第二章 少年の叫び⑦


 リタは息を呑んだ。同じように衝撃を受けた様子なのはグレンだ。エリスは目を見開いたまま動かないし、ルーカスは難しい顔で黙り込んだ。


 その中で一人、ラルフは驚いた様子もなく、どこか悲しそうに目を伏せていた。王宮魔導士の彼はそのことを知っていたのだろう。


「本来、アウディティオこのくには人間が住むには適さない土地なの。地図外アネクメネと非常に近い性質を持っている。この国の建国以前、この辺りも危険な地域の一部だったのよ」


 しかし、現在、アウディティオでは多くの国民がこの国で平穏に暮らしている。


「それを主の御加護によって、全てを平定しているような状態なの。アウディティオの存続には主の御加護が必要不可欠。なのに、今、この国の加護は薄れている。――十九年前からね」

「そんな昔からこの国は呪われていたっていうのか」


 正直、信じがたい話だ。それは質問をしたルーカスも同じだろう。


「ええ、そうよ。……北部の大噴火は今まで積み重なったものが表面化しただけなのよ。このまま何もしなければ、各地でどんどん異常事態が引き起こされていくでしょうね。そして、最後にはこの国は誰も住めない土地になってしまうわ。何百万という民が住む場所を失うのよ。貴方達の故郷だって例外ではない。この国が滅ぶ、というのは決して大袈裟な言い回しではないわ」


 十九年前というと、ちょうどリタが生まれた頃だろうか。王女の話を信じるではあれば、リタが物心ついた頃にはこの国は滅びに近づいていっていたということになる。


 リタは生まれ故郷を思い出す。


 山と森に囲まれた小さな田舎町。もう戻ることは叶わないかもしれないが、リタにとって家族との思い出が残る大事な場所だ。とても平穏な土地で、加護が失われつつあるとは到底思わなかった。


 だが、そのことを口にしたイヴァンジェリンは決して嘘や冗談を言っているようには見えない。愁いを帯びた目で真っすぐにリタ達を見据えている。


 故郷では今も両親が昔と変わらず生活している。あの村も人が住める場所ではなくなる。今住んでいる王都もだ。リタは手足が指先から冷えていくのを感じた。


 ルーカスの追及は止まらない。


「そもそも、その“地図外アネクメネの魔女”ってのは何者なんだよ。国から加護を失わせるなんて、只者じゃねえだろ」

「さあ、わたくしも実際に彼女に会ったわけではないから分からないわ。……ただ一つ言えるのは、聖女わたくしと同じ人知を超えた何かだということよ。そうでなければ、こんな事態になっていないわ」


 聖女である彼女にも分からないことはあるのだろう。


「なんだか、とっても大変な事になってるんだねえ」


 エリスは呑気な声をあげる。しかし、ルーカスはまだ納得していなかった。


「というか、そんな大任をどうしてこんなメンバーでこなそうとしてんだよ。アンタは王女、ソイツは王宮魔導士だから分からなくてもねえが、俺たち二人はただの傭兵だぜ。残り二人は非戦闘員じゃねえか」


 ルーカスの視線が一瞬こちらを向く。非戦闘員というのはリタとグレンのことだろう。彼の言い分は否定できない。


「それこそ、騎士様を大量に連れてきて、大人数で魔女討伐に向かう方がいいんじゃねえか? こんな、寄せ集めのメンバーで魔女を倒せるとは思えねえ」

「あら、自信がないの?」


 挑発するような王女の言葉に、ルーカスは乗らなかった。


「俺が言いたいのは、それ程の大事って言うなら国を挙げて魔女討伐を為すべきだってことだよ。アンタらの力が足りないって言うなら手を貸すのはやぶさかじゃねえが――順序が逆だろ。まずは騎士団でどうにかするべきじゃないのか」

「……そうね。貴方の言うとおりだわ」


 珍しくイヴァンジェリンは非は認めた。彼女自身もその点についてはおかしいことを理解しているのだ。


「残念だけど、今回の件で騎士団の力は借りれない。お父様は大々的に魔女討伐に成功したと発表していて、それが間違いであると撤回するつもりもない。あの人はもうこの国の呪いが解けてるって信じ込んでいる。わたくしが魔女はまだ生きていると説明しても信じようとしないのよ。……あの人は自分の過ちを認められない人なの」


