第三章 地図外(アネクメネ)②
その日は順調に進み、日が沈むより大分前に目的地である岩陰に辿り着いた。
巨大な岩がいくつも並び、それが支え合っていることでその合間にちょっとした空間が出来ている。六人程度なら十分休息が出来る広さだ。
「なんともあっけねえな」
複雑そうな表情で呟いたのはルーカスだ。
ルーカスとしても中型以上の魔獣に遭遇しなかったことは喜ばしい限りなのだろうが、きっと表現としては拍子抜けというのが正しいのではないだろうか。
「まだまだ
イヴァンジェリンは地面に布を敷くと、その上に座り込む。王都育ちの彼女にとっては今日の道筋は過酷なものだったろうに、一言も弱音を吐かなかった。しかし、疲労は大きいのだろう。その額には汗がにじんでいる。
疲れた表情なのはラルフも同じだ。彼は岩の周囲に魔法陣を刻み、結界を張ると疲れた様子でイヴァンジェリンの近くに座り込んだ。ルーカスとエリスが焚火の準備を始め、リタは「食事にしますね」と夕食の準備に取り掛かる。
今夜のメインは兎に似た魔獣の肉だ。狩ったタイミングで既に血抜きと腸抜きはすましている。後は皮を剥ぎ、
「何か手伝う?」
声をかけてきたのはグレンだ。少しおっかなそうに死んだ魔獣を見ている。きっと、慣れていないのだろう。
「ありがとう。じゃあ、ちょっと持っててもらっていい?」
皮を剥ぐには逆さづりにする必要がある。リタは魔獣の足をロープで縛り、それをグレンに持たせた。ナイフで足首に切り込みを入れ、腸抜きのときに開けた腹の穴から皮を切っていく。魔獣の皮は兎と同じ要領で簡単に剥ぐことが出来た。その様子をグレンは青い顔をしながら目を背けないように見ていた。
(解体方法を教わったのが前世のことを想い出す前で本当に良かった)
前に住んでいた国では牛や豚、鳥などの肉はよく食べられていた。しかし、その殆どが解体され、元の生き物の姿が分からない状態で小売店で並ぶ。生き物の死や、自分たちがその犠牲の上で生きている実感は薄い。もし、リタが先に生まれる前のことを想い出していれば、解体にはひどい抵抗感を覚えただろう。
リタは慣れた手つきで肉の処理を終えると調理を始める。たき火にかけた水の入った鍋に具を入れていく。肉以外の食材は道中で採取した野草や
具だけでは味の全然しないスープになってしまうため、リタは持参した調味料で味見をしながら調整をする。肉がよく煮込まれ、しっかり味が染みたところでお椀に人数分よそい始める。
「ありがとー! うわー! 美味しそうだね!」
食事の準備がすみ、エリスは随分と上機嫌だ。全員にお椀が回ったのを確認すると、夕食が開始された。
「随分と手際がいいな」
そう言ったのはルーカスだ。彼は野営の準備をしながらも、リタが魔獣を解体するところを見ていた。おそらくはそこを含めてなのだろう。
「うちのお父さん猟師なんだ。動物を捌くのは慣れてるよ」
「猟師?」
彼は怪訝そうに眉を顰める。
「アンタ、王女の使用人じゃなったのか」
その言葉に、そういえばリタは彼らに正確に素性を説明していなかったことを思い出す。王女は周囲にリタのことを「下僕」と説明していた。そのことを、王女に仕える人間の比喩表現だとでも思っていたのだろう。
「ええと、そうね。今は王女殿下に下僕になれって言われてるんだけど」
リタは表情を引きつらせながらそこまで答え、どう言うべきか悩んだ。
(どうしよう。なんて説明するべきかしら)
生まれは東部の田舎娘。数年前から王都の酒場で働いていて、グレンとは恋人関係。ただし、現状は違う。
「リタはグレンの恋人よ」
あっさりとした口調で代わりに答えたのはイヴァンジェリンだ。少し休憩したことで、彼女の表情から疲労は大分薄れていた。手元のスープから視線をあげることなく、話す。
「でも、今はわたくしの下僕。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「王女サマ。その偉そうな態度はどうにか出来ねえのかよ」
「あら、偉そうではなくてわたくしは偉いのよ。だって、この国の王女なんですもの。むしろ、わたくしと直接会話をし、仕えることを許していることを感謝してほしいくらいよ」
前々から思っていたが、どうやらイヴァンジェリンとルーカスの相性は悪いらしい。何かと言い合いをしているような気がする。険悪な雰囲気をどうにかしたい。
こういうとき、ラルフもグレンも仲介に入れるタイプではない。エリスも今は食事に夢中で、こちらの会話に全く興味を示していない。あっという間にスープを平らげたエリスはこちらに「美味しかった! おかわりちょうだい!」とお椀を突き出してくる。それを受け取り、お代わりをよそうと上機嫌でエリスは食事を再開する。
そのとき、リタは隣に座るグレンのお椀も空になっていることに気づいた。「グレンもおかわりいる?」と訊ねると、困ったような顔をされた。
「いい」
「でも、今日いっぱい歩いてお腹減ったでしょ?」
体の大きなルーカス、グレン、あとはエリスには他より少し多めによそった。だが、それだけでは足りないだろう。今日の朝もグレンはしっかり一人前以上を平らげていたから食欲は戻ってきているはずだ。
「いいよ。……俺、何もしてないし」
遠慮しているのだろう。グレンは荷物運びの仕事をしっかりこなしたし、何もしてないことはないと思うのだが、本人がそう思っている以上、リタがそのことを主張しても効果はないだろう。
リタは眉尻を下げる。どう伝えるべきだろうか、と悩む。
「食っとけよ」
二人の会話に割り込んできたのはルーカスだった。彼は肉を口に運ぶ。
「いざって時に力が出なくて、足手まといになられる方が迷惑だ。変に遠慮すんな。食え」
グレンはまだ少し悩んでいる様子だったが、「分かった」と頷くと、遠慮がちにお椀を差し出してきた。
「お願いします」
ルーカスの言葉のおかげではあるが、素直に言ってくれたことにリタは安堵する。お椀を受け取るとまたいっぱいにスープをよそった。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
スープを啜りながらその様子を見ていたルーカスは「恋人ってよりは母親だな」とボソリと呟いた。
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