第二章 少年の叫び⑤


 グレンを連れていくのをやめよう。王都にいるのも息苦しそうだから違う環境に行かせてあげたい。――そう提案したリタに、イヴァンジェリンは怒ることも呆れることもなかった。


「……そう。それで? わたくしが『いいわよ』とでも言うと思ったの?」


 ただ、淡々とそう訊ね返してきたのだ。その反応にリタは黙り込む。


 ルーカスとエリスが買い出しを終えて宿屋に戻ったのはグレンが寝てすぐのこと。二人と一緒に荷物を整理している間に、イヴァンジェリンとラルフが戻って来た。イヴァンジェリンたちは役人たちに豪勢な食事を振舞われたらしい。ラルフは「お腹いっぱいです」と恥ずかしそうにしていた。


 一通り、明日の準備が終わり、リタはイヴァンジェリンの寝る準備を手伝った。ちなみにエリスは「すっごーい! この寝台とってもフカフカ! シーツも気持ちいい!!」と寝台にダイブし、シーツに頬を摺り寄せていたが、気づくとそのまま眠ってしまっていた。仕方なく、リタは自分用の毛布を彼女にかける。


 イヴァンジェリンと二人きりになったことでリタは先ほどグレンとした話を彼女にすることにした。正直、後先は考えてなかった。とにかく、今のグレンのことを想えば、直談判しない手はないと思ったのだ。


「……何も考えていませんでした」


 素直に答えると王女は「そうでしょうね」とどこか冷たい視線を向けてきた。リタは俯く。


 イヴァンジェリンは視線を窓の外に向ける。何かを考えている様子だ。本当にこの王女様は何をしても絵になるな、とリタは見とれてしまう。


「……明日」


 王女は呟く。


「そうね。――明日、もう一度グレンにどうしたいか聞きましょう。地図外アネクメネに行きたくない、って考えが変わっていなければ、彼のことは置いていくわ。なんだったら、貴女もグレンと一緒に一行パーティを抜けてもいいわ」

「ホントですか!?」


 リタは顔を輝かせた。まさか、あれほど頑なな王女が考えを変えてくれるとは思わなかったからだ。「ありがとうございます」と喜ぶリタを、王女は灰色の瞳で見つめる。


「でも、いいの?」


 彼女の言葉にリタは首を傾げる。


「彼を連れていかなかったら、グレンの記憶は取り戻せないわ。貴方の望みは叶わなくなるのよ」

「そう、なんですか……?」


 王女は頷く。


「魔女の呪いを解くには、彼にもう一度魔女に相対してもらう必要がある。理由がなければ、グレンを同行させたりはしないわ。今のあの子はどう考えてもお荷物ですもの」


 確かに、王女はグレンを連れていくのは必要性があってのことで、本当は連れていきたくないと言っていた。それが彼自身が魔女に会わねば呪いは解けない、ということなのだろう。


 このまま、グレンとリタは旅の一行から外れることも出来る。ただ、その場合、リタの『グレンの記憶を取り戻したい』という望みは叶わない。リタは少し考える。答えはあっさりと出た。


「それでもいいです」


 リタは笑う。それを聞くイヴァンジェリンは無表情だった。


「考えてみれば、グレンの記憶を取り戻したいっていうのは私の我儘だったんですよ。本人がそれを嫌がるなら、無理強いするのは良くないと思うんです」

「……そう」


 王女は目を閉じる。


「そうね。本人が望まないことを強要するのは良くないわね」


 ――数名を無理やり旅の仲間に加えようとした人が言うことじゃないと内心、思った。


 しかし、それを口にするのが恐ろしくて、リタは口を押さえる。椅子に座っていたイヴァンジェリンが立ち上がる。


「今日はもう寝ましょう。明日からが本番よ」


 考えてみれば、この時の王女の発言はリタも旅に同行するのが決定事項のようだった。未来を知るイヴァンジェリンにはきっと、この後の出来事が予想できたのだろう。だから、あんなにもあっさり、グレンとリタの離脱を許したのだ。


 そのことにリタが気づいたのは深い眠りについた後――翌日のことだった。

  


 ❈



 リタは窓の外が僅かに明るくなったことで目を覚ました。


(……もう、朝か)


 まだ完全に日が昇る前の早朝だ。残りの二人はまだ寝台の上だ。イヴァンジェリンは真上を向いたまま、聞こえないぐらい静かな寝息をたてて眠っていたし、エリスは両手足を拡げ、「うふふふふこんなにいっぱいの短剣なんて持ちきれないよお」と寝言を呟いていた。