 国王がイヴァンジェリンの言葉を信じない、というのは以前にリタも聞いた説明だ。それを聞いたルーカスは嘲笑する。


「とんだ名君さまだな」


 王女はルーカスの皮肉を咎めなかった。


「騎士団を動かすにはお父様の許可が必要よ。臣下を取り込めば、無断で動かせなくはないけど、そんなことをすればわたくしだってただじゃすまない。そんなことより、わたくしが予知した未来の光景を再現させた方が確実で危険が少ないのよ。魔女への対抗手段も、聖女わたくしの力があれば何とでもなります」


 イヴァンジェリンはこの場に集った仲間たち全員を見回す。


「わたくしは視ました。この六人で魔女の棲み処に到達し、この国の呪いを解く瞬間を。ただ、わたくしの未来視も絶対でありません。未来とは流動的なものであり、少しの綻びで簡単に結果を変えてしまうからです」


 バタフライ効果。前世で見た映画に出てきた単語だ。タイムトラブル系の映画にはよく出てきた要素だ。未来から過去にタイムトラベルした主人公の行動で、未来が大きく変わってしまう。それは未来予知にも言えることなのだろう。


 「それでも」と彼女は言う。


「わたくし、王女イヴァンジェリンの名に誓いましょう。貴方がた全員を必ず、この国に生還させることを。わたくしたちの目的は栄誉を手に入れることではなく、わたくしたちを含めてこの国の国民を救うためなのですから」


 仲間達を見つめる彼女の灰色の瞳には強い意志と信念が感じられた。高潔、というのはイヴァンジェリンのことを指すのだろうとリタは思った。例え、普段の彼女が毒舌で加虐趣味で暴君だろうが、彼女の行動目的はこの国を想ってのことだ。間違いなく、彼女は王族なのだと思った。


 リタはちょっとした王女の演説に感嘆した。ただ、気になる部分はある。それが表情に出ていたのだろうか、王女と視線が合った。


「さて、目的をハッキリさせたところでもう一つハッキリさせておくべきことがあります。――グレン」


 急に名を呼ばれ、ビクリとグレンは体を震わせた。どこか警戒するような視線を王女に向ける。


「昨夜、リタに頼まれました。お前を同行させるのをやめてほしいと」


 今度はグレンは不安そうにリタを見た。安心させるように笑みを浮かべる。


「そもそも、お前を同行させようと思ったのはお前の記憶を取り戻させるためです。お前が記憶を失ったのは魔女の呪いが原因。もう一度、彼女と相対せねば、お前の記憶を取り戻すことは出来ません」


 グレンはぎゅっと歯を食いしばる。イヴァンジェリンは先日グレンに激怒したときと違い、ひどく落ち着いた態度だった。


「お前には二つの道があります。わたくしたちと共に地図外アネクメネへ向かい、本来の自分に戻ること。もう一つは十二歳の精神のまま、二十四歳の肉体で生きていくことです。どちらも容易い道ではありません。そしてこれ以外の道もありません。お前はどちらを選びますか?」

「……本当に、魔女に会わなければ俺の記憶は戻らないのか」


 その言葉に少しだけイヴァンジェリンは考え込む。


「そうね。もしかしたら、わたくしたちだけで魔女を倒せればお前の記憶も戻るかもしれなけれど……それは保証できないわ。ただ、過度な期待はしないほうがいいわ」


 グレンは苦悩の表情を浮かべていた。あんなに周囲に記憶を取り戻すことを期待され、重荷に感じても、本人も記憶を取り戻したいという想いはあるのだろう。危険を冒すか、記憶を取り戻すことを諦めるか、悩んでいるのだ。


 本当に長い間、グレンは考え込んでいた。


「俺も、ついていきます」


 そして、とうとうグレンが選んだ結論は前者の道だった。真っすぐに王女を見つめ返す。


「今の俺は全然戦えないし、足手まといになると思うけど……やっぱり、記憶は取り戻したい。子供の俺が大人のまま生活するのは苦しいことも多い。元の俺に戻るのが一番いいことだと思うし、俺も元の俺に戻りたい」


 そこにいたのは昨夜酷く傷ついた様子を見せた少年ではなかった。青年とまではいかないが、この一晩でグレンが成長した。そんなことを感じさせる。安堵したような、寂しいような、複雑な感情でリタは彼を見つめる。


「俺も連れていってください。お願いします」


 グレンが頭を下げる。その様子をエリスは微笑ましそうにニコニコ見ているし、ルーカスはどこか満足そうに少し笑う。ラルフは小さく、安堵したような息をもらした。


「よく、言ったわ」


 そして、イヴァンジェリンは綺麗な笑みを浮かべた。


「では、準備が整い次第、この街を出発するわ。いいわね?」

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