第五章 聖女と魔女とその呪い②


 アメーリアの転移魔法で到着したのは一軒の家だった。街中にあってもおかしくない木造の外見だ。地図外アネクメネにあるとは思えないしっかりした造りに見える。


 グレンはポカンと家を見上げた。


「どうぞ、こちらへ」


 未だグレンは状況が呑み込めていない。


 しかし、かつて聖女であり、今は“地図外アネクメネの魔女”と呼ばれる女性は治癒魔法でリタの怪我を治療してくれた。その上で危険だからと住まいに招いてくれたのだ。その申し出を断るには『安全かもしれない』という期待は誘惑としては強すぎた。


「……お邪魔します」


 遠慮がちにグレンは敷居をまたぐ。それから案内されるままに寝室へ向かった。


「彼女はここへ。しばらく眠らせてあげましょう」


 アメーリアの好意に甘え、グレンは指示通り寝台にリタを寝かせた。


 治癒魔法をかけたことで傷は完治している。顔色も表情も良くなった。あれほどの大怪我を負うといくら魔法で治したとしても疲労は残るらしい。グレンは後ろ髪を引かれながらも、リタを寝室に残し、聖女と一緒に居間に移動した。


「到着は貴方の言った通りでしたね。前回は大したもてなしも出来なかったので、今回はちゃんと食事の用意もしたんですよ」


 アメーリアはそう言って、台所から料理を運んできた。野菜の沢山入ったスープとパンだ。本当に地図外アネクメネでの食事とは思えない。


 グレンが料理を見つめたまま、動かずにいると、何かに気づいたようにアメーリアが口を開いた。


「心配しなくても大丈夫です。食材は今朝、転移魔法で街まで行って買ってきた新鮮なものです。味見だってきちんとしました」


 そういう心配をしていたわけではないのだが――グレンは説明するのはやめておいた。代わりに覚悟を決め、スプーンを手に取る。


 地図外アネクメネでの食事はリタが気を遣ってくれてはいたが、やはり普段食べるものと食材が違う。食べ慣れたものではなかった。魔獣の味は独特で、違和感が強いものも多かった。


 しかし、今食べているスープは家や店で普通に出てきそうなものだ。まるで王都に戻ったかのような感覚に、思わず瞳が潤む。それを袖で拭った。


 聖女は二人分のお茶を淹れる。一つをグレンの前に置くと、自身も椅子に座る。


「時間とスペースの関係で床に寝てもらうことになりますが、きちんと六人分の寝床は用意しました。残りの四人が合流するまでの一週間、ゆっくりとお過ごしください」


 彼女はマイペースにお茶を飲み始めた。


 グレンは困り果てた。状況が全く理解出来ない。リタがいれば、グレンの代わりに魔女に疑問を投げかけてくれただろうが、今は一人きりだ。


 スープとパンを完食したグレンは覚悟を決め、口を開いた。


「これはどういうことなんだ。なんで俺たちを助けた」


 グレンは王女の“地図外アネクメネの魔女”討伐についてきた。つまり、目の前の女性は倒すべき敵ということになる。いや、そもそも、一度魔女は記憶を失う前のグレンと相対しているはずだ。敵同士というのはアメーリアが一番理解しているはずなのに、彼女は友好的である。


「……アンタは敵じゃないのか」


 アメーリアの赤い瞳がこちらを見つめる。目を逸らしそうになって、グレンは堪える。負けじと彼女の瞳を見つめ返す。


「そうですね。貴方には何が起きたのかを説明しなければなりませんね」


 カップを置いた彼女が語り始めたのは――十九年前、聖女であったアメーリアが国を追い出されるまでの経緯とそれから彼女がどうしたかであった。


 ひどく信じ難いことであったが、現国王は聖女を追い出し、神からの加護を国から失わせた。それから彼女は別の国に移り住んだが、人との付き合いが煩わしくなり、興味本位で地図外アネクメネにやって来たと言う。それから十九年、彼女はこの危険地帯で暮らし続けてきた。必要に応じて転移魔法で街へ行くことはあったが、基本的に気ままな一人暮らし。誰もアメーリアを訪ねてくる人間はいない。それにも関わらず、来訪者がやって来たのは今から三週間ほど前のことであったという。


