第四章 黒竜の襲来⑤

 

 黒竜がグレンとリタを飲み込んで、大空へと羽ばたいていった。


ルーカスは「クソッ」と悪態をつき、その後を追おうとしたが、踏みとどまる。飛翔する直前、黒竜の体当たりを受けたラルフが地面にあおむけに倒れていたからだ。近寄り、体を抱え起こす。


「おい、生きてるか!」


 ラルフは呻き声をあげる。どうやら、死んではいないようだ。死んでいなければ王女の治癒魔法で何とでも出来るだろう。今度は少し離れた場所にいるイヴァンジェリンとエリスに駆け寄る。


 王女がこちらを向く。


「平気よ。これでほとんど怪我は治せたわ」


 治療は終わりに近かったらしい。エリスは体を起こし、申し訳なさそうにこちらを見ていた。


「ゴメン。失敗しちゃった」

「……あれはしょうがねえだろ」


 エリスの行動が間違いだったとは思わない。あの行動が場の空気を変えるキッカケの一つになった。謝る必要はないのだ。ルーカスはエリスに手を貸し、立ち上がらせる。


「早く追いかけるぞ」


 黒竜の姿はもう遥か遠くだ。だが、二人を見捨てるという選択肢はない。そこに水を差す発言をしたのはイヴァンジェリンだった。


「無理よ」


 非常事態だというのに、いつも通り冷淡な口調だった。――その顔色が僅かに悪くはあったが、ルーカスはそのことに気づかない。


「追いつけるわけないわ。……諦めなさい」


 相手が王女だとか、依頼主だとか、年下の少女ということは全部吹き飛んでいた。ルーカスは怒りのまま、乱暴にイヴァンジェリンの胸倉を掴みあげた。


「おい、これはどういうことだ」


 王女は困惑したような表情を浮かべていた。いつも余裕綽々の彼女にこんな顔をさせられた、というのは普段であれば喜ばしいことだったろう。だが、この非常事態においてはどうでもいいことだ。


「何で今回のことを予知できなかった。未来を視るのがアンタの仕事だろ!」


 イヴァンジェリンは未来視が出来る。細かいことはともかく、大事については今まで事前に予知をしてきた。それが今朝の襲撃以降の全てを彼女は予知しなかった。話の道理が合わない。


「昨日はこのまま進んで問題ないだって言ってたじゃねえか!! 何で――」


 そこで、ルーカスは昨日の王女とのやり取りを思い出した。彼女は「十四日目」という言葉を口にした。あれは今日、何かが起きることを彼女は知っていたということではないのか。


 そうなると話がまるで変わって来る。


 イヴァンジェリンは今日襲撃に遭うことも、黒竜にグレンたちが連れ去られることも知っていたことになる。それはつまり、彼女が二人が犠牲になることを承知の上だったということに他ならない。


「……アンタ、今日起きること知ってたのか」

 

 王女は黙って目を閉じた。ルーカスにはそれが答えのように思えた。


 相手が男だったら殴っていた。しかし、相手が妹とそれほど歳の変わらない少女ということが躊躇いを産んだ。


「や、やめてください」


 その結果、ルーカスが腕を振り下ろす前に制止が入った。響いたのは弱弱しい声だ。


 振り返ると先ほどまで意識を失っていたラルフが起き上がり、よろよろとこちらに近づいてきている。眼鏡の右側のレンズは割れている。


 彼は絞り出すような声をあげる。


「た、確かに僕らは今日グレンさんたちと離れ離れになることは知っていました。でも、襲撃に遭うことは知らなかったんです。イヴァンジェリン様は何も知らなかったんですよ。イヴァンジェリン様を放してください」


 ラルフはルーカスにしがみつく。ひどく弱い力だ。そんなものでルーカスを止められるわけもないのに。それでも、彼の言葉に少しだけ冷静さを取り戻した。


 どうやら、ラルフも今日何かが起こることを知っていたらしい。ただ、考えてみればラルフは王宮勤め。本当の意味で王女の家臣である。ルーカスたちに共有されていない情報をイヴァンジェリンから知らされていてもおかしくはない。


