。
これまでルーカスは何十人、何百人と雇い主を変えてきたし、その中には平然とルーカスたちを騙そうとする者もいた。雇い主に嘘を吐かれることはなにも初めてのことではない。そして、彼らは嘘がバレても平然と「騙される方が悪い」と口にする。
それでも、イヴァンジェリンは謝罪の言葉を口にする。高貴な王女からすれば、その辺の小石と変わらない底辺の存在である傭兵たちに。
考えてみれば、振舞いこそ不遜であるが、イヴァンジェリンがルーカス達に理不尽を強いては来なかった。誘い文句は半ば無理やりではあったが、危険に伴う正当な報酬を提示してくれた。
だからこそ、エリスはイヴァンジェリンの依頼を喜んで引き受けた。彼女が雇い主をあれほど気に入るのははじめてのことだった。
「いいよ、いいよ! 気にしてないよ! 今説明してくれたし! 今も全部はよく分かってないし!」
「おい」
ニコニコと笑うエリスにルーカスは突っ込む。途中から妙に静かだと思っていたらどうやら理解するのを放棄していたらしい。まあ、全てを理解しなくともこのまま仕事を続けるのに差支えはないだろう。
エリスの許しを得ても、なおイヴァンジェリンの表情はどこか暗かった。彼女はギュッと手を握り締める。
「……これからがわたくしたちは
手元にあるのは水筒、少量の保存食、火種など本当に最低限だ。昨夜まであった毛布だって、料理道具だって今はない。非戦闘員の二人が抜けた分、戦闘中に彼らに気を配る必要はなくなったが、決して楽になったわけではない。
「それでも、わたくしについてきてくれますか?」
――正直なところ、今から引き返すことは可能だろう。
昨日の野営場所は魔獣たちの縄張りであったが、あそこさえ抜けてしまえば危険度は下がる。来た道を戻るだけだ。この四人――いや、ルーカスとエリスだけでも街に帰ることは出来なくはないと思う。
王女はルーカスが「話が違うから引き返す」と言っても反対はしないだろう。そして、彼女はラルフを連れて二人で、さらなる奥地を目指す。王女は引き返す気はさらさらないだろう。彼女の覚悟の重さは今さっき聞いたばかりだ。
パチパチと焚き火が燃える音だけが周囲に響く。
エリスを見ると、彼女は判断をルーカスに委ねるつもりのようで、黙ってこちらに頷きかける。ルーカスは王女に視線を戻す。
「安心しろ。こっちだってプロだ。一度受けた依頼を放棄したりはしねぇよ。その程度、契約違反でも何でもねえだろ」
もっと酷い嘘を吐かれたことは何度もある。イヴァンジェリンの依頼は最初から『“
「端からアンタの未来予知の能力なんてオマケ程度にしか思ってねえよ。百発百中、ちょっと便利な占いに頼れなくなったってだけだ。大したことねえよ」
流石にこれは多少見栄を張っている。ルーカスは王女の未来視をそれなりに頼っていた。でも、彼女が未来視が出来ないからと言って、今更見捨てるつもりはない。――見捨てたくないと思ってしまった。
「そうそう」とエリスが嬉しそうに笑う。
「みんな一緒に力を合わせて、苦難を乗り越える! とっても面白いね! なんだか、どこかのお話の主人公か何かみたい!」
「ホント能天気だな、お前は……」
空気が読めるのか、読めないのか。ただ、彼女の底抜けの明るさは、こういった暗い空気を変えるのに役立つ。ルーカスも今まで何度もエリスの天真爛漫さに救われてきた。
ふと、空を見上げる。月の位置は大分高い。明日以降のことを考えるといい加減寝た方がいいだろう。話は一通り済んだと判断し、「そろそろ寝ろ」と王女たちに声をかける。今夜の最初の見張りはルーカスの当番だ。
エリスとラルフが外套をマント代わりに横になる。しかし、イヴァンジェリンは動かなかった。「どうした」とルーカスが問う。
「ありがとう」
とても優しげな笑みだった。――それこそ、聖女か、あるいは女神と呼ばれるに相応しい微笑みだった。
ルーカスが固まっていると、王女は「おやすみなさい」と何事もなかったかのように横になり、目を閉じた。エリスが「どういたしまして!」と答え、彼女もまた目を閉じる。ラルフも小さく「おやすみなさい」と挨拶を口にする。
暫くすると全員が寝入ったのか、それぞれから寝息が聞こえてきた。呼吸もゆっくりしたものだ。ルーカスは一人、見張りの交代の時間が来るのをただただ待ち続ける。今日聞いた真実を反芻しながらも、どうしても脳裏にチラつくのは先ほどの王女の笑みだ。
今夜の最初の見張りが自分で良かった。とてもではないがしばらく寝付けそうにない。――そんなことを思いながら、ルーカスは言葉に出来ない感情を悶々と抱え続けた。
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