「貴方が私を訪ねてきたのですよ。最初は驚きました。地図外アネクメネのこんな奥地に一人でやって来るなんて正気の沙汰とは思えませんでしたし、貴方は私に非常に礼儀正しく接してくれました。久しぶりに聖女だった頃を思い出したくらいです」


 グレンは目を丸くする。一ヶ月半前に自分が地図外アネクメネへ入ったのは魔女を討伐するためのはずだ。そのことを言うと、アメーリアは首を横に振った。


「違いますよ。確かにそのような命令を下されたとは言っていましたが、貴方の目的は別にありました。その目的は二つ。一つは王女が私に謝罪をするためにここにやって来ることを伝えること。もう一つは聖女わたしの能力で過去の自分と精神を入れ替えてもらうためです」

「……精神の入れ替え?」


 意味が分からない。困惑するグレンに淡々とアメーリアは告げる。


「貴方はきっと自身が記憶を失っていると思っているでしょうが、それは違います。私がしたのは十二歳の貴方と二十四歳の貴方の精神の入れ替えです。貴方は十二歳以降の記憶を失ったわけではありません。貴方にとってはここは十二年後の未来の世界です。――私が三週間前に会った貴方は、十二年後の未来の貴方です」



 ❈



 ルーカスは頭が痛くなってきた。戦闘関係ならともかく、こういう話は苦手だ。頭を掻きむしる。


「あー、つまり、……どういうことだ?」


 理解力はルーカス以下のエリスも首を傾げている。頭の良い二人は既に事情を知っている組だ。控え目に口を開いたのはラルフだった。


「えっと、時系列に沿って説明しますね」


 彼はそう言って、自身の杖を使って地面に一本の長い線を引く。


「まず、事の発端は先ほどイヴァンジェリン様が仰ったとおりです。十九年前、国王陛下がアメーリア様を追放し、主の加護を失わせました」


 そして一番左に丸を書き、『十九年前・アメーリア様追放』と文章を書いた。


「続いて、十二年前。当時、十二歳だったグレンさんは聖女アメーリア様の力で今のグレンさんと精神が入れ替わりました。それが約三週間前――グレンさんが地図外アネクメネの外で発見されたときのことです」


 ラルフは続いて、右に二つ丸を書く。左から『十二年前・グレンさん十二歳』、『三週間前・地図外アネクメネからグレンさん帰還』と書く。


「その後のことはルーカスさんたちもご存じのとおりです。魔女討伐に成功したと、国王陛下はグレンさんを英雄と讃え、イヴァンジェリン様とグレンさんの婚姻を発表しました。グレンさん自身は記憶喪失として、生家で休養に入ります。その後、イヴァンジェリン様に連れられ、地図外アネクメネの旅に同行することになりました。それから黒竜に連れ攫われた。それが今の話です」


 ラルフはまた右に一つ丸を書く。そこの説明は『今・グレンさんリタさん離脱』だ。


「そして、ここからはこれから先の話です」


 彼はそう言って、また右側に丸を書いた。


「これから僕たちは四人でアメーリア様の下へ向かいます。その後、再びグレンさんとリタさんと合流――その後、イヴァンジェリン様から言伝を受け取ったグレンさんの精神は過去に戻り、グレンさんは改めてそこから十二年の歳月を過ごすことになります」


 ラルフは『未来・グレンさんリタさん合流』と書くと、そこから『十二年前・グレンさん十二歳』へと矢印をひいた。


 最初に引いた線が時系列を指しているなら、本来有り得ない動きだ。しかし、聖女が関わっている以上、有り得ないことも起こりえるということなのだろう。


「そして、半年前、グレンさんはイヴァンジェリン様に謁見を申し出、未来のイヴァンジェリン様からの言付けを伝えました。その後、国王陛下の御命令通り、地図外アネクメネへ向かい、過去の自分と精神を入れ替えてほしいとアメーリア様に頼んだわけです」


 『十二年前・グレンさん十二歳』と『三週間前・地図外アネクメネからグレンさん帰還』の間に『半年前・グレンさんイヴァンジェリン様と謁見』『一ヶ月半前・グレンさん地図外アネクメネへ向かう』という文章がつけたされた。


 図に表してもらえると、口頭の説明よりスッと頭に入りやすい。――どちらにせよ、とんでもない話であるのは事実だが。

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