「心配しなくても平気よ」


 ポツリと王女が呟いた。


「リタもグレンは死ぬことはないわ」


 いつも未来を予知するのと同じように、断定的な口調だ。ルーカスは胸倉を掴む手の力を緩める。


「一足先に身の安全が保障される場所へたどり着くだけよ。だから追う必要もない。わたくしはわたくしたちの身の上を心配したほうが良いのよ」


 先ほどの発言は二人を見捨ててのものではなかったらしい。


 ルーカスはイヴァンジェリンを解放した。彼女は胸元を正すだけでルーカスの無礼を責めることはしなかった。ルーカスは問いただす。


「何を隠してる」


 先ほどのラルフの発言で明白になった。イヴァンジェリンは――いや、イヴァンジェリンたちはルーカスとエリスに何かを隠している。おそらく、グレンとリタも何も知らなかったはずだ。王女と魔導士二人は他のメンバーに何かを黙っていた。


「あのさ」


 それまで黙って様子を眺めていたエリスが口を開いた。


「それって、グレンが木に目印をつけてたのも関係あるの?」


 全く予想外の発言にルーカスは目を見開く。エリスが背伸びをし、片手をあげる。ルーカスにも分かるように説明をしてくれた。


「背の高い、クネクネした木。いっちばーん高い位置にね、剣かナイフでつけた目印があったの。最初は何なのかなって思ったんだけど――王女様、アレ確認しながら道を選んでたよね」


 背の高いクネクネした木、というのはルーカスにも心当たりがある。この二週間、至る所で見た樹木だ。地図外アネクメネ特有の木の一種だ。


 エリスの言葉にイヴァンジェリンも驚いた様子だった。


「――気づいていたのね」

「うん。何でその説明しないのかなって不思議には思ってたんだけど、……まあ、いっかなって」


 そこで何故かを追求せず、ルーカスにも説明しなかったのは何ともエリスらしい。批難の視線を送ったが、「えへへ」と笑って誤魔化された。「そうね」と王女は息を吐く。


「いろいろと予想外のことが起きて驚いてしまったけど……お前達には今日全てを明かすつもりでした。わたくしが隠してきたこと、嘘をついてきたこと。全部、説明します」


 やはり、イヴァンジェリンはルーカスたちに秘め事があった。だから、頭の良い人間は信用できない。ルーカスは眉を顰めたが――彼女の口から語られたのは、想像の範疇を越えていた。


「まず前提として、わたくしが聖女というのは嘘です」

「――はあ!?」


 王女は然も当然と言わんばかりだ。声をあげたこちらを見た。


「主より賜った特別な能力なんてものは持ち合わせていません。当然、未来視なんて出来ません。今までお前たちに未来が視えるように見せてきたのは全部種があるか、ハッタリです。わたくしは今朝からの一連の出来事については聞かされていませんでした。だから、今までの魔獣の出現を事前に伝えることが出来なかったのです」

「待て待て待て待て」


 ルーカスは手を挙げてストップをかけた。理解が追いつかない。この国の第一王女が聖女であるというのはこの国において誰もが知る事実だ。


「お前は王女じゃないのか!?」

「ええ、王女よ。間違いなく現国王の第二子。第一王女、イヴァンジェリンです。それは本当のことよ。――でも、第一王女が聖女というのはお父様が民についた嘘よ。能力的な話をすれば、わたくしは少し魔法が使えるだけの魔導士です」


 イヴァンジェリンの発言にエリスも目を瞠っている。しかし、ラルフは困ったような表情をするだけだ。否定の言葉は出てこない。王宮勤めの彼も、王女が聖女ではないということを知っていたらしい。だが、今の王女の話は、説明がつかない部分がある。


「なら、今までの話は全部なんだったって言うんだよ。トリックとか、ハッタリじゃ説明出来ない部分もあるだろ。北部の噴火だって、今までの道中のことだって未来のことを知ってなきゃ説明がつかねえだろ!」


 例えばルーカスの妹の存在なんかは事前に調査をすれば調べることが出来る。病弱なこともだ。イヴァンジェリンはあれらを『自分が聖女だから』と説明したが、それ以外に知りえる手段はいくらでもある。


 だが、未来のことは別だ。彼女は事前に北部の大噴火を予知した。地図外アネクメネに入ってからも、彼女は未来のことを何度か口にした。そしてそのいずれもが正解であった。あてずっぽうだったとは思えない。


「教えてもらったのよ」


 こちらが苛立つほどイヴァンジェリンは平静だった。


「北部の噴火のことも、今日に至るまで道中で何が起こるのかも事細かにね。わたくしはそれを自分で視たかのように口にしてきただけ」


 先ほどもイヴァンジェリンは「今朝からのことは聞かされていない」と言っていた。ルーカスは訊ねる。


「教えてもらったって誰にだよ。神様か? それとも、本物の聖女様にか?」


 未来を知れる者が神と聖女以外にいるとは思えない。しかし、イヴァンジェリンは「違うわ」と首を横に振った。


「グレンに、よ」

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