 寝間着からここ数日の普段着になったチュニックとズボンに着替え、リタは部屋を出た。まだこの時間ならグレンたちも起きていないだろう。井戸で顔を洗うついでに、先に食事の準備を頼んでこようと思ったのだ。


(どうしよう。今日も厨房借りて、何か作ろうかなあ)


 昨日の料理をグレンは喜んで食べてくれた。朝食も酒場でグレンが好きと言っていたメニューを作ったほうがいいだろうか。だが、宿屋には他にも客はいる。いくらイヴァンジェリンが大金を払っているとはいえ、あまり無理を言い過ぎるのもよくないだろう。


 井戸があるのは宿屋の中庭だ。階段を下り、中庭に通じる通路を進むと、中庭の方から人の声が聞こえるのに気づいた。どうやら先客がいるらしい。他の宿泊客だろうか。


 中庭に下り、彼らに気づいたリタは――あんぐりと口を開けて驚いた。これは一体、なんだ。どうしてこんなことになった。


 まず、そこにいたのはルーカスだ。朝の訓練だろうか。大剣を何度も振っている。自身の身の丈と同じほどの武器を振るう姿は迫力があった。だが、問題はそこじゃない。


 彼が剣を振るう、その近く。剣のリーチの範囲外の場所に座り、ルーカスにキラキラした視線を送っているのは――間違いなくグレンだ。リタはあんなにグレンが目を輝かせているところを初めて見た。


「すごいな! どうやったら、そんなに大きな剣が振り回せるようになるんだ!」


 ルーカスが素振りをやめ、大剣を下ろすと、グレンは無邪気な子供のようにハシャいだ声をあげた。対するルーカスは落ち着いた雰囲気だ。


「まあ、なんだ。鍛錬あるのみだな。俺はあんまり頭が良くねえからよ。とにかく特訓だ。まず、細い普通の剣で一万回素振りが出来るようにするんだ。それが出来たら前より太い剣を用意して……その繰り返しだな」

「俺にも出来るようになるかな」

「試しに持ってみるか?」

「いいのか!?」


 グレンは嬉しそうに笑顔を浮かべ、ルーカスから大剣を受け取る。多少手つきは危なっかしいものの、グレンは両手で剣を構えた。しかし、その切っ先は震えている。


「…………重たい」

「でも、構えられてはいんだろ。やっぱ、筋力は十分あるみたいだな」


 ルーカスはグレンから大剣を受け取ると、今度は地面に置いていた別の剣を手に取った。一般的な細さの木剣だ。


「剣は重たけりゃいいってわけじゃねえからな。こっちの方が使い慣れてんじゃねえのか? ほら、ちょっと試しに素振りしてみろよ」

「分かった」


 指示通り、グレンは素直に剣を振り始めた。それを腕を組んで難しい顔で眺めていたルーカスがストップをかける。


「駄目だな。筋力はあるが、振り方がなってねえ」


 そう言って、ルーカスは親切丁寧にグレンの姿勢や腕の振り下ろし方についてレクチャーを始める。グレンは真剣にその言葉に耳を傾け、うんうんと頷いている。


 ――想像してほしい。グレンの中身は例え十二歳の少年だろうが、外見は二十四歳の成人男性なのだ。ルーカスも二十代後半の立派な男性だ。それが弟子と師匠のように近距離で剣の指導をうけているのだ。前世なら、腐女子の女性陣が歓喜の映像だろう。


 しかし、リタにとっては最愛の恋人が子供のような笑みを浮かべ、尊敬のまなざしを少し年上の男性に向けているのだ。しかも、大分柄の悪いルーカスが何故か面倒見よくグレンの指導をしている。その光景は――リタとしては心に来る。下手をしたら新たなトラウマとして深く刻まれてもおかしくない。


 声をかけることも出来ず、かといって立ち去ることも出来ず、ただひたすらリタはその場に立ち尽くしていた。しばらくすると、溜息を吐いたルーカスがこちらに視線を向けた。


「おい。いつまで突っ立ってるつもりだ」


 不機嫌そうな表情は昨日、酒場で見たものに近い。リタは混乱したまま、やっとのことで声を出せた。二人が近づいて来る。


「な、なにをしているの?」

「何って、朝の鍛錬だよ。コイツも見学したいっていうのと、剣を振るうのが苦手っていうから教えてやってたんだ」

「ルーカスはすごいんだ」


 グレンは嬉しそうに笑う。


「何十体も魔獣を倒してきたんだって! さっき、幾つか逸話を教えてもらったんだ。まだまだ沢山あるらしい」

「……まあ、俺が倒したのは精々中型ぐらいまでだよ。それも大体エリスと二人でだからな。大型魔獣を単独で討伐出来る騎士様には劣るよ」


 ルーカスはチラリとグレンに視線を向ける。しかし、何も覚えていないグレンからしたら、ルーカスは十分尊敬の対象なのだろう。「本人が満足そうだからいいけどよ」とルーカスはボソリと呟く。


「というか、エリスの野郎はまだ寝てんのか? 鍛錬に付き合えって言ったのに、しょうがねえな」


 そう溜息を吐くと、ルーカスは宿屋の建物へ戻っていく。その後を追おうとしたグレンの服を掴み、引き止める。グレンが振り向いた。


「どうした」


 リタは言葉を口に出来なかった。


 だって、昨日まであんなに沈んで、ずっと膝を抱えていたグレンが普通に歩き回っている。ずっと座り込んでいる姿しか見てないから、こうして相手に見下ろされるのはとても久しぶりの感覚だ。表情も態度も今まで見た中で一番明るい。一体、この一晩で何が起きたのだ。


「ルーカスと、仲良くなったみたいね……?」


 頬を引きつらせながら訊ねると、「ああ」とグレンは頷いた。


「強いのは騎士だけじゃなかったんだな。傭兵の存在は知っていたが、父上には『金のためだけに働く低俗な輩』と教えられた。俺が関わるような相手ではないともな」


 確かに王に忠実に仕え、国を守るという大義の下で剣を振るう騎士と、金銭を得るために剣を振い、時には主を変える傭兵では価値観は大分違うだろう。貴族であるグレンの父親が嫌うのもおかしくはない。


「でも、ルーカスにも信念があった。……大事なのは何のために戦うのかってことなんだって、教えてもらったんだ」


 昨夜、男性陣用の部屋に向かうルーカスにもグレンの事情は簡単に説明をした。彼も国の英雄ともいえるグレンの存在は当然のことながら知っていた。前にグレンが地図外アネクメネから戻って来たときに他の騎士に支えられるその姿をチラリと見たこともあったと言っていた。


 「グレンは記憶喪失で、今は十二歳までの記憶しかない。精神的には子供に戻っている」ということを説明すると、ルーカスは心底嫌そうに「めんどくせえ」と呟いていた。精神的に不安定だから優しくしてあげてほしいということも伝えたが、「分かった分かった」と軽い返事しか返ってこなかった。それが何故か今、グレンはルーカスを慕い、ルーカスもグレンに稽古をつけるというおかしな関係になっている。本当にリタが眠っている間に何が起きたのか説明してほしい。


「……そう、良かったわね」


 とにかく、分かったことはルーカスと話したことでグレンは立ち直ることが出来たらしいということだ。非常に複雑な心情ではあるが、グレンの復活を純粋に喜ぶべきだろう。


「今から、朝ご飯の用意をお願いしに行こうと思っているの。何か食べたいものある? またシェパーズパイ、作ろうか?」


 厨房に向かう前に本人に会えたことにも喜ぼう。直接リクエストを確認できる。


「いや、作ってもらわなくていい」


 グレンは首を横に振る。


「ルーカスがこの宿屋の料理は美味いって評判だって言ってたんだ。俺もそれでいい」

「…………そう」

 

 今度はリタが昨日のグレンのように膝を抱えて蹲りたい気分だった。しかし、そんなこともしていられない。「じゃあ、私宿屋の人に声かけてくるね」と本来中庭に来た用件も忘れ、厨房へ向かおうとする。グレンもルーカスを追うためだろう。後をついてきた。


 宿屋の上の階が誰か男の悲鳴が響いたのはそのときだ。リタだけでなく、グレンも天井を見上げる。


「な、何!?」


 二階、三階は客室だ。あの悲鳴の上げ方は只事ではない。慌ててリタは階段を駆け上がり、声の主を探す。グレンも後ろをついてくる。三階に到着したとき、リタはまた見たくもない光景を目にし――そして、何が起こったのかを嫌でも理解した。


 リタたちの寝泊まりしていた部屋の扉が開いていた。そして、そこに立っていたのは何故か体にシーツを巻きつけているイヴァンジェリンだ。白い肩が見えていることから、その下に服を着ていないことはすぐ分かった。目の毒だろう、と慌てて後ろのグレンの目を塞ぐ。


 王女はまさに鬼の形相だった。完全に殺気立っている。目だけで人が殺せそうだ。そして、彼女が右足で踏みつけているのは先ほど「エリスの野郎はまだ寝てんのか?」と言って、おそらく彼女を起こしに向かった――ルーカスだった